バビロン捕囚後の年表

ユダ王ゼデキヤの子ペダヤの子ゼルバベル

ペルシャ王クロスの元年に、ヤハウェはさきにエレミヤの口によって伝えられたヤハウェの言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの心を感動されたので、王は全国に布告を発し、また詔書をもって告げて言った、
エズラ記3:1
こうしてイスラエルの人々はその町々に住んでいたが、七月になって、民はひとりのようにエルサレムに集まった。
エズラ記3:8
さてエルサレムの神の宮に帰った次の年の二月に、シャルテルの子ゼルバベルとヨザダクの子エシュアはその兄弟である他の祭司、レビびとおよび捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々と共に工事を始め、二十歳以上のレビびとを立てて、ヤハウェの宮の工事を監督させた。
エズラ記4:7
またアルタシャスタの世にビシラム、ミテレダテ、タビエルおよびその他の同僚も、ペルシャ王アルタシャスタに手紙を書いた。
エズラ記4:24
それでエルサレムにある神の宮の工事は中止された。すなわちペルシャ王ダリヨスの治世の二年まで中止された。
エズラ記6:15
この宮はダリヨス王の治世の六年アダルの月の三日に完成した。
紀元前539年に神殿の復興がキュロス2世により宣言された。
紀元前539年7月にゼルバベルなどのイスラエル人はエルサレムに戻り、紀元前538年2月に工事が着工した。
建設は紀元前522年~521年の間に中断した。
紀元前517年12月3日に神殿は完成した。

王妃エステル

アハシュエロス王が首都スサで、その国の位に座していたころ、その治世の第三年に、彼はその大臣および侍臣たちのために酒宴を設けた。
エステル記2:16
エステルがアハシュエロス王に召されて王宮へ行ったのは、その治世の第七年の十月、すなわちテベテの月であった。
エステル記3:7
アハシュエロス王の第十二年の正月すなわちニサンの月に、ハマンの前で、十二月すなわちアダルの月まで、一日一日のため、一月一月のために、プルすなわちくじを投げさせた。
エステル記8:9
その時王の書記官が召し集められた。それは三月すなわちシワンの月の二十三日であった。
アハシュエロス王は紀元前484年に王妃ワシテに拒絶された。
紀元前480年10月にエステルは王妃に選ばれた。
紀元前475年1月にハマンはユダヤ人殺害を命令した。この命令はエステルにより3月に取り消された。
紀元前475年12月にユダヤ人の敵たちへの殺害の命令が実行された。

レビ族アロンの子エルアザルの子ピネハスの子アビシュアの子ブキの子ウジの子ゼラフヤの子メラヨトの子アザルヤの子アマルヤの子アヒトブの子ツァドクの子シャルムの子ヒルキヤの子アザルヤの子セラヤの子エズラ

エズラ記7:7-9
アルタシャスタ王の七年にまたイスラエルの人々および祭司、レビびと、歌うたう者、門衛、宮に仕えるしもべなどエルサレムに上った。そして王の七年の五月にエズラはエルサレムに来た。すなわち正月の一日にバビロンを出立して、五月一日にエルサレムに着いた。
エズラ記8:15
わたしは彼らをアハワに流れる川のほとりに集めて、そこに三日のあいだ露営した。
エズラ記8:31
われわれは正月の十二日に、アハワ川を出立してエルサレムに向かったが、われわれの神の手は、われわれの上にあって、敵の手および道に待ち伏せする者の手から、われわれを救われた。
エズラ記10:9
そこでユダとベニヤミンの人々は皆三日のうちにエルサレムに集まった。これは九月の二十日であった。すべての民は神の宮の前の広場に座して、このことのため、また大雨のために震えおののいていた。
エズラ記10:16-17
そこで捕囚から帰って来た人々はこのように行った。すなわち祭司エズラは、氏族の長たちをその氏族にしたがい、おのおのその名をさして選んだ。彼らは十月の一日から座してこの事を調べ、正月の一日になって、異邦の女をめとった人々をことごとく調べ終った。
祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。
ネヘミヤ記9:1
その月の二十四日にイスラエルの人々は集まって断食し、荒布をまとい、土をかぶった。 9:2そしてイスラエルの子孫は、すべての異邦人を離れ、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした
エズラは紀元前459年1月1日にバビロンを出発し、5月1日にエルサレムに着いた。
エズラの一行は紀元前459年1月9日~11日にアハワ川のほとりに宿営し、12日に出発した。
紀元前459年9月20日、エズラはユダ族とベニヤミン族を集めた。
異邦人の女を娶った者の有無を、エズラは紀元前459年10月1日から紀元前458年1月1日まで調べた。
紀元前445年7月1日、水の門の前で律法の書を読んだ。7月24日に神への懺悔をし、契約を結んだ。

ハカルヤ(ハカリヤ)の子ネヘミヤ

ネヘミヤ記1:1
ハカリヤの子ネヘミヤの言葉。第二十年のキスレウの月(=9月)に、わたしが首都スサにいた時、
ネヘミヤ記2:1
アルタシャスタ王の第二十年、ニサンの月(=1月)に、王の前に酒が出た時、わたしは酒をついで王にささげた。
ネヘミヤ記5:14
またわたしは、ユダの地の総督に任ぜられた時から、すなわちアルタシャスタ王の第二十年から第三十二年まで、十二年の間、わたしもわたしの兄弟たちも、総督としての手当てを受けなかった。
ネヘミヤ記6:15
こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。
ネヘミヤ記13:6-7
その当時、わたしはエルサレムにいなかった。わたしはバビロンの王アルタシャスタの三十二年に王の所へ行ったが、しばらくたって王にいとまを請い、エルサレムに来て、エリアシブがトビヤのためにした悪事、すなわち彼のために神の宮の庭に一つのへやを備えたことを発見した。
ネヘミヤは紀元前446年9月からペルシャのスサで祈りをはじめた。
紀元前445年1月にエルサレムに向かった。
エルサレムの城壁は紀元前445年5月4日から修復が開始され、6月25日に完成した。
ネヘミヤは紀元前434年にペルシャのスサに戻り、しばらくしてエルサレムに戻った。
最終更新:2017年04月02日 07:28