概説
笠原敏雄 (かさはら としお、1947年-2024年8月22日)は、日本の心理療法家、超心理学者。埼玉県秩父市出身で、早稲田大学第一文学部心理学科卒業。東京都八王子市の永野八王子病院、北海道小樽市の医療法人北仁会石橋病院心理科、東京都大田区の医療法人社団松井病院心理療法室に勤務の後、1996 年4月、
「心の研究室」を開設している。念写、
臨死体験、超能力の研究や
イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり研究などの和訳で知られる。
心の研究室
「心の研究室」は、人間の心が脳とは別個に存在する事を明らかにすることをひとつの目的として、1996年4月、東京都品川区西五反田に開設された。現行の科学知識では心は脳の活動の副産物と位置付けられるが、それ自体は観察および実験といった科学的方法によって実証されているわけではなく人間が死ぬと何もなくなるように見えるためにそう主張されている以上のものではないという。一方、人間の心が脳とは別個に存在する事の裏付けになりそうな証拠は、様々な形で存在しているという。超常現象がその証拠の筆頭に位置付けられるが、医学や心理学の中で観察され続けてきたものとしては、催眠状態の中で起こる不思議な現象や、宗教的背景の中で発生する、殆どは出血を伴う聖痕、多重人格の患者の人格交代に従って起こる精神生理学的な変化、昔の体験を想起すると、その時に受けた外傷や皮膚の変性などが即座に再現されるかに見える解除反応などが挙げられる事を指摘している。人間には、現代科学からは想像もつかない側面が、依然として数多く残されている。
心の研究室のホームページは心理療法について説明することの他に、人間の心や超常現象の研究に真摯な関心を抱いている人々に資料や情報を提供する事も目的としている。
唯物論に対する態度
唯物論は、科学的事実のみを基にして構築された理論ではなく、絶対的正当性を科学的方法によって立証することはできない事から、唯物論も臆説に過ぎないとしている。そして、人間の心が隠された能力をもっている事を裏付ける様々な証拠を、唯物論に必然的に伴う機械論と対立する目標指向性という概念を軸とし、心理療法の中で観察される現象を通じて、これまで無視ないし軽視され続けてきた心の力の実在を浮き彫りにしている。なお、心理療法中に観察される現象として、心理療法中のやり取りを録音したテープを再生すると肝心な部分(抵抗のある話題)のみ、大きな静電音が入っていたり、音量が極度に低下したりしているのが分かったという。この点について、物理的仮説(欠陥テープ仮説、外部雑音源仮説、装置作動異常仮説)及び、不正行為仮説に基づいて厳重に検討を加えた結果、そうした仮説ではこれらの現象を説明するのが難しいことが判明したという。また、近年では、ビデオ通話システムによる面接でも多種多様な特殊な電子音が繰り返され、強い場合には回線が切断されたり、OSが停止したり、最悪の場合にはパソコン自体がシャットダウンされてしまうことすらあるという。
そして、心の力の本質を推測し、唯物論は人間の心の力に対する無意識的な感情的抵抗の結果として必然的に生まれた観念論ではないかと推定できると述べ、唯物論が猛威を振るうに至った理由として、唯物論は心がもつ力に対する人間の抵抗に起因する結果、自然現象と必然的に一致する部分が多くなるため、科学的な公理であるかのごとき立場を保つ事ができるといった事を挙げている。そして、唯物論的世界観について、以下のように述べている。
科学の営みが開始されて以降、連綿と続いてきた唯物論的世界観は、これまで見てきたような多種多様にして大量の事例群を、完全に無視した上に成り立っている。パウリ効果にまつわる顛末がまさにそうなのであるが、後にノーベル賞を受賞した数多くの先端的な物理学者たちが間近から繰り返し目撃し、それらがパウリの存在によって現実に発生した物理であることをほとんど認めていたにもかかわらず、その事実を無視したところに現代物理学の理論を構築していたのであった。量子力学や相対性理論の発見も科学に大革命をもたらしたのはまちがいないが、もし心の力によって物質に影響を与えることができるとしたら、「そんななまぬるいこと」ではなく、「これまでの自然科学の根底をくつがえす大発見」になるにもかかわらずである。
現行の科学知識体系を現状のまま維持することは、現実にはもはや不可能なのであるが、それが“科学的”常識として世に君臨する状態は、真理に対する人々の「抵抗」によって支えられながら、今後もしばらく続くことであろう。第2章で述べておいたように、それは共同妄想と呼ぶべきものである。妄想であるからには、その原因がなければならない。私が考える心の理論(幸福否定理論)からすれば、肉体を離れた心の実在を、信仰としてではなく、科学的事実として認めることに対する人間一般の抵抗を、そこにかいま見ることができるのである。
意味のある偶然に対する態度
笠原自身の人と人との繋がりや、同じ時代に同じ地域で観察される人々の繋がりを辿ることを通して、人間を含めた動物には目に見えない繋がりのようなものが存在することを示唆する現象があるように思われると捉えている。そして、それらが偶然によるものではないとすれば、現行の科学知識体系ではどうしても説明できない。
また、笠原自身に起こったいくつもの偶然が重なった事例として、1983年10月1日に起こった出来事がある。笠原は、神田神保町の叢文閣という古書店に入ると、中尾良知著『透視と其實例』という稀覯書が並んでいるのが目に入り、函に入っていた本体を取り出そうとしたが、取り出せず店主に事情を話した。ところが、店主もやはり引き出せず、以外に手間取ると思ったため、「最近入荷した本ですが、これを見ていてください」と言って、福来友吉著『透視と念寫』を手渡された。これは笠原が長い間探し求めながら見つけることができなかった古書2点ののうちの1点であったという。
笠原は『透視と念寫』を手に入れるまでの経緯について、意識的なものがそこに潜在していたに違いないと見ており、単なる未来の予知を超えた“予定”のようなものも透けて見えてきたという。このような現象を素直に受け止める限り、最低でも、主体的な意志をコントロールする、脳とは独立した心が実在すると考える以外にない。笠原は、これは人間の本質を検討する上で最も重要な要素のように思うが、これまで主流科学者によって科学の俎上に載せられたことはほとんどないと指摘している。
(以下は管理者の見解)
管理者は、笠原が他界する5箇月程前に当たる2024年3月17日に東京都品川区西五反田の「心の研究室」を訪ねた。その際、人間の死後の意識の存続形態について質問をすると、笠原の解答は、死後の意識がどのような形態をとるかは分からないが、何かしら残るだろうというもので、人間は死んだら無になるとする否定派の見解については、証明され得るものではないというものであった。
臨死体験についても、脳内現象としては説明できない事例が存在する事から、死後の意識の有力な根拠になり得るといい、
生まれ変わりについては、前世なるものが存在するのは事実であるが、何が生まれ変わるのかなど、その原理は現時点では明らかではないとする立場のようである。実際、前世での死の瞬間の記憶をもっている人は多いというが、それより時間的に現世に近いはず
中間生(前世、過去生での死から生まれ変わるまでの間)の記憶をもっている人が少ない事などもその謎の一つであるという。
また、笠原の心理療法や
超心理学の理論の中心には、民族や時代に関係なく誰にでも当てはまる〈抵抗〉という概念がある事が窺える。
超心理学において、超常現象には目撃抑制(witness-inhibition)や「恥ずかしがり」現象(shyness-effect)等と言われるように記録や客観的証拠を残さない傾向があると指摘され、超常現象に対する批判者からするとそれこそ「逃げ口上」と考えられるわけであるが、そのような傾向も心が能力がある事を認める事への抵抗によって生じるとして説明している。笠原の話によれば、学会でも転生などの話になると眠ってしまう人がいる事なども同様の抵抗であるとし、超常現象に対する抵抗が強い事が、超常現象が長い時間を経てもこれほどまでに一般の科学者に認められない要因であるとしている。
因みに、
トランスパーソナル心理学やニューエイジ思想、スピリチュアリティの研究についての意義についても質問すると、笠原の解答は、殆ど意味をなさないであろうという事であった。この事は、笠原が今日の日本での
超心理学の研究が、
PKなどを統計的に分析する手法であり、実験の結果を残しても、一般的な科学者が超常現象に対する抵抗がある限り、受け入れられず、その先がないと話していた事にも通じてくると言え、真理に対する人々の〈抵抗〉なる概念を中心とする彼の理論に基づいた考えの現れであると考えられる。
最終更新:2025年04月07日 13:04