聖書における人種の起源

聖書にはいくつかの人種の起源が書かれている。
なお、聖書の概念としては、いかなる人種もノアの子孫であり、それぞれに土地を与えているということになる。しかし、神はそのような強い民族ではなく、後にイスラエル人と呼ばれる、当時最も弱い民族の一人であった太祖アブラハムに語り掛けたのである。ノアの時代から時を隔て、本当の神を忘れてしまった人間たちが本当の神を知るようになるために、神が選んだのがアブラハムであり、またその子孫であるイスラエル人だったのである。

しかしながら、アメリカ大陸の発見により、ネイティブ・アメリカンという、聖書では説明のできない人種が現れた。これにより、ノアの子供たちから人種ができたとする説は揺らいでいくこととなった。詳細は科学における人種の起源を参照。

セム、ハム、ヤフェトの系図

創世記10章には以下のように記されている。
ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに息子が生まれた。
ヤフェトの子孫は海沿いの国々の民となった。
ヤフェトの子孫は(略)。海沿いの国々は、彼らから出て、それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って住むようになった。
ハムの子孫はアッシリア、エジプト、カナンの民となった。
ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。(略)。クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」という言い方がある。彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった。彼はその地方からアッシリアに進み(略)。エジプトには(略)が出た。カナンには(略)が生まれた。その後、カナン人の諸氏族が広がった。(略)。これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたハムの子孫である。
セムの子孫は東の高原地帯の民となった。
セムにもまた子供が生まれた。彼はエベルのすべての子孫の先祖であり、ヤフェトの兄であった。セムの子孫は(略)。彼らはメシャからセファルに至る東の高原地帯に住んでいた。

そして結びの言葉である。
ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。

聖書に登場する重要な民族/部族

ここでは、創世記10章以外からの情報も加えて、聖書に登場する重要な種族についてその由来を説明する。

ペリジ人

出自不明の民族。アブラハムの時代にはすでにカナンに存在している。(創世記13:7)

エジプト人

創世期におけるハムの子孫ミツライムは、歴代誌上におけるハムの子エジプト(歴代誌上1:8)に該当するため、ミツライムの系統とみなされる。
ヨセフス『ユダヤ古代史』によると、ミツライムの子パテロス族が起源だという。

ペリシテ人

ハムの子孫ミツライムの子カフトリに由来するカフトリ族から出た民族。(創世記10:14)
カナンには住んでいるが、カナン人とは区別されている。
歴史的には「海の民」と同一視されている。

カナン人

ハムの子カナンの子孫。(創世記9:18)
カナンの長子シドン、次子ヘテ、その他エブス、アモリ、ギルガシ、ヒビのそれぞれに子孫がいて、それぞれ、シドン人、ヘテ人、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人と区別されている。(創世記10:15-17)
なお、カナンに住んでる民族はカナンの子孫でなくてもカナン人と呼ぶ場合もある。

モアブ人

セムの子孫テラの子ハランの子ロトの娘(姉)の子モアブの子孫である。(創世記19:37)

アンモン人

セムの子孫テラの子ハランの子ロトの娘(妹)の子ベンアンミの子孫「アンモン人」(創世記19:38)

イシュマエル人(アラブ人)

セムの子孫テラの子アブラハムと奴隷ハガルの子イシマエルの子孫。

イサクが生まれる前、出産をあきらめていたサラは、エジプト人奴隷のハガルによってアブラハムにイシュマエルをもうけさせていた。ところが、ハガルは増長して主人のサラを軽視するようになり、サラの腹から生まれたイサクをイシュマエルがからかっている光景をサラが目にしたことから、サラはアブラハムに母子を追い出すよう迫る。アブラハムは神の「心配せず妻の言う通りにせよ(取意)」とのお告げを受けてこの母子を追い出す。母子は放浪のあげく、泉を見つけて安堵する。この系列はイシュマエル人としてヘブライ人(ユダヤ人)とは別の民族になったとして、旧約にも登場する(ヨセフをエジプトへ連行したのもイシュマエル人の隊商である)。のちに、アラブ人はこのイシュマエルを祖とするイシュマエル人の子孫と称し、アラブ人が開いたイスラム教ではイサクよりもイシュマエルが重視される。

ユダヤ教は、通常イシュマエルのことを、悔いてはいるがよこしまな人物として見ていた。新約聖書では、イシュマエルへの言及をほとんど含んでいない。イシュマエルは、例えば律法としてのユダヤ教の象徴とされてきたが、現在イサクと比肩してみなす伝統は拒絶されているように、キリスト教の新しい伝統の象徴である。

イスラームでは、イシュマエル(イスラム名:イスマイール)に対しての非常に肯定的な見方で、神と神の使いの特別な加護のあった母子は神聖視されていて、イシュマエルを聖書内の比較でより大きな役割、預言者や犠牲の子として見る。例えば大巡礼(ハッジ)におけるザムザムの泉への往復は荒野に追われたハガル・イシュマエル母子を追体験するものとされている。

旧約聖書にはないが、コーランには、アブラハム(イスラム名:イブラヒーム)による子イシュマエル(イスマイール)への祈りが書かれている。それによると、アブラハムは、神の命により、元奴隷ハガルと、まだ乳飲み子の息子イスマイールを、乾いた土地であるメッカに住まわせていたという。(14章「イブラヒーム章」37節)
「神よ、私は子孫の数人を、水も草もない土地の、あなたの神聖なる家の傍らに住まわせた。主よ、[私がこうしたのは]礼拝を行わせるためである。そして、多くの人の心を彼らに惹き付け、彼らに様々な果実から日々の糧を与えたまえ。彼らは恐らく[あなたに]感謝するであろう」

エドム人

セムの子孫テラの子アブラハムと正妻サラの子イサクの長子エサウの子孫。
創世記25:30で赤い物(エドム)を食べさせるようねだったことからエドムと呼ばれるようになった。

アマレク人

セムの子孫テラの子アブラハムと正妻サラの子イサクの長子エサウの長子エリパズの子アマレクの子孫。(創世記36:16)

イスラエル人

セムの子孫テラの子アブラハムと正妻サラの子イサクの次子ヤコブの子孫。
イスラエル人は、アブラハムが妻サラとの間に設けた一人息子イサクの次男ヤコブの子孫とされる。創世記32:28で神(天使)と相撲を取って勝ったことからイスラエル(神に勝つ者)と呼ばれるように奈多い。
ヤコブ(イスラエル)の息子たちがイスラエルの十二部族となるのである。
ヤコブの息子は、レアとの子がルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ラケルとの子がヨセフ、ベニヤミン、ラケルの女奴隷ビルハとの子がダン、ナフタリ、レアの女奴隷ジルパとの子がガド、アシェルだった。
イスラエルの十二部族は、ここから祭司の部族となったレビ族を抜いた、ルベン族、シメオン族、ユダ族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族(ヨセフの長子)、マナセ族(ヨセフの次子)、ベニヤミン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族である。
※エフネの子カレブの説明にあるケナズ人(ケニズびと)が何かは不明だが、おそらくユダ部族のうちケナズと呼ばれる未知の人物の子孫と思われる。
※ナジル人は種族ではない。自ら志願して、あるいは神の任命を受ける[2]ことによって、特別な誓約を神に捧げた者のことである。実名で知られている者としてはサムソンが挙げられるが、他にも大勢のナジル人が存在したことを聖書は示している。

ミディアン人

セムの子孫テラの子アブラハムと後妻ケトラの子ミディアンの子孫。
民数記ヨシュア記では何度もイスラエル人と戦っているが、モーセのしゅうとエトロなどもミディアン人であるため、イスラエル人との関係は状況により変化していたと思われる。

カイン人(ケニびと)

モーセのしゅうと、ミディアン人のエトロ(レウエル)にはホバブという息子がいた(民数記10:29)。つまりホバブはモーセの義兄弟である。そのホバブの子孫たちが、ケニ人と呼ばれる人々だった
士師記4:11(口語訳)
時にケニびとヘベルはモーセのしゅうとホバブの子孫であるケニびとから分れて、ケデシに近いザアナイムのかしの木までも遠く行って天幕を張っていた。
{※ただし、新共同訳では解釈が異なるため、併記しておく。
士師記4:11(新共同訳)}
カイン人のヘベルがモーセのしゅうとホバブの人々、カインから離れて、ケデシュに近いエロン・ベツァアナニムの辺りに天幕を張っていた。
したがって、ミディアン人のうちホバブの子孫をケニ人と呼ぶ。
最終更新:2017年07月12日 08:02