アッシリアの歴史

アッシリア(Assyria)は、メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域、またはそこに興った王国。首都は、初期はアッシュールで、後にニネヴェに遷都した。南側にバビロニアと隣接する。チグリス川とユーフラテス川の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。アッシリアの偉業は、ペルシア帝国に受け継がれてその属州となった。

アッシリアでの伝説

「アッシリア」はアッシュルの地を意味するギリシア語表記に由来するヨーロッパにおける呼称で、本来のアッカド語北方方言であるアッシリア語による名称はアッシュール(Asshur)。アッシュルの名はチグリス川上流にあった国土とその中核となった首邑の名であり、これはアッシュール神の名にちなむものだった。

古代ギリシャやローマでの伝説

キリスト教成立前後の古代ギリシアやローマが認識していたアッシリアの歴史とは、ポンペイウス・トログスらが伝える、初代ニヌス王とその王妃である第二代の王セミラミスによってインドにまで進出した最初の大帝国に始まり、サルダナパールの死とともに滅亡する1200年間にわたる伝説的物語を指した。そして、このアッシリアを滅ぼし次代の広域支配を打ち立てた国がメディアだと考えていた。これは、聖書記述内容とは大きく食い違っていた。聖書では、アッシリアの始祖はアシュルとされているからである。

この問題に対し、ヨセフスは『ユダヤ古代史』で、ニヌス王とはバベルの塔を建築したニムロデのことだとした。
また、エウセビオスは『年代記』にて、あえて聖書記述への忠実さを放棄し、「解釈」を以って組み替えている。具体的には、ローマ人のアッシリア観を採用してこれを1番目の帝国に置き換えた。これ自体は正しかったが、この解釈によってイスラエル王国とアッシリアが並列することになり、普遍史の第2期と第3期が重なってしまった。この問題に対する論理的説明は後世に残される課題となった。

史実

アッシリアの歴史は、主に言語の変化、即ちアッカド語北方方言であるアッシリア語の時代変化に基づいて4つに時期区分される。
  • 初期アッシリア時代は、基本的に文字史料の無い時代である。
  • 古アッシリア時代は、アッシリア語が古アッシリア語と呼ばれる形であった時代で、主に紀元前1950年頃から紀元前15世紀頃までを指す。
  • 中アッシリア時代は、アッシリア語が中アッシリア語と呼ばれる形に変化した時代で、紀元前14世紀初頭あたりから、紀元前10世紀の末頃までの時代を指す。
  • 新アッシリア時代は、アッシリア語が新アッシリア語と呼ばれた形であった紀元前10世紀の末頃から、アッシリアの滅亡までの時代を指す。

中アッシリア時代に出てきたものがニヌス王伝説である。ニヌス王の実在は現在では否定されているが、メソポタミア神話の豊穣と戦争の神ニヌルタや、バビロニア征服という快挙を成し遂げたトゥクルティ・ニヌルタ1世などに由来する可能性が挙げられている。また、聖書の伝えるニムロデも、このニヌルタの伝承に由来するとされる。

新アッシリア時代になり、サルゴン二世(BC721~705)の治世、アッシュール神が世界創造時からの神であるとするために、エヌマ・エリシュにおいてアヌ (メソポタミア神話)の父とされるアンシャルと習合されたのがアッシュール神である。次代のセンナケリブ(BC704~681)により行われたアッシュル至上主義的宗教改革により、マルドゥクのものであった、エヌマ・エリシュおよび、新年祭などでの主神の座を奪い、名実共に最高神の地位に就いた。聖書が伝えるアッシリアもこの時代であり、前8世紀のティグラト-ピレセル王の時代以降の新アッシリアのことである。よって、アッシリアの始祖はアシュルとされている。
最終更新:2017年03月07日 15:11