カルデア(Chaldea)はメソポタミア南東部に広がる沼沢地域の歴史的呼称である。紀元前10世紀以降にこの地に移り住んだセム系遊牧民の諸部族はカルデア人と呼ばれるようになった。カルデア人は紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国した。
伝説
紀元前3世紀頃のヘレニズム期バビロニアで著述されたベロッソスの『バビロニア誌』解釈が、普遍史構築上の問題点となった。カルデアの歴史を伝える『バビロニア誌』では、天と海が分かれて世界が成り立ち、最初の王朝はアルロス(アロロス、Aloros)から始まり10代目のクシストロス時に大洪水があり滅んだとある。この王朝は120サロス=432,000年間存続したとも記されており、どの聖書に基づいても
天地創造と大洪水の期間よりも長かった。
これに対しエウセビオスは『年代記』にて、単純にカルデア人が単位「サロス」の計算を間違えていたと切り捨てた。それどころか逆に、クシストロスが神の予告を受けて船を建造し、大洪水の際に一族や動物たちと難を逃れ、鳥を飛ばして洪水の終息を確認したところなどを取り上げて、『バビロニア誌』にある記述はノアの大洪水を示していると解説した。成立年度から見れば『バビロニア誌』の内容が『旧約聖書』に影響したと考えるのが普通だが、エウセビオスは逆にバビロニア人が歴史を伝えるにあたり事実を劣化させてしまったものとして、聖書の真実性を裏付ける材料にした。
史実
バビロンについての最も早い言及は、紀元前23世紀頃のアッカド帝国期のサルゴンの統治のタブレットに見ることができる(古バビロニア)。 シュメール文明とアッカドを征服して、チグリス川とユーフラテス川の間を中心に栄え、後にアッシリアの支配を受けた。のちアッシリアが衰えると新バビロニア王国(新バビロニア帝国、あるはカルデア帝国ともいう)が興り、ネブカドネザル2世の時その勢力は各地に及んだが、アケメネス朝ペルシア帝国に征服されてその属州となった。
最終更新:2017年03月07日 15:08