アダムとエバ

アダムとエバは、旧約聖書『創世記』に記された、最初の人間である。天地創造の終わりに主YHWHによって創造されたとされる。
アダム(אָדָם)とはヘブライ語で「土」「人間」の2つの意味を持つ言葉に由来しており、エバはヘブライ語でハヴァ(חַוָּה)といい「生きる者」または「生命」の意味である。このエバ、エヴァ、或いはイヴ、イブ(英: Eve に由来する)という読みは希: Ευά(エウア)に由来する。

エデンの園


創世記2:8-15
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。
第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。
第三の川の名はヒデケル〔チグリス〕で、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユフラテ〔ユーフラテス〕であった。
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

『創世記』の記述によればエデンの園は「東の方」(2:8)にあり、アダムとエバは、エデンの園を耕させ、守らせるために、神によって、そこに置かれ(2:15)、そして、食用果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。
また、エデンから流れ出た1つの川は園を潤し、そこから4つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあったハビラ全土を流れるピション川、クシュの全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川(チグリス川)、ユーフラテス川)に分かれていた(2:10-2:14)。

この記述から、エデンの園の場所はメソポタミア周辺で、チグリス川とユーフラテス川の合流地点付近と推測される。しかし、ピジョン川とギホン川が同定できておらず、正確な場所は不明である。(なお、リベラル派の見解では、そもそもピジョン川とギホン川は存在しないのでは、との指摘もある。逆に福音派の見解では、両川は枯れてしまったので現在は存在しない、と指摘している。)いずれにせよ、これは現在推定されているアフリカ起源説とは異なる内容だが、現代文明の起源がメソポタミア文明である、という点を踏まえれば、比喩的ではあるが『「知恵の樹の実」を食べた人類』、すなわち文明を得た人間の発祥の地がメソポタミアであるという意味では信仰的事実と言ってもよいだろう。
ただし、この説には一つ問題があり、創世記第二章を性格に訳すと「「河はエデンを流れ出て園を潤す。そこから4つの“頭head”に分かれる。」とある。つまり、川の始まる場所にエデンはあるのであり、川の終わる場所ではない。そのため、メソポタミアに比定するのは問題がある。

エデンの園の比定

なお、エジプト考古学者のデイヴィッド・ロール氏(David Rohl)は、イラン北東部の都市ダブリス周辺がエデンに当たると考えている。これについては別項目エデンの園の比定で記述する。

人の創造

聖書においては、神が人を創造する方法は次の4つである。
  1. 塵から創造する方法(アダム)
  2. 人の肋骨から創造よる方法(エバ)
  3. 男と女による受胎による方法
  4. 処女懐妊による方法(キリスト)

アダムの創造

創世記2:7
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

エバの創造

創世記2:21-23
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

アダムとエバによる原罪

アダムの創造後、実のなる植物が創造された。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。
その後、女(エバ)が創造される。蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという。
この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す。アダムが女をエバと名付けたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放する。命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する剣の炎を置いた。
その後、アダムは930歳で死んだとされるが、エバの死については記述がない。

二つの樹

エデンの園には二つの樹が置かれていた。

創世記2:9
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

知恵の樹は、モーセの律法に対応する。一方、生命の樹は、イエスの十字架の上での死と、それによる永遠の命の獲得に対応する。

知恵の樹(善悪の知識の木)


生命の樹(命の木)

神によって創造されたエデンの園の中央には、知恵の樹(善悪を知る樹)と並んで生命の樹が植えられていた。ところが、禁断の知恵の樹の実を食べたアダムとイブは楽園から追放され、生命の樹は、もはや人間が近づくことのないようにと、神によって剣と炎で守られた。それは、生命の樹の実を食べる者は永遠に生きるからだ、という。「ヨハネ黙示録」によれば、この生命の樹は天上にあり、キリストを信じ、迫害のなかにあっても信仰の道を守り通す者には、この樹の実にあずかる特権が与えられるといわれる。このように生命の樹は、ユダヤ教、キリスト教的伝統のなかで、永遠の生命の象徴として神話的に物語られている。

宗教学的にみると、特定の樹木を生命力の源泉として崇拝する信仰や、豊饒、生産の象徴としての樹木の図象化などの現象が広く世界に流布していることがわかる。宗教学では、むしろこのような宗教現象を生命の樹、または世界樹という術語で言い表す。たとえば古代オリエントを中心に、1本の樹木(多くはナツメヤシ)とその両側にそれぞれ一頭の動物(多くはレイヨウ類)が描かれる図像が数多くみいだされている。(ここでは、チュニジア、Hammam Lifで発見された紀元6世紀のナツメヤシのモザイク画を示す。)これは明らかに、樹木を生産力の象徴とみなす豊饒信仰の表現であり、宗教学でいう生命の樹の典型である。楽園物語の生命の樹は、むしろこういった信仰がイスラエル化されたものとみることができる。

禁断の果実とリンゴ

「善悪の知識の木」の実(禁断の果実)はよく絵画などにリンゴとして描かれているが、『創世記』には何の果実であるかという記述はない。これは、ラテン語の「リンゴ(malum)」が、「邪悪(malus)」と近く、連想しやすいためと考えられる。また、のどぼとけのことを俗に "Adam's apple(アダムのリンゴ)"と呼ぶ。これは、のどぼとけの原因が、禁断の果実がのどに詰まったためと考えられたためである。

メソポタミア神話

なぜ女が肋骨から作られたのか大きな謎とされてきたが、その点について、メソポタミア神話との共通点が指摘されている。
あばら骨の理由:http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000192033

外部リンク

最終更新:2020年09月26日 16:52