胎内記憶


概説

胎内記憶は、子どもが母親の胎内にいたときの記憶を指す。なお、広い意味では、受胎記憶(受胎の時の記憶)、胎内記憶(肉体を持った後、誕生までの記憶)、誕生時記憶(誕生の時の記憶)、過去生記憶(前世など過去の生での記憶)、死亡時記憶(過去の生での死亡時の記憶)、中間生記憶(死から受胎までの記憶)をまとめて胎内記憶と呼ぶ事もある。大門正幸は女性約1万人を対象にそれらの記憶を語る子どもの割合を調査しており、過去生記憶が4.0パーセント、中間生記憶が13.3パーセント、(狭義の)胎内記憶が28.1パーセント、誕生時記憶が16.2パーセントという結果が出ている。なお、この数字には自発的に語った子どもと訊かれて初めて語った子どもの数値が含まれる。この他、受精(受胎)記憶精子記憶卵子記憶といったものを語った子どももいたという。

子どもたちは4歳を過ぎると胎内記憶をなくしていくとも考えられ、胎内記憶保有率の経時変化について、池川明は6歳までの子どもが38パーセント、小学生は約9パーセント、中学生は約5パーセント、成人は1パーセントと年齢と共に下がっていく事が分かっていると述べている*1。池川によれば、バーストラウマ(誕生時の心の傷)は、後の慢性疾患や情緒不安定の引き金になり、子どもの人生に重大な影響を及ぼす可能性がある事が分かってきているという。*2

記録の歴史

出生前・周産期記憶研究の起源は、1980年頃迄遡り、Association for Prenatal and Perinatal Psychology and Health(APPPAH)の設立に繋がる活動をしていたトマス・バーニー、デーヴィッド・チェンバレン、デーヴィッド・チークらの研究がある。トマス・バーニーは、胎児の感受性は母親のホルモンによって芽生えると述べ、胎児にも感情や記憶がある事を説いた。また、デーヴィッド・チェンバレンは、1975年、心理学者として心身の問題の根本原因を探るため、患者を催眠状態に入れた際、患者たちは出生の記憶を口にしたといい、それを切っ掛けに研究と調査に着手し、赤ん坊の複雑な記憶や意識の存在を発見したという。*3

山川俊宏(山川紘矢)は、2015年を起点として20年以上も前、アメリカにいた時、3歳くらいまでの小さな子ども達の中には、「お空にいたころ、どの人がいいかなぁと思って、お母さんになってくれる人を探していたの。とてもやさしそうな人だったから、お母さんを選んでうまれてきたんだよ」等と言う子どもがいるという話を聞いた時は「本当にそんなことがあるのだろうか」と驚いたと述べている*4。また、日本では、飯田史彦『生きがいの本質』(1999年)の中で、彼の本の読者から届いた手紙の内容として、生まれる前の記憶について触れられたものが紹介されている。
また、産婦人科医の池川明はクリニックを訪れる母親や協力してくれる保育所にアンケートを依頼し、2000年に行った調査では回収した79枚のアンケートの内、胎内記憶がある子どもが53パーセントで、誕生時記憶がある子どもは41パーセントであったという*5。また、長野県諏訪市(2003年8月~9月)と塩尻市(2004年12月)に両市内の保育園と幼稚園に調査協力を依頼し、「子どもが胎内にいた時の記憶や誕生時の記憶を覚えているか」についてのアンケート調査を行った。その結果、3人に1人の子どもに胎内記憶があるという事が分かったという*6
さらに、聞き取り調査では、母親の胎内に入る前の記憶である中間生記憶について、語る子どもがいる事も分かっている。このような調査が契機となり、池川と子ども達のインタビューの様子を記録したドキュメンタリー映画『かみさまとのやくそく』(荻久保則男監督)が製作され、現在でも全国で自主上映会が行われている。

生まれる前の記憶

「生まれる前は神や天使や妖精と共に雲や空の上に居て、どの母親のもとに生まれるかを決めた」「天国のテレビで、お母さんとお父さんを見て、ここに生まれてこようと思った」など自分の意志で共に生きる家族を選んで生まれたという証言が多々ある。胎内記憶を語る子どもの多くは、生まれる目的は「親を成長させること」や「自分の人生のテーマを追求すること」と述べているが、このような発言は、退行催眠によって、我々が生きる目的は魂を成長させる事だという世界観が見出されている事とも整合していると言える。

飯田史彦は、生まれる前に「テレビでニュースを見ていた」というのは、実際にテレビの機械が置いてあり、ニュースが放送されているのではなく、「生まれる前の世界から、いつもこの世(物質世界)の出来事をすべて見ていた」という事を子どもなりに表現したものであると思われると述べている*7。また、臨死体験や退行催眠を経験した大人が人生回顧に於いて「人生のすべてが、まるで映画のように目前に展開されました」と証言するのは、大人にとって、テレビよりも映画の方が、実際の壮大なイメージに近いからであると述べ、映画を知らない子どもは、テレビを例に挙げるといった事も指摘している。

科学的な説明が困難であるが、脳や肉体の五感を超えた心の働きを示唆し、かつ語られた内容が事実と符合している狭義の胎内記憶の例として、池川は、母親が妊娠中に貧血でフラフラになった事を子どもに話していないにも関わらず、子どもが「ぼくがおなかにいるときもお店でしんどくなったね」といい、「お店の人が車でおうちまで送ってくれたんだよねぇ」と言い当てたというものなどを紹介している*8。この他、妊娠7箇月の時に結婚式を挙げた母親に「お母さんとお父さんの結婚式のとき、手をつないでいるのが見えた。拍手がいっぱい聞こえた。おへそから見えるんだ。」などと話した子どもがいたことや、妊娠中にビールを飲んでいたことを言い当てた子どももいたという。*9

大門正幸によれば、過去生記憶を持つ子供は中間生記憶や胎内記憶、誕生時記憶を持つ子どもとの共通点が多いといい、子どもが生まれる前に、このような複数の記憶を語った事例として、2つの家族、3つの事例について報告している。*10
2008年6月に愛知県に生まれたむーちゃんという女児の事例では、誕生時記憶、胎内記憶、中間生記憶、過去生記憶の全てが語られたという。過去生記憶としては、飛行機について話し、中間生記憶については、「雲の上に行ったことがある」や「地球を見ていた」などと発言している。そして、むーちゃんを身籠る前に母親は妊娠 3箇月で流産をしているが、流産については知らないはずのむーちゃんが、「一回お空に行ったけど帰ってきた」と発言した事があり、母親は「流産した子もむーちゃんだったのかな」と感じたとの事である。狭義の胎内記憶については、「オレンジ色の枕があって、真っ暗じゃなくて、あったかい。黄色と青と白のヒモがあった。お腹の中で逆さまに寝て、手と足を縮めていた」と発言し、誕生時についても「おふとんのトンネルみたいにして、こうやって出てきたんだよ」と発言したという。

胎内記憶に対する批判

池川明の言説に対する批判は、多数なされているが、その代表して、宋美玄による批判がある。幼児期の記憶は長期には定着せず、過去に見聞きしたものによって偽の記憶が構築されてしまう事があるため、信憑性が低いというものである。多くの子どもが「空の上から母を見ていた」、「母を選んで生まれてきた」などと同じような記憶を語っているのは、恐らく質問の仕方によるもので、子どもには質問者の期待に応えようという心理があったのではないかと思われるとしており、胎内記憶に科学的根拠はないと述べている。そして、「子どもが親を選んできた」とすると、どのような親に育てられても、子どもの自己責任にする事ができるため、虐待を肯定する事にもなり得ることを示唆している。

大門正幸は、宋の批判は大きく、「胎内記憶に科学的根拠はない (本当の記憶ではない)」という事に関する点と「胎内記憶の親を選んで生まれてくるという部分を受け入れるとすれば全て子どもの自己責任にすることができる」という倫理に関する点に集約できると述べている*11。「子どもが同じような記憶を語っているのは、質問の仕方によるもので、子どもには質問者の期待に応えようという心理があったのではないかと思われる」という批判について、キリスト教信者であった両親の信仰を根底から揺さぶったという事例や、本人が知らないはずの事実と合致する中間生記憶に関する発言で両親を驚かせた事例もある。従って、人物や発言内容に創作や虚偽がないかを慎重に検討されていない事例については不備があるという可能性がある事は否定できないが、(科学的にその原理を説明する事が困難であっても)真実性について真剣に検討するべき事例も少なからずある事は否定できない。また、倫理に関する点は胎内記憶の真実性という点とは区別して考えるべきであると言える。この点については、ジョエル・ホイットン中間生から客観的に見れば、どのような体験も不条理でも偶然でもないと述べている事や、マイケル・ニュートンが、魂は本来の生の自分の死について私達とは違った見方をすると言い、急死したり、殺されたり、不慮の死を遂げたりする事も、基本的には予め、自分の意志で選んでいるのだという事にも当てはまると言える。中間生という次元における事実や価値の一部をこの世界の言語で理解する事は全く困難であり、このような批判は的外れなものになる事もあると言えるかもしれない。さらに言えば、真理は時として人間の願望などから超然としているという点で残酷な面もあるのであり、胎内記憶についてもそれがたとえ倫理的に問題があったとしても、形而上学的に可能であるという点で真実であっても不思議ではないと言え、矢張り倫理に関する点と真実性という点は区別されるべきであると言える。

胎内記憶の真実性

エリザベス・カルマンとニール・カルマンは、胎内記憶の真実性を見極める方法として、次の12項目を挙げている。

1、自発的な発言である
2、一定期間、発言の内容に一貫性がある
3、目をじっと見て話す
4、共通の要素
5、記憶を語る年齢(幼少期)
6、事実との合致
7、淡々とした、自信に満ちた、真剣な、声の調子
8、子どもが事実を話していると感じる親の直感
9、記憶について絵で表現する
10、親にとって霊的な成長や癒しとなる内容
11、世界的な共通性
12、子どもの語る内容と、幼い頃の記憶を保持している大人の語る内容との共通性

大門正幸は、第三者から見た客観性という点で特に重要なのが6番目の事実との合致であると述べており、そのような項目を満たした事例として、「誕生時に同席した人物を正しく列挙した」「帝王切開で生まれた子が突然明るくなって驚いたと語った」「胎内にいた時に母親がよく聴いていた歌を突然歌いだした」「両親の結婚式の様子を正しく描写した」などという事例があったことを述べている*12。また、飯田史彦も彼の本の読者から届いた手紙の内容として、両親となっている2人の男女が結婚式を挙げているところや、両親が神社にお参りして「赤ちゃんを授かりますように」と祈願しているところを生まれる前に見たという子どもの話が紹介されている。他にも、結婚式の時に母親が「白いドレスで、とてもきれいだった」という具体的な記憶があった事や、前世についての記憶をもつ子どももいたという。
懐疑論者からすると、胎内記憶は十分な客観性があるとはいえず、子どもの想像やどこかで親や家族が話した内容を覚えていただけだという可能性も捨てきれないという反論もあり得るが、上述のような具体的記憶や客観的に検証された前世記憶などとの整合性を考えていく事で、そのような弱点を補う可能性があると言える。そして、胎内記憶が真実であるとすると、そのような発言に耳を傾ける事で、脳や肉体の五感を超えた心の側面や、宇宙の意志という観点から生命の誕生の意味などが窺えるのではないだろうか。

胎内記憶による霊的変容体験

人生観や生き方に変化をもたらす霊的変容体験を誘発する現象は、臨死体験お迎え体験神秘体験など多様であるが、子どもが語る胎内記憶が親の霊的変容をもたらすという事例も報告されている。*13
大門正幸は、女児ナツキちゃん(2010年10月生まれ)と男児コウキ君(2013年1月生まれ)の母親のマキコさん(1980年4月生まれ)の事例を紹介している。マキコさんは、感受性が強く一度泣き出すとなかなか泣き止まないナツキちゃんの対応に苦慮するなど、思い描いていた子育てのパターンに合わない毎日にイライラしていたという。そして、幼稚園に行くのを嫌がって大泣きするナツキちゃんに対して、マキコさんは「ママはね、ナッちゃんが生まれて来る前からずっとママのところに来てくれるのを待ってたんだよ!」と言ったのに対し、「ナッちゃんもね、空の雲の上からずっとママ見てたの。ママ大好きだよーって、ジャーンプしたの。それでね。ママのとこにきたの。でも1回戻ったんだ。2回来たんだよ!」との返事が返ってきたという。次の日、雲の上の話について訊ねてみると、「雲の上にはね、コウちゃん(弟)とコウちゃんがいて、一緒にママのとこ行こうね、ってゆってたの。あとね、もう一人女の子がいたよ」との返事が返ってきたという。このように、前に流産していた事は伝えていなかったにも関わらず、それを示唆する発言をしたり、三つ子が疑われた時に存在していたであろう胎児を指しているように思われる発言をしたりしたため、マキコさんにとって衝撃であった。さらに、ナツキちゃんは「生まれる前は「ニホンバラ」という場所で、死んだ人を助けていた。」「前世では病院で命を助けていた。人を助けるために生まれてきた。」「前世ではママのおかあさんだった。自分の子供(今のママ)が心配で心配で来た。」「弟のコウキ君が「ナッちゃん先にどうぞ」と言ったので、先に生まれてきた。」などと発言している。このような発言によって、マキコさんの子ども観・人生観は180度変わり、マーケティングの分野で活躍・成功を収めてきたマキコさんは、子ども達の胎内記憶に接した事で人生観を大きく変え、自分が地球に生まれて来た使命について考え使命に沿った人生を送るべく模索している。
このように胎内記憶の中には、臨死体験お迎え体験神秘体験などと同様に霊的変容体験として見られる事例があり、そのような観点から見ていく事で、胎内記憶の意味や真実性について見えてくる部分があるかもしれない。

  • 参考文献

飯田史彦『生きがいの本質 私たちは、なぜ生きているのか』PHP研究所 1999年
池川明『子どもは親を選んで生まれてくる』日本教文社 2007年
池川明『胎内記憶 命の起源にトラウマが潜んでいる』角川SSC新書 2008年
山川紘矢・阿部敏郎『99%の人が知らない死の秘密』興陽館 2015年
大門正幸『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』宝島社 2015年
大門正幸『「生まれ変わり」を科学する』桜の花出版 2021年
大門正幸「誕生前・誕生時記憶を語る子供たち〜日本における三つの事例」『中部大学全学共通教育部紀要』第3号 中部大学 2017年
大門正幸「子供が語る胎内記憶によって誘発された霊的変容体験」『人体科学』27巻1号 人体科学会 2018年
大門正幸「「胎内記憶」とそれに関連する言説をめぐって〜感情的な反発から理性的で建設的な提案へ〜」『人体科学』29巻1号 人体科学会 2020年
  • 参考サイト
最終更新:2024年01月06日 00:43

*1 池川 2008 p.88

*2 池川 2008 p.193-194

*3 チェンバレン 1988(邦訳 1991)p.21

*4 山川・阿部 2015 p.32

*5 池川 2007 p.30

*6 池川 2007 p.31

*7 飯田 1999 p.56

*8 池川 2007 p.19-20

*9 池川 2007 p.68-69

*10 大門 2017

*11 大門 2020

*12 大門 2021 p.99

*13 大門 2018