士師記
イスラエルの人々がエジプトの地を出て後四百八十年、ソロモンがイスラエルの王となって第四年のジフの月すなわち二月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた。
士師記の年代は、列王記上6:1より、以下の計算が成り立つ。
(エジプトを出発してモーセが死亡するまでの期間)+(ヨルダン川を渡ってからヨシュアが死亡するまでの期間)+(士師時代の期間)+(ラウル王の治世)+(ダビデ王の治世)+(ソロモン王の4年)=480年
(エジプトを出発してモーセが死亡するまでの期間)=40年
(ラウル王の治世)≒40年(※
新約聖書による)
(ダビデ王の治世)=40年
(ソロモン王の4年)=4年
よって、(ヨルダン川を渡ってからヨシュアが死亡するまでの期間)+(士師時代の帰還)=356年
しかし、士師記の記述から得られる年代を単純に足すと、記載のないシャムガルの活動期間を抜いても410年以上となり、356年の枠に当てはまらない。そこから、「ある士師の活動期間は別の士師の活動期間と重なっているはずである」と考えることになる。
なお、新約聖書の
使徒言行録では次のように書かれている。
使徒13:17-20
この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。
これより、新約聖書時代には、イスラエル人がエジプトに移住してからカナンを征服するまでの期間が450年と考えられていたことがわかる。よって以下の計算が成り立つ。
(イスラエル人がエジプトに移住してから出発するまでの期間)+(エジプトを出発してモーセが死亡するまでの期間)+(カナンを征服するまでの期間)≒480年
(イスラエル人がエジプトに移住してから出発するまでの期間)=430年
(エジプトを出発してモーセが死亡するまでの期間)=40年
よって、(カナンを征服するまでの期間)≒10年
ここで、ヨシュアはカナン征服後も生きていたから、
(ヨルダン川を渡ってからヨシュアが死亡するまでの期間)>(カナンを征服するまでの期間)≒10年
となるのは明らかである。とすると、士師時代の長さは次のように求まる。
(士師時代の帰還)<346年
ユダの部族カレブの弟ケナズの子オテニエル
士師記3:8
そこで主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らをメソポタミヤの王クシャン・リシャタイムの手に売りわたされたので、イスラエルの人々は八年の間、クシャン・リシャタイムに仕えた。
士師記3:11
国は四十年のあいだ太平であった。ケナズの子オテニエルはついに死んだ。
ヨシュアの死後、アラム人の奴隷下の8年間の後、オトニエルの開放から40年間があった。
ベニヤミン部族ゲラの子 左ききのエフド(エホデ)
士師記3:14
こうしてイスラエルの人々は十八年の間モアブの王エグロンに仕えた。
士師記3:30
こうしてモアブはその日イスラエルの手に服し、国は八十年のあいだ太平であった。
モアブ人の奴隷下の18年間の後、エフドによる解放後の80年間があった。
アナテの子シャムガル
士師記3:31
エホデの後、アナテの子シャムガルが起り、牛のむちをもってペリシテびと六百人を殺した。
シャムガルの活動期間については情報がない。
エフライム部族ピドテの妻デボラ
士師記4:3
彼は鉄の戦車九百両をもち、二十年の間イスラエルの人々を激しくしえたげた
士師記5:31
こうして後、国は四十年のあいだ太平であった。
カナン人の奴隷下の20年間の後、デボラとバラクによる解放後の40年間があった。
ナフタリ部族アビノアムの子バラク
カナン人の奴隷下の20年間の後、デボラとバラクによる解放後の40年間があった。
マナセ部族アビエゼル人ヨアシの子のギデオン
士師記6:1
イスラエルの人々はまた主の前に悪をおこなったので、主は彼らを七年の間ミデアンびとの手にわたされた。
士師記8:28
そして国はギデオンの世にあるうち、四十年のあいだ太平であった。
ミディアン人たちに侵略された7年間の後、ギデオンによる解放後の40年間があった。
ギデオンの子アビメレク王
士師記9:22
アビメレクは三年の間イスラエルを治めた
ギデオンによる解放後40年間の後、ギデオンの息子アビメレクが支配した3年間があった。
イッサカル部族トドの子プワの子、トラ
士師記10:2
二十三年の間イスラエルをさばいた
ギデオンの息子アビメレクが支配した3年間の後、トラが裁いた23年間があった。
ギレアデ部族ヤイル
士師記10:3
彼の後にギレアデびとヤイルが起って二十二年の間イスラエルをさばいた
トラが裁いた23年間の後、ヤイルが裁いた22年間があった。
ギレアデ部族エフタ
士師記10:8
彼らはその年イスラエルの人々をしえたげ悩ました。すなわち彼らはヨルダンの向こうのギレアデにあるアモリびとの地にいたすべてのイスラエルびとを十八年のあいだ悩ました。
士師記11:26
イスラエルはヘシボンとその村里に住み、またアロエルとその村里およびアルノンの岸に沿うすべての町々に住むこと三百年になりますが
士師記12:7
エフタは六年の間イスラエルをさばいた。
(※イスラエル人がカナンの地を配分したアダム歴2500年を、すべての町々に住んだ時点と定義する。なお、士師記の記述を単純に足し合わせていくと、メソポタミア王に支配されてからエフタが表れるまでに319年経っている。)
ペリシテ人の奴隷下の18年間の後、エフタによる解放後の6年間があった。
ペリシテ人の奴隷下にあったのはアダム歴2782年~2800年頃である。
エフタがペリシテ人からイスラエル人を開放したのは、アダム歴2800年頃である。
エフタはアダム歴2806年頃までイスラエルを裁いた。
ベツレヘムのイブザン
士師記12:8
彼は七年の間イスラエルをさばいた。
エフタによる解放後の6年間の後、イブツァンが裁いた7年間があった。
ゼブルン族エロン
士師記12:11
彼の後にゼブルンびとエロンがイスラエルをさばいた。彼は十年の間イスラエルをさばいた。
イブツァンが裁いた7年間の後、エロンが裁いた10年間があった。
ピラトン族ヒレルの子アブドン
士師記12:14
彼は八年の間イスラエルをさばいた。
エロンが裁いた10年間の後、アブドンが裁いた8年間があった。
ダン族マノアの子サムソン
士師記13:1
イスラエルの人々がまた主の前に悪を行ったので、ヤハウェは彼らを四十年の間ペリシテびとの手にわたされた。
士師記15:20
サムソンはペリシテびとの時代に二十年の間イスラエルをさばいた。
士師記16:31
サムソンがイスラエルをさばいたのは二十年であった。
ペリシテ人の奴隷下の40年の後、サムソンが裁いた20年間があった。
サムエル記
レビ族エリ
その時(神の箱を失った時)エリは九十八歳で、その目は固まって見ることができなかった。
サムエル記上4:18
彼が神の箱のことを言ったとき、エリはその座から、あおむけに門のかたわらに落ち、首を折って死んだ。老いて身が重かったからである。彼のイスラエルをさばいたのは四十年であった。
祭司エリは58歳から98歳までの40年間裁き、98歳のとき神の箱を失い、エリは死んだ。
エフライム族ツフの子トフの子エリウの子エロハムの子エルカナとハンナの子サムエル
サムエル記上6:1
主の箱は七か月の間ペリシテびとの地にあった。
サムエル記上7:2
その箱(神の箱)は久しくキリアテ・ヤリムにとどまって、二十年を経た。
最終更新:2017年07月24日 18:27