セクエンツィア

ここではレクイエムに用いられる固有文の続唱(Squentia)について説明する。
最後の審判を歌ったもの。チェラーノのトマスの作。トリエント公会議で公認された4つの続唱のうちのひとつ。第2バチカン公会議における典礼の刷新で「死後の恐怖を不必要に強調することはキリスト教本来の思想から外れている」ことと、「葬儀は、キリスト信者の死の復活的性格をより明らかに表現」(『典礼憲章』第81条)するという理由でこの続唱は除かれ、三部に分けられ、教会の祈り(聖務日課)の賛歌となっている。またその歌詞は三行を一単位として脚韻を踏んでおり(aaa, bbb)、典礼文の傑作と言われる。なお「怒りの日」は Dies Iræ ... Amen. まででひとつの典礼文であるが作曲の便宜上以下のように細分されることがある。フォーレのものはこれが省略される。
この続唱のテキストには、最終戦争、火による浄化、最終審判など、キリスト教というよりも、むしろゾロアスター教、マヅダ教などイラン起源の二元論宗教の影響が色濃く認められる。

原文(ラテン語)

怒りの日(Dies iræ)

Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla:
teste David cum Sibylla

Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus.

奇しきラッパの響き(Tuba mirum)

Tuba mirum spargens sonum
per sepulchra regionum,
coget omnes ante thronum.

Mors stupebit et natura,
cum resurget creatura,
judicanti responsura

Liber scriptus proferetur,
in quo totum continetur,
unde mundus judicetur.

Judex ergo cum sedebit,
quidquid latet, apparebit:
Nil inultum remanebit.

Quid sum miser tunc dicturus?
Quem patronum rogaturus?
Cum vix justus sit securus.

恐るべき御稜威の王(Rex tremendæ)

Rex tremendæ majestatis,
qui salvandos salvas gratis,
salva me, fons pietatis.

思い出したまえ(Recordare)

Recordare Jesu pie,
quod sum causa tuæ viæ:
ne me perdas illa die.

Quærens me, sedisti lassus
Redemisti crucem passus
Tantus labor non sit cassus.

Juste judex ultionis,
donum fac remissionis,
ante diem rationis.

Ingemisco, tamquam reus:
culpa rubet vultus meus:
supplicanti parce Deus.

Qui Mariam absolvisti,
et latronem exaudisti,
mihi quoque spem dedisti,

Preces meæ non sunt dignæ:
Sed tu bonus fac benigne,
Ne perenni cremer igne.

Inter oves locum præsta,
et ab hædis me sequestra,
statuens in parte dextra.

呪われたもの(Confutatis)

Confutatis maledictis,
flammis acribus addictis,
voca me cum benedictis.

Oro supplex et acclinis,
cor contritum quasi cinis:
gere curam mei finis.

涙の日(Lacrimosa)

Lacrimosa dies illa,
qua resurget ex favilla
judicandus homo reus:

Huic ergo parce Deus.
pie Jesu Domine,
Dona eis requiem. Amen.

和訳

怒りの日

怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。

審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。

奇しきラッパの響き

奇しきラッパの響きが
各地の墓から
すべての者を玉座の前に集めるでしょう。

つくられた者が
裁く者に弁明するためによみがえる時
死も自然も驚くでしょう。

書物がさしだされるでしょう。
すべてが書きしるされた
この世裁く書物が。

そして審判者がその座に着く時
隠されていたことがすべて明らかにされ、
罪を逃れるものはありません。

その時哀れな私は何を言えば良いのでしょう?
誰に弁護を頼めば良いのでしょう?
正しい人ですら不安に思うその時に。

恐るべき御稜威の王

救われるべき者を無償で救われる
恐るべき御稜威の王よ、
慈悲の泉よ、私をお救いください。

思い出したまえ

思い出してください、慈悲深きイエスよ
あなたの来臨は私たちのためであるということを
その日に私を滅ぼさないでください。

私を探してあなたは疲れ、腰をおろされた
十字架を堪え忍び、救いをもたらされた
これほどの苦しみが無駄になりませんように。

裁きをもたらす正しき審判者よ
裁きの日の前に
ゆるしの恩寵をお与えください。

私は罪人のように嘆き
罪を恥じて顔を赤らめます
神よ、許しを請う者に慈悲をお与えください。

(マグダラの)マリアを許し
盗賊の願いをもお聞き入れになった主は(ルカ23:39-43)
私にも希望を与えられました。

私の祈りは価値のないものですが、
優しく寛大にしてください。
私が永遠の炎に焼かれないように。

私に羊の群れの中に席を与え
牡山羊から遠ざけ
あなたの右側においてください。(マタイ25:31-34)

呪われたもの

呪われた者たちが退けられ、
激しい炎に飲みこまれる時、
祝福された者たちとともに私をお呼びください。

私は灰のように砕かれた心で、
ひざまずき、ひれ伏して懇願します。
終末の時をおはからいください。

涙の日

涙の日、その日は
罪ある者が裁きを受けるために
灰の中からよみがえる日です。

神よ、この者をお許しください。
慈悲深き主、イエスよ
彼らに安息をお与えください。アーメン。

成立

基本的にチェラーノのトマスの作であるが、「思い出したまえ(Recordare)」の第5連と第7連には福音書を踏まえた表現が用いられている。
ルカ23:39-43
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

マタイ25:31-34
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
最終更新:2017年07月04日 07:58