良きサマリア人

神の言う「隣人」とは何かと諭す教えである。ユダヤ人にとって、祭司やレビ人は同じユダヤ教徒であり、サマリア人は異教徒である。(正確には、サマリア人はイスラエル人と、アッシリアからサマリアに来た移民との間に生まれた人々とその子孫のことをいうが、宗教観がやや異なり、ユダヤ教から見ると異教徒ということになる。)そう考えると、ユダヤ人にとっては、同じユダヤ教徒の方がもちろん隣人だと考えるだろう。しかしイエスは、同胞たるユダヤ人を見捨てる祭司やレビ人よりも、異教徒であってもユダヤ人を助けたサマリア人の方が隣人だと答えた。
なお、マタイやマルコにはこのたとえはないが、一番大切な戒めについての記述はある。

ルカ10:25-37
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、
また、隣人を自分のように愛しなさい』
とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

律法

ここで律法の専門家が言っているのは、次の記述である。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

レビ記19:18
復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
最終更新:2018年01月27日 19:47