東方の三博士らが帰った後、養父ヨセフは天使のお告げを夢で聞き、エジプトへ逃げた。(マタイ2:13-15)
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
その後、ヘロデが幼児を殺害したことが書かれている。(マタイ2:16-18)
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。
ラケルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない、
子供たちがもういないから。」
ヘロデの死後、ヨセフは妻マリアやイエスと共にエジプトからガリラヤ地方のナザレへ戻った。(マタイ2:19-)
ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
実際、ヘロデは紀元前4年に亡くなっているので、イエスが生まれてすぐに亡くなっていると推定される。
ルカ
福音書にもナザレに帰ったことが書かれているが、こちらでは生まれた直後の神殿での奉納の後にナザレに移り住んだことになっており、エジプトへの逃避については一切触れられていない。(ルカ2:39-40)
親子は主の律法で定められたこと(神殿への奉納などのこと)をみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
ホセアの預言
エジプトへ呼び寄せたとされる予言は
ホセア書のものである。
ホセア書は、預言者ホセアが聞いた主の言葉である。『ホセア書』に同時代人として挙げられている王の名はイスラエル王国・ユダ王国末期のものであり、これを信ずるなら紀元前8世紀末の人物である。(ホセア書1:1)
ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。
この中に、主がイスラエルをエジプトに呼び寄せることが書かれている。(ホセア書11:1)
まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。
エレミヤの預言
エレミヤ書1章2節では、エレミヤが預言を始めたのは、ヨシヤ王の治世の第13年であるとされている(紀元前627年)。エレミヤは、バビロニアによるエルサレム陥落後の紀元前585年頃まで活動を続けたと考えられる。
この予言はエレミヤ書の31章に書かれている。この救済預言は30章から始まるものである。(エレミヤ30:1-4)
主からエレミヤに臨んだ言葉。
「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしがあなたに語った言葉をひとつ残らず巻物に書き記しなさい。見よ、わたしの民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る、と主は言われる。主は言われる。わたしは、彼らを先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる。」
次の言葉は、イスラエルとユダについて、主が語られたものである。
31章の救済預言では北イスラエルの民も言及されるが、ヨシヤ時代には北王国の国土回復の希望が持たれていたことを考えれば不思議ではない。エレミヤ書前半の多くの預言も北王国に対して述べられている。特に31章9節では、神がイスラエルの父となり、エフライム(北王国イスラエルを表す)が神の子となると語られる。
旧約聖書において神と民との関係を父子関係として描くことは実はまれである。(エレミヤ31:9)
彼ら(北イスラエルの民)は泣きながら帰って来る。わたしは彼らを慰めながら導き
流れに沿って行かせる。彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。わたしはイスラエルの父となり
エフライムはわたしの長子となる。
そしてここからは、エレミヤが祝福の預言を告げる。(エレミヤ31:10-14)
諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。
「イスラエルを散らした方は彼を集め
羊飼いが群れを守るように彼を守られる。」
主はヤコブを解き放ち
彼にまさって強い者の手から贖われる。
彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て
主の恵みに向かって流れをなして来る。
彼らは穀物、酒、オリーブ油
羊、牛を受け
その魂は潤う園のようになり
再び衰えることはない。
そのとき、おとめは喜び祝って踊り
若者も老人も共に踊る。
わたしは彼らの嘆きを喜びに変え
彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。
祭司の命を髄をもって潤し
わたしの民を良い物で飽かせると
主は言われる。
ヤコブとは、
創世記に現れる太祖アブラハムの息子イサクの息子ヤコブのことである。「イスラエルを散らした方」とは主のことである。イスラエルは、アッシリア、バビロン、ローマなどによって散らされたが、これも主の計画のうちということになる。そして実際にイスラエルは1948年に共和国として再建されている。
ここからは逆に悲劇の預言を告げる。ここが
新約聖書では、ヘロデによるベツレヘムの幼児殺しと解釈される部分である。(エレミヤ31:15)
主はこう言われる。
ラマで声が聞こえる
苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。
ラケルが息子たちのゆえに泣いている。
彼女は慰めを拒む
息子たちはもういないのだから。
ラケルは、ヤコブの妻である。イスラエルの民はラケルの子孫たちということになる。だからラケルが泣いている、と表現されるのである。
しかしその悲劇の後の希望も主は語っている。(エレミヤ31:16-17)
主はこう言われる。
泣きやむがよい。
目から涙をぬぐいなさい。
あなたの苦しみは報いられる、
と主は言われる。
息子たちは敵の国から帰って来る。
あなたの未来には希望がある、
と主は言われる。
息子たちは自分の国に帰って来る。
つまりそれがイエスということになるのだろうか。
最終更新:2016年09月24日 16:24