パウロ書簡への高等批評

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ここでは、パウロ書簡のうち、真筆性が高いとされる7書簡を除いた6書簡について検証する。

エフェソの信徒への手紙

高等批評では、パウロの手紙を第三者が編集したものとされているが、パウロ本人が編集した可能性もあるとされる。

エフェソの信徒への手紙は以下のような問題点がある。
  • 現存する最初期の写本には「エフェソの」という言葉は見られず、単に「聖なる人々、イエス・キリストを信じる人々」があて先になっている。
  • 文中にはエフェソの人々に関する言及や、パウロのエフェソでの体験が一切語られていない。
  • 1:15にある「あなたたちの信仰をきいて」という表現は、著者が対象となった人々についてあまり知らないことを示している。これは『使徒書』の記述にあるようにパウロがエフェソの創立者であり、長期にわたって滞在したという記述と矛盾する。
これを考えると、著者がパウロである可能性は低い。一方で、エフェソ書は、コロサイ書と構成的、内容的に酷似しており、コロサイ書を読んだことがある人物がそれを参考にしてまとめた書簡とも考えられる。(エフェソ書とコロサイ書とでは、コロサイ書の著者がパウロであることを否定する根拠はエフェソ書よりも弱いので、一般的には著者は別としてコロサイ書が先に存在したと考えられている。)

コロサイの信徒への手紙

高等批評では、パウロ本人ではないとされるが、パウロとテモテとの共著の可能性も指摘されている。

聖書学者レイモンド・ブラウンは『新約聖書概論』(1997年)の中で「現代の聖書学者の60%は本書がパウロ本人によって書かれたことを否定している。」という。確かに文体や言葉遣い、パウロらしい思想がみられないことなどから本書の著者がパウロ本人でないと考えるものは多い。

その一方で細かい違いを認めつつも、それでもパウロが書いたものであり、人間である以上著作の内容やスタイルにばらつきは起こりうるという立場を取る学者たちもいる。パウロであることを明確に否定する根拠はない。その点から、パウロが弟子テモテを介して送った手紙とも解釈される。

テサロニケの信徒への手紙二

高等批評では、パウロの仲間か弟子がパウロの死後に書いたとみなされる。

第二テサロニケ書には、第一テサロニケ書とほぼ一致する表現や文章がいくつも登場している。第1章1節が一言を除いて同じことがしばしば指摘されている。先に書かれた第一テニサロケ書は真筆性が非常に高いことからも、第二テニサロケはそれを真似ている可能性が高い。また、第二テサロニケ書は、第一テサロニケ書に比べると、パウロが受け手に対して示す親密な度合いが弱まっているということがしばしば指摘されている。

また、擬似パウロ書簡と見なしている田川建三は、擬似パウロ書簡に共通する傾向として、長文癖、類語反復、同義語好みを挙げており、実際、第1章3節から10節は(和訳では複数の文に区切られるのが普通だが)それで一文をなしている。ただし、田川も、そうした特色は他の擬似パウロ書簡に比べて、第二テサロニケ書ではかなり少ないことを認めている。

牧会書簡

テモテへの手紙位置、テモテへの手紙二、テトスへの手紙である。

高等批評では、パウロを知る人がパウロの死後に書いたとされる。

パウロの生前には、まだそれぞれの地で教会というものが大きな組織になっているはずがなく、それゆえ、この手紙のように、長老たちに向かって教会の運営のあり方などを指摘する必要性はまだ生じていない。したがって、パウロによる真筆性はほとんどないと考えられる。

テモテへの第一の手紙

本書に見られる文脈の乱れ、つながりのなさは自由主義神学の研究者たちに後世の挿入を疑わせることになる。たとえば6:20-21はシノペのマルキオンに言及しているともみえる内容であり、後代の付加と主張される。
テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。

ただし、これだけでは後代の付加・挿入があったことの証明にはなれども、原文がパウロに依るものかどうかまでは判定できない。実際、西暦95-96年頃に書かれたとみられる『クレメンスの第一の手紙』には。『テモテへの第一の手紙』より引用が見られる。

テモテへの第二の手紙

この手紙は言語的、あるいは思想的に他の二つの牧会書簡(テモテ1、テトス)と異なり、まだ後期のパウロ書簡、特に獄中書簡に似ている。このことから、テモテ2は偽書だと考えられている。

テトスへの手紙

文体や思想、パウロ時代の教会組織の構造との食違い等から、近代聖書批評学の立場では2世紀初頭成立の偽作と考えられる。『第1テモテ書』に似る。