伝説
中国に伝わる神話。盤古による天地開闢で世界は始まった。女媧が泥をこねてつくったものが人類のはじまりだと語られている。伏羲は、黄帝・神農などのように古代世界においてさまざまな文化をはじめてつくった存在として語られる。三皇五帝の時代を加えると、紀元前3000年頃にさかのぼることになる。
神話伝説時代(盤古・女媧・伏羲と三皇五帝)に続き、夏、殷、周の王朝が続き、秦に至る。
マルティニによる理論
1658年、マルティノ・マルティニ(1614年-1661年)が『中国古代史』を出版すると、大きな論争が巻き起こった。マルティニは中国に渡ったイタリア人のイエズス会士で、多くの中国情報をもたらした。
「ヨーロッパで初めて出版された、最も信頼に足る中国史」と評されたマルティニの『中国古代史』は、伏羲を最古の歴史的実在として認め、以下の三皇五帝・夏・殷・周などの諸王朝を事実として紹介した。そして堯の時代に起こった大きな洪水がノアの大洪水だったと定め、その年号を紀元前2349年と計算した。しかしこの考えでは大洪水以前に五人の王が存在したことになってしまう。
マルティニは、中国の伝説に紀元前3000年頃に別の大洪水が起こったという点に着目し、
七十人訳聖書を採用しこの洪水をノアの大洪水に当てはめれば問題を回避できることを指摘した。しかし彼はここで考察を止めず、伏羲以前の中国の状況を想像した。君主が生まれるからには社会的人間集団が存在しなければならず、そこに至るには記録されない歴史が刻まれているはずである。そしてマルティニは、古代中国にはノアの大洪水以前に人間が居住していたという結論に至った。
イエズス会は布教において、現地の歴史や習慣を学び取りながら、時に妥協を交えた活動を行った。しかしマルティニの結論は普遍史の否定に繋がるもので、この点からもマルティニは中国文明の支持者となり、圧倒的な中国史の前に傾倒せざるを得なかったものと推測される。そしてこの態度はイエズス会派だけではなく、アウグスティノ派であるメンドーサやラーサの例を始めとして多くの宣教師が、ヨーロッパ諸氏族史のような空想的な部分を含まず、時に天文学的観測結果を伴いもする中国史の正しさを認めた。
ホルンの理論
中国史を巡る論争に対し、オランダのライデン大学歴史学教授のゲオルク・ホルンは、ひとつの解決策を1666年執筆の書『ノアの箱舟』で提案した。彼は、アイルランドの司教ジェームズ・アッシャーが纏めた年代学(アッシャーの年表)に基づいて大洪水を紀元前4004年とした。その上で、堯の時代の中国で起こった大洪水を同じ出来事を指す、すなわち
創世記と古代中国史が同じ史実を伝えていると考えた。そして聖書の家父長たちと中国神話の王たちは同一人物を指していると解釈した。
聖書上の人物 |
中国史の人物 |
その根拠 |
アダム |
伏羲 |
ともに土から生まれたとされている |
カイン |
神農 |
ともに農業の祖とされる |
エノク |
黄帝 |
ともに神によって不死とされた |
ノア |
堯 |
ともに洪水の時に生きた |
ホルンの創世記と古代中国史同一論は多くの追随者を生んだ。
このように中国の古さの問題は、中国史に疑念が挟まれるのではなく、聖書側に解釈が加えられ対応が試みられるという点でアッシリアやエジプトのそれと異なる展開を見せた。さらにはヘブライ語版と七十人訳聖書の正当性を主張する根拠に中国史が用いられるなどの逆転現象さえ見られる中、普遍史にとって深刻な難問として突き刺さりつつ、解決を見ぬまま時代が過ぎることとなった。
ヴォルテールの聖書否定
ボルテールは『歴史哲学』の中で、中国については、世界最古の年代記が途切れずに続いている(52章)と述べ、地球全域を覆うような大災害は中国に及ばなかった(18章)と、普遍史批判となる論述を取る。
ヨハン・クリストフ・ガッテラー
1785年の著作『世界史』から、ガッテラーは大きな転換を図った。題から「普遍史」という単語を除いた通り、彼の世界史記述は普遍史からの脱却を果たした。歴史の初期について、『普遍史序説』と同様にアダムからモーセまでを取り上げているが、これを「セトを租とする大種族の一派、ノア家すなわちヘブライ人の伝説」として扱った。すなわち、大洪水は事実としても、それはあくまでインダス川上流で起こった局地的な事件でしかなく、他の地域には多くの人間や動物が生きていたと考えた。これに伴い、聖書中の事件が起こった年度も見直しを施した。そして時代区分も変更した。『普遍史序説』の4段階から、文化史の観点を基礎に6段階に改訂したが、この考察の中にはモーセやソクラテスの他に孔子やゾロアスターなども加え、聖書が対象とした世界と中国など記述されない世界とを同等に扱っている。
そして4冊目の『世界史試論』では、よもや普遍史的枠組みは創世紀元の使用とアダムからニムロドまでを記した部分 にしか見られない。しかもそれは、全861ページの大書の中でたった2ページが宛がわれたに止まり、それも「伝説的歴史」という扱いに過ぎない。同書の記載は、中国や日本、アラビアやインドなどアジア全域の歴史を含んだ、啓蒙主義的または社会史的評論が行われている。ガッテラー自身は敬虔なキリスト教徒であり、4冊目の著作でも少々残滓が見られるが、よもや普遍史を放棄せざるを得ないところまで来てしまっていたことを表す。彼は、キリスト教の内側から普遍史を自己否定する役目を担った人物となった。
最終更新:2017年07月12日 07:49