名称
ヘブライ名は"ספר עזרא" (Sefer Ezrā)であり、登場人物のエズラにちなむ。
ギリシャ語名"Ἔσδρας Α" (Ésdras A) は、エズラのギリシャ語名である。
英語名は"Book of Ezra"で、エズラの書の意味である。
和名「エズラ記」は、エズラの書の意味である。
内容
1.捕囚後の帰還(エズラ1章-6章)
- ペルシャ王キュロス2世の布告(1章) [BC539年]
- 捕囚民の帰還(2章)
- 礼拝の開始(3章) [BC538年]
- エルサレム神殿の再建(4章) [BC538年-BC522年]
- ダレイオス王とのやりとり(5章-6章12節) [BC522年-BC521年]
- 神殿の完成(6章13-22節) [BC521年-BC517年]
2.エズラの事跡(エズラ7章-10章)
- エズラの帰還(7章) [BC459年]
- バビロンからの帰還とエルサレムへの旅(8章) [BC459年]
- エズラの懺悔(9章) [BC459年]
- 異民族との結婚とその解消(10章) [BC459年-458年]
エズラ記の番号付の問題
新共同訳 |
ヘブライ語聖書 |
七十人訳 |
ヴルガータ訳 |
正教会 |
エチオピア |
英語 |
エズラ記 |
エズラ記 |
エズドラ記2 |
エズドラ記1 |
エズドラ書1 |
エズラ記1 |
Ezra |
ネヘミヤ記 |
ネヘミヤ記 |
エズドラ記2 |
ネーミヤ書 |
Nehemiah |
エズラ記(ギリシャ語) |
- |
エズドラ記1 |
エズドラ記3 |
エズドラ書2 |
エズラ記2 |
1 Esdras |
エズラ記(ラテン語)(3-14章) |
- |
- |
エズドラ記4 |
エズドラ書3 |
Ezra Sutuel |
2 Esras |
エズラ記(ラテン語)(1-2章) |
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エズラ記(ラテン語)(15-16章) |
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ヘブライ語聖書のエズラ記とネヘミヤ記は、70人訳聖書ではエズラ記2にまとめられている。
七十人訳聖書のエズラ記1は、ヘブライ語聖書にはない。ウルガタ聖書のエズラ記1,エズラ記2は、それぞれヘブライ語聖書のエズラ記とネヘミヤ記にあたる。七十人訳聖書のエズラ記1は、ウルガタ聖書では付録のエズラ記3として出ている。これが新共同訳聖書の旧約聖書続編にあるエズラ記(ギリシア語)である。ウルガタ聖書の付録のエズラ記4はヘブライ語聖書にも、70人訳聖書にもない。これが新共同訳聖書の旧約聖書続編にある
エズラ記(ラテン語)である。
エズラの活動年代
エズラとネヘミヤの2人がエルサレムに帰還した時代に関しては異説がある。この時代は暗黒時代であり、資料も欠如している時代である。
伝統的な解釈、聖書に記されている順序によれば、エズラがエルサレムに来たのはアルタクセルクセス1世の第7年(前458年、エズ7:7)で、ネヘミヤは同じ王の20年にエルサレムに到着した(前445年、ネヘ2:1)。
ところが別の説では、ネヘミヤの帰還は上記と同じであるが、エズラはアルタクセルクセス2世(前404-358年)の第7年(前398年)に帰国したと言う。更に別の見解では、本文を読み換えて、エズラの帰還はネヘミヤの帰還と同じ王アルタクセルクセス1世の時代であるが、第7年ではなく、第27年(前438年)あるいは第37年(前428年)であったとする。これらの見解ではネヘミヤが先にエルサレムに到着し、しばらく経ってからエズラがやって来たとする。
しかし、1960年代まで有力であった このような「ネヘミヤ→エズラ」という見解も、最近ではむしろ伝統的な「エズラ→ネヘミヤ」の順序を支持する立場が強まっている(U・ケラーマン)。
最終更新:2018年01月12日 20:45