属性
クリーチャーの属性は、そのクリーチャーの倫理的道徳的なふるまいを表すものである。
2つの軸から成る属性OP
善と悪
- 善:善の冒険者やクリーチャーは罪なき生命を守る。
“善”とは思いやり、生命を尊ぶこと、知性ある存在の尊厳を重んじることを意味する。善のクリーチャーは自分を犠牲にしても他人を助ける。
“秩序にして善”、“中立にして善”、“混沌にして善”はいずれも“善”である。
- 善:悪の冒険者やクリーチャーは、楽しみや利益のために罪なき生命を堕落させ、あるいは滅ぼす。
“悪”とは他者を痛めつけ、抑えつけ、殺すことを意味する。悪のクリーチャーは、一片の慈悲も持たず、自分の都合で平然と他者を殺す――ある者は、進んで悪をなすために。ある者は、楽しみのために。また、ある者は、悪の神や悪の主君への忠義だてのために。
“秩序にして悪”、“中立にして悪”、“混沌にして悪”はいずれも“悪”である。
- 中立:善悪に関して中立の人々は、罪なき者を殺すのは気がとがめるが、見返りもなしに他人を助け守るために自分が損をすることには熱心でない(相手が自分にとって関わり深いものでない限り)。
“秩序にして中立”、“真なる中立”、“混沌にして中立”はいずれも“中立”である。
秩序と混沌
- 秩序:秩序の冒険者は真実を告げ、約束を守り、権威を重んじ、伝統を尊び、務めを怠ったものを裁く。
“秩序”とは名誉、信義、法の遵守、信頼性を意味する。悪いほうに転べば、偏狭、旧弊の墨守、独断、融通のきかなさなどを意味することもある。
進んで秩序に従う者は、ただ秩序ある行ないによってのみ、“人々が信用しあい、「みんなもやるべきことをやってくれるだろう」と信じて正しい判断を下す”、そんな世の中を作り出すことができるのだと言う。
“秩序にして善”、“秩序にして中立”、“秩序にして悪”はいずれも“秩序”である。
- 混沌:混沌の冒険者はもっぱら自分の良心に従い、あれをしろこれをしろと言われるのを嫌い、伝統よりも新しい考えを好み、約束は守りたければ守る。
“混沌”とは自由、融通、柔軟を意味する。悪いほうに転べば、無分別、正当な権威に対する軽蔑、勝手なふるまい、無責任などを意味することもある。
進んで混沌の行ないをなす者は、皆が拘束を受けず自由であってはじめて人々は自分自身を十全に表現でき、1人1人が本来持っている力をふるうので世の中のためにもなるのだと言う。
“混沌にして善”、“混沌にして中立”、“混沌にして悪”はいずれも“混沌”である。
- 中立:秩序と混沌の間で中立である人々は、権威には一応の敬意を抱いており、特にこれに従おう、または叛こうという衝動はない。元来誠実ではあるが、時として人に嘘をつき欺こうという思いに駆られることもある。
“中立にして善”、“真なる中立”、“中立にして悪”はいずれも“中立”である。
9つの属性
“
秩序・中立・混沌”の要素と、“
善・中立・悪”の要素を組み合わせると、以下に挙げる9つの属性になる。
属性段階の項も参照のこと。
それぞれの説明文は、その属性を有するクリーチャーの典型的な行動パターンを説明するものである。とはいえ、個々人の行動は“典型的な行動パターン”とは大きく異なりうる。属性の指し示す行動パターンに完全に、そして常に従う個体などそうはいないのだ。
属性は君の冒険者の人となりを考える上での1つの道具にすぎない。決してキャラクターをしばりつける拘束着ではないのだ。
- 秩序にして善(LG):“秩序にして善”のクリーチャーは、概ね、社会が正しいと認める行動を取る――真実を告げ、約定を守り、困っている者を助け、不正に反対する意見を堂々と述べる。“秩序にして善”の冒険者は、罪ある者が罰されずにいるのを見るのを嫌う。悪との戦いに身を捧げる覚悟もできていれば、情け容赦なく戦う訓練もできている。
“秩序にして善”は、名誉と同情心を併せ持つ。
エンジェル、ゴールド・ドラゴン、パラディン、そしてほとんどのドワーフが“秩序にして善”である。
- 中立にして善(NG):“中立にして善”のクリーチャーは、他者の求めに応じて、彼らを助けるために最善を尽くす。王や為政者と力を合わせることもあるが、そういった人々にとりたてて恩義を感じているわけではない。
“中立にして善”とは、秩序をむやみに好んだりむやみに嫌ったりすることなく善行を為す、ということを意味する。
多くのセレスチャル、一部のクラウド・ジャイアント、そしてほとんどのノームが“中立にして善”である。
- 混沌にして善(CG):“混沌にして善”のクリーチャーは、他人がどう考えていようと、自身の道義心に従って行動する。よろず自分流にやるが、優しく親切である。善や正義がこの世にあることを信じているが、法や規則はあまり好きでない。人が他人をおどして言うことをきかせようとするのは我慢がならない。“混沌にして善”の冒険者は自分自身の道義のものさしに従う――このものさしは善ではあるが、社会のものさしとは合致しないことも多い。
“混沌にして善”は、善良な心と自由な魂を併せ持つのだ。
カッパー・ドラゴン、多くのエルフ(ドラウを除く)、そしてユニコーンが“混沌にして善”である。
- 秩序にして中立(LN):“秩序にして中立”の個々人は、 法、伝統、あるいは個人的な規範に則って行動する。
“秩序にして中立”とは、善や悪に偏りすぎず、それでいて信用でき、高潔である、ということを意味する。
多くのモンクが“秩序にして中立”であり、ウィザードにもそのような者たちがいる。
- 真なる中立(N):“真なる中立”は、 善と悪、秩序と混沌に関して、特にどちらかに強く心ひかれることはない。
- ほとんどの場合、“真なる中立”というのは確固たる信念や偏向がないという意味で、進んで“真なる中立”であろうとしているという意味ではない。とはいえ、こうした冒険者も、善のほうが悪より良いものだとは考えている。何といっても、悪い隣人や支配者よりは、善い隣人や支配者を持ちたいと思うものだ。しかしながら、みずから進んで抽象的、普遍的な善などというものを支持しようとはしない。
このような“真なる中立”とは、倫理的な問題には確たる態度を取らず、その時々で一番いいと思う行動を取る、ということを意味する。
リザードフォーク、そして多くのヒューマンがこのような“真なる中立”である。
- 一方、“真なる中立”の冒険者の中には、哲学として進んで中立に与する者たちもいる。彼らは善や悪、秩序や混沌は偏見であり危険な行き過ぎであると見なす。長い目で見れば、中立の中道こそ最善の、最もつりあいのとれた道であると説く。
このような“真なる中立”であることは、君がどんな状況でもごく自然に、偏見や衝動に囚われずにふるまう、ということを意味する。
ほとんどのドルイドがこのような“真なる中立”である。
- 混沌にして中立(CN):“混沌にして中立”のクリーチャーは己の気の向くままに行動し、個人の自由を何よりも重視する。自分が縛られず自由であることは大事だが、進んで他人の自由を守ってやろうとはしない。権威を嫌い、あれをするなこれをするなと言われるのには我慢がならず、古いしきたりには歯向かう(それが自分にとって尊ぶものでない限り)。とはいえ、“混沌にして中立”のクリーチャーは、無秩序を求める戦いの一環として伝統や組織と見るやぶち壊すというわけではない。そんなことをするには、善(=人々を解放する願い)や悪(=自分と違う連中を酷い目に遭わせる魂胆)につき動かされていなければならないだろう。“混沌にして中立”の冒険者は何をするかわからない連中でもあるが、まったくでたらめに行動しているわけではない――橋を渡らねばならないのに橋から飛び降りるなどということはないのだ。
“混沌にして中立”は、世の中の決まりにも囚われず、慈善家の理想にも入れ揚げない、まったくの自由を表している。
多くのバーバリアンとローグは“混沌にして中立”であり、バードの中にもそのような者がいる。
- 秩序にして悪(LE):“秩序にして悪”のクリーチャーは伝統、忠誠、あるいは秩序といった規範から外れない範囲で、論理的に、己の欲するものを獲得する。そのために誰を犠牲にしようと意に介さない(相手が自分にとって関わり深いものでない限り)。伝統、忠義、規則は気にするが、自由、尊厳、人命は気にしない。事を運ぶにあたって掟には従うが、慈悲や同情は持ち合わせない。位階の中に身をおくのが居心地よく、支配するのも好きだが、他人に仕える用意もある。他人を行為によってではなく、種族、宗教、門地、階級によって軽蔑する。法や約定を破るのは気が進まない――気が進まないのは1つには性格から、いま1つには自身を道義的に非難する輩から身を守るのに社会秩序を利用しているからである。
“秩序にして悪”の悪党の中には、特定のタブーを持っている者もいる――たとえば血も涙もない殺しはやらない(しかしながら、部下にやらせる)、女子供に危害を加えない(なるべくなら)、などである。彼らは、こうした心の呵責を有していることで、「自分は節操のない悪党どもより一段上にある」と思っている。
“秩序にして悪”は、筋道立てて、意識して事を運び、往々にして首尾よく事をしおおせる悪を表している。
ブルー・ドラゴンは“秩序にして悪”である。フィーンドではデヴィルが、ゴブリン類の中ではホブゴブリンが“秩序にして悪”である。
- 中立にして悪(NE):“中立にして悪”は、慈悲心だの後ろめたさだのとは無縁で、やっても罰や報復を受けずにすむなら何でもするという属性である。純粋かつ単純に一身これ私欲である。利益や楽しみや都合のために人を殺し、相手のために一滴の涙も流さない。秩序を愛する気持ちは皆目なく、法や伝統や掟に従うことでより善良になったり高貴になったりするなどという幻想は薬にしたくもない。その一方、“混沌にして悪”の悪党とちがって、じっとしているのが苦手でもなく、もめごとを好むわけでもない。
“中立にして悪”の悪党の中には、悪を理想として掲げ、悪のために悪をなすものもいる。こんな悪党どもは往々にして、悪の神や秘密結社に仕える者である。
“中立にして悪”は、名誉も変革も求めない、純然たる悪である。
多くのドラウ、そしてクラウド・ジャイアントの一部は“中立にして悪”である。フィーンドではユーゴロスが、ゴブリン類の中ではゴブリンが“中立にして悪”である。
- 混沌にして悪(CE):“混沌にして悪”のクリーチャーは、貪欲さや憎悪、血に飢えた欲求に駆られるまま、気まぐれに暴力を振るう。気短で獰猛、気まぐれ次第で乱暴をし、何をしでかすかわからない。単に欲しいものを手に入れようとしているだけの時でも無慈悲で暴力的である。これが悪と混沌を広めることに加担してでもいようものなら、もっと手に負えなくなる。幸い、立てる計画は運だのみで、その加わる集団や従える集団もさほど組織立ったものではない。“混沌にして悪”のクリーチャーは力尽くで従わせないと協力しないのが普通で、頭目が頭目でいられるのは、追い落としや暗殺の企てを阻みきれる間だけである。
“混沌にして悪”は、単に美と生命を破壊するだけでなく、美と生命の基礎となる秩序そのものを破壊する悪である。
レッド・ドラゴン、オークは“混沌にして悪”である。フィーンドではデーモンが、ゴブリン類の中ではバグベアが“混沌にして悪”である。
多元宇宙における属性
思考能力を持つ多くのクリーチャーにとって、属性とは倫理を選択することである。
ヒューマン、
ドワーフ、
エルフ、そしてその他の人型生物の種族は、善と悪、そして秩序と混沌について、いずれの道に従うかを選択できる。神話によれば、こうした種族を創造した善なる神々は自由意志に拠らない善はすなわち奴隷化であると知っていたので、彼らに自由意志を与え、どのような倫理をも選べるようにしたのだという。
しかしその他の種族のなかには、悪の神々に仕えるために生み出されたものもある。そうした種族は生まれながらにして、作り主たる神々の性質と一致するような傾向が強い。たとえば
オークのほとんどは
オークの神
グルームシュの暴力的かつ残忍な性質を共有しており、従って悪へと傾き易いのである。善の属性を選択したある1体の
オークがいたとして、その
オークは生涯を通じて、自らに内在する傾向と戦い続けることになる(
ハーフオークでさえも、
オークの神の影響力がしつこく自分を引き寄せようとしているのを感じるのだ)。
属性は、
セレスチャルや
フィーンドのありようにおいて必須の部分である。
デヴィルは“秩序にして悪”であることを選びはしない。“秩序にして悪”に向かう傾向を持ってもいない。むしろ、その本質が“秩序にして悪”なのである。ある
デヴィルが何らかの理由で“秩序にして悪”でなくなった場合、その
デヴィルは
デヴィルであることをやめてしまう、ということになるだろう。
理性的な思考能力に欠けるほとんどのクリーチャーは、属性を有さない――彼らは
無属性である。こうしたクリーチャーには倫理的もしくは道徳的な選択をする能力が欠けており、動物的本能に従って行動する。例えばシャーク(サメ)は残忍な捕食者であるが悪ではない。属性を持たないだけなのだ。
属性の読み替え
この
選択ルールを導入する場合、第4版の属性については以下のように読み替える。
信仰および
属性段階の項も参照のこと。
属性段階(2つの軸)
本サイトでは、時おりルールで属性を扱う際に、“
段階”について言及することがある。この場合、“段階”とは、
下記の表にて、2つの属性間で属性が移行した回数のことである。斜め方向にある“段階”は2段階と数えること。
例えば、“
秩序にして中立”のキャラクターは“
秩序にして善”からは1段階離れており、“
混沌にして悪”からは3段階離れている。
この“段階”には例外がある――
信仰する神格を選択する際は、“
真なる中立”はどの属性とも
1段階しか離れていないとみなすことができる。つまり、“
真なる中立”の
クレリックはどの属性の神格にも仕えることができ、“
真なる中立”の神格にはどの属性の
クレリックでも仕えることができる。
堕落をもたらす効果
キャラクターが堕落をもたらす効果のあるパワーや特性を使用したなら、その者は即座に1回のセーヴィング・スローを行わなければならない。セーヴに成功したなら“級ごとに5”の[精神]ダメージを受ける。このダメージはいかなる手段によっても移し替えることも、軽減することもできない。セーヴに失敗したなら1点の
堕落ポイントを得る。
最終更新:2022年11月27日 20:19