ベルゼブル論争

イエスのことを悪魔だと思った人々の論争である。イエスはここで、内輪揉めのたとえ強い人のたとえを聞かせる。
マルコ福音書にも含まれる内容であるが、Q資料の25番でもある。

マルコ福音書では、十二弟子の選定直後の話である。人々が、イエスの気が変になっていると思ったためである。(マルコ3:20-30)
イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。
「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。
同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

マタイ福音書では、安息日をめぐるやりとりでメンツを潰されたファリサイ派がイエスを殺そうと目論み、またイエスの癒しの奇跡をみて驚愕した人たちが同じ話を始める。よって文脈が全く異なる。

マタイ12:22-32
群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。
イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。
「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。
サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。
わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

ルカ福音書でも癒しの奇跡の後の話である。ここでは十二弟子の選定よりかなり後の話となる。

ルカ11:14-23
イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。
しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。
「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。
あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。
わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。
わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」

内容面からみると、マタイ福音書にはマルコとルカで並列の内容がまとめられている。

ベルゼブルとは

新約聖書の福音書に出てくる悪魔の首領の名称。サタンの別名とされている。ベルゼブブともいわれるが,これは旧約聖書『列王紀下』の1章にのみ出てくる「バアル・ゼブブ」に影響されたものと考えられる。これは、サマリヤで父アハブの後を継いで前850年頃即位したイスラエル王アハズヤについての話である。

父アハブの死後にモアブ国が謀反を起こしたが、アハズヤには何も出来なかった。サマリヤの欄干から落ちたときに、バアル・ゼブブに使者を遣わして、病気が治るかどうかを尋ねたが、その使者は途中で預言者エリヤに出会い、神の裁きにより王が死ぬことを告げた。アハズヤ王はエリヤを捕らえようと3度も軍隊を遣わしたが失敗し、即位から2年でエリヤの預言通りに死んだ。

列王記1:1-18(1章全文)
アハブの死後、モアブはイスラエルに反旗を翻した。(モアブ王の子であるイスラエル王の)アハズヤはサマリアで屋上の部屋の欄干から落ちて病気になり、使者を送り出して、「(ペリシテ人の5つの町の内のひとつである)エクロンの神バアル・ゼブブのところに行き、この病気が治るかどうか尋ねよ」と命じた。
一方、主の御使いはティシュベ人エリヤにこう告げた。「立て、上って行ってサマリアの王の使者に会って言え。『あなたたちはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして出かけているが、イスラエルには神がいないとでも言うのか。それゆえ主はこう言われる。あなたは上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」エリヤは出て行った。
使者たちが帰って来たので、アハズヤは、「お前たちはなぜ帰って来たのか」と尋ねた。彼らは答えた。「一人の人がわたしたちに会いに上って来て、こう言いました。『あなたたちを遣わした王のもとに帰って告げよ。主はこう言われる。あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして人を遣わすが、イスラエルには神がいないとでも言うのか。それゆえ、あなたは上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ』と。」
アハズヤは、「お前たちに会いに上って来て、そのようなことを告げたのはどんな男か」と彼らに尋ねた。「毛衣を着て、腰には革帯を締めていました」と彼らが答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。
アハズヤは五十人隊の長を、その部下五十人と共にエリヤのもとに遣わした。隊長がエリヤのもとに上って行くと、エリヤは山の頂に座っていた。隊長が、「神の人よ、王が、『降りて来なさい』と命じておられます」と言うと、エリヤは五十人隊の長に答えて、「わたしが神の人であれば、天から火が降って来て、あなたと五十人の部下を焼き尽くすだろう」と言った。すると、天から火が降って来て、隊長と五十人の部下を焼き尽くした。
王は再びもう一人の五十人隊の長を、その部下五十人と共にエリヤのもとに遣わした。隊長が、「神の人よ、王が、『急いで降りて来なさい』と命じておられます」と言いかけると、エリヤは彼らに答えて、「わたしが神の人であれば、天から火が降って来て、あなたと五十人の部下を焼き尽くすだろう」と言った。すると、天から神の火が降って来て、隊長と五十人の部下を焼き尽くした。
王は更に三人目の五十人隊の長とその部下五十人を遣わした。三人目の五十人隊の長は上って来て、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ、どうかわたしの命と、あなたの僕であるこの五十人の命を助けてください。御覧のように、天から火が降って来て、先の二人の五十人隊の長と彼らの部下五十人を焼き尽くしました。どうか、わたしの命を助けてください。」
主の御使いがエリヤに、「彼と共に降りて行け。彼を恐れるには及ばない」と告げたので、エリヤは立ち上がって彼と共に王のところに降りて行って、王にこう告げた。「主はこう言われる。『あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして使者を遣わしたが、それはイスラエルにその言葉を求めることのできる神はいないということか。それゆえあなたは上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」
王はエリヤが告げた主の言葉どおりに死んで、ヨラムが彼に代わって王となった。それはユダの王、ヨシャファトの子ヨラムの治世第二年のことである。アハズヤには息子がなかったからである。アハズヤの行った他の事績は、『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
最終更新:2020年10月11日 14:06