概説
お迎え体験に準ずる事象として、イギリスの医学者ピーター・フェンウィックによって唱えられた終末期体験と呼ばれる現象があるが、その中には死の直前における一時的な寛解と覚醒を指す中治り現象が含まれる。鈴木秀子も、中国の人々はこのような現象を「回光返照」と呼んでいると指摘しており、死の迫っている人々に訪れる「すっかり元気になったような時間」に自然との一致、自分自身との和解、他者との仲直りといった人生最後の仕事をするようだと述べているし、昏睡状態の人々や何年も誰とも会話らしい会話をしていなかった人々でさえ、死を目前にすると口を利き、助言をしたり、相手を許したり、愛を伝えたり、さらには友人や家族に謎めいた言葉を残したりするという指摘もある。
このような現象は、近年、終末期明晰(terminal lucidity)、または死の前の覚醒(lightening up before death)と称され、知的能力を永久に失ったと思われていた患者の意識の清澄さや自意識や記憶力や明晰な思考力が、思いがけず恢復した事を指す。また、中には患者の外見に目に見える変化(10歳から15歳若返ったように見えたなど)があったことを報告している事例もある。
ヴィクトール・フランクル研究所所長であり、この種の現象に着目したアレクサンダー・バティアーニは、ドイツ語圏の国々(ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン公国)のホスピスと緩和ケア病棟と介護施設に質問票を送った。そして、数週間のうちに、29件の回答が得られ、それらを分析したところ、初期の発見と重なる点が見えてきたという。そして終末期明晰が起こるのは、特定のタイプの神経疾患に限らず、バティアーニが受け取った事例報告の半数以上は認知症患者であったが、その他にも脳腫瘍や外傷性脳損傷、脳卒中後の認知障害を患う患者や、詳しい記載はないが深刻な認知障害を抱える患者の事例もあったという。
終末期明晰の事例
終末期明晰の目だった事例の一つとして、アンネ・カタリーナ・エーマー(通称はケーテ)の事例(ドイツの生物学者ミヒャエル・ナームの事例集を出典とする)がある。ケーテは1895年5月30日生まれであったが、生まれながらに知能が低く、言葉を話せるようにならなかったといい、どこか一点をひたすら見つめ、何時間も身体を揺すっていたり食べ物をがつがつ食べ排泄したり動物じみた奇声を上げたりして眠る以外の命の躍動を長い間、彼女の中に見たことがなかったという。そのような彼女が亡くなった日について以下のようなエピソードがある。
一九二二年三月一日――ケーテが亡くなった日――の朝、看護師がケーテの主治医にこんなことを言った。「あの子、もうじき死ぬんじゃないでしょうか。さっきからずっと小さな声で歌っているんです」。そのケーテの死について、同院の医師ヴィルヘルム・ヴィトネーベンが次のような証言をしている。
死にゆく者の部屋に入ったとき、われわれは自分の目と耳を疑った。生まれながら重度の知的障害であるケーテが、なんと自分の辞世の歌をうたっていたのだ。「いずこにありや、魂のふるさとは。いずこにありや、魂の安らぎは。安らぎ、安らぎ、天の安らぎよ!」。ケーテは三〇分ほど歌っていた。その顔は神がかっており、普段とは別人のようだった。それから、ケーテは静かに眠りについた。看護師は涙ぐみ、医師もまた目に涙を浮かべながら、こうつぶやき続けていた。「わたしはいま、医学の神秘を前にしているのだ。やれと言われたら、頭蓋を切り開いて、ケーテの大脳皮質がまったく使いものにならず、思考など解剖学的に不可能であることを証明できるだろうに」
要するにケーテは、周囲の出来事に気づいていないわけではなかったのだ。それどころか、目の前で起きていることを十分理解してもいた。自分のまわりでもなければ、どこで彼女がそんな歌の歌詞をや節を覚えられるというのか? そのうえケーテは、歌の目的を理解し、それを人生の決定的なタイミングで歌っていた。「奇跡のよう」とは、まさにこのことだ。だが、それ以上に奇跡的だったのは、それまで一切口をきけなかったケーテが、突然、歌の歌詞をはっきり口ずさめるようになっていたことだ。たとえ髄膜炎を何度も起こしたせいで、大脳皮質に広範な構造上の変化が起きていたとしても、あの少女が死の前にいきなり明瞭に、しかも意味を理解して歌えるなど、理屈ではとうてい考えられない。
また、バティアーニはおよそ1年の間をおいて亡くなった父親と母親の両方の終末期明晰を目撃したという人の話を紹介して言える。その人の父は死ぬ前に4時間ほど意識が驚くほどはっきりしていたようで、テレビでやっている西部劇の話をしたという。そして、その1年後、母が意味のある話が一切できなくなり、やがて上気道感染症にかかって入院した際、病院のスタッフから自宅に帰して看取りの準備をしてはどうかと提案され、その人は親類に連絡し母に会いに来てほしいと頼んだという。その時のことについて以下のようなエピソードが紹介されている。
わたしが病院に着くと、なんと母が話しかけてきました。髪を染めて洗いたいから、浴室へ行くのに手を貸してほしいと言うではないですか! もう、びっくり仰天です。わたしの娘が母の髪を染め、わたしたちはあたふたと母の身支度を手伝いました。ベッドに連れて戻ると、今度は口紅を塗りたいと言われました。酸素マスクはなし、です。わたしも、母の在宅介護を手伝ってくれていた娘もおばも、わけがわからずに三人で顔を見合わせてばかりいました。こんなことってあるの、と。
およそ二時間後、親類たちが到着しました。母は食事をし、みんなと歌をうたい、あれこれ話をしました。親類たちの近況についても尋ねました。すべてがそんな調子だったので、わたしがみんなに変な目で見られたくらいです! おじは、看護師を雇ってあげるから、わたしとおばはちょっと休みを取るといいと言いました。母は元気そうだから、と……実際、そのときはそうだったのです。
でも、一行をエレベーターまで送って戻ってくると、母の言っていることはまたわからなくなっていました。身体が痛むときによくしかめっ面をしたので、看護師に痛み止めをもらいました。その後、病室に電話をかけてきたおばに様子を訊かれ、わたしが事情を話すとおばはとても驚いていました。そうしてふたりで話していたとき、母が目を開け、私の手をぎゅっと握って、こう言ったのです。「かわいそうなわたしの子」と。
それを最後に、母は逝ってしまいました。わたしはショックでぼうぜんとしました。これはいったどういうこと? その日の一連の出来事には、わたしたち全員が本当に困惑させられました。おじに電話をかけて知らせると、おじも大きなショックをうけていました。
終末期明晰の発生状況と分類
終末期明晰はいまでも比較的稀な現象であり、終末期患者の約6パーセントが終末期明晰のエピソードを経験するとの研究結果がある。
バティアーニの報告によれば、終末期明晰を経験した患者の年齢についても幅は広く、手術不能な脳腫瘍を発症した8歳の少女から、アルツハイマー病の100歳の患者までおり、患者の約2割が65歳以下であったという。
終末期明晰の経験の長さに関しては、10分から数時間の間に収まるといい、10分未満だった、あるいは半日以上続いたというケースは10例に1例ほどしかなかったという。また、終末期明晰の経験中の患者の認知状態という観点から、バティアーニは終末期明晰を以下の4つのタイプに分類できるとしている。
[1]覚醒し、話に一貫性があり、「ほぼ正常な」言語によるコミュニケーションが可能。
[2]覚醒し、意識は明瞭だが、言語によるコミュニケーションに一貫性があると言えるかどうかは不明。
[3]覚醒し、意識は明瞭だが、言語によるコミュニケーションに一貫性はほとんどない。
[4]覚醒し、一見意識は明瞭だが、コミュニケーションは非言語でおこなわれる(身振りや目線など)。
また、バティアーニの集めた事例では、患者の約3分の1が終末期明晰の後2時間以内に、別の3分の1が2時間から1日以内に、5分の1が2日から3日以内に亡くなっていることなどから、明晰性と死に強い関連がある事を示唆している。一方で、逆説的明晰と呼ばれる現象があり、これは終末期明晰とあらゆる点で似ているものの、終末期明晰の患者がその後まもなく弱って亡くなるのに対し、死とは無関係に生じているらしい明晰性のエピソードを指す。そのような話として、ホスピスのチャプレンであるロン・ウートン=グリーンが報告したリズという88歳の患者の話があり、リズは明晰さを見せた後2週間生存していたという。
終末期明晰の解釈
認知症のような慢性的な神経疾患は大抵不可逆であり、いったん発症したら元に戻らないため、終末期明晰は科学的には説明がつかないと言われる。バティアーニは終末期明晰に近い現象として
臨死体験の存在を挙げている。また、
臨死体験は医学的危機の最中のどのタイミングで起きるかが判然としない事や、極めて主観的な体験であるという意見もあるが、終末期明晰はそのような弱点がなく臨死体験のデータの弱点を補うことができる可能性も指摘されている。
実際、
臨死体験においても、
知覚が鋭敏化するという報告がしばしばあるが、臨死体験と終末期明晰の関連性の中に死とその直前の極限条件下で、人間の精神活動で一般に見られる無傷の脳機能への依存が緩む(脳機能が低下したタイミングに認知機能と精神機能が高まる)という考えに対するヒントがあるのかもしれない。そして、さらに広い意味では、脳と心の関係の境界ないし極限条件下では心を脳の機能に帰そうとする脳還元論は成り立たなくなる。イスラエルの哲学者であるアヴィシャロム・エリツールは、少なくとも日常的な場面で自己が脳内で起きていることに依存しているようにしか見えないのは、日常における心と脳の関係は皆既日食における太陽と月の関係に似ていると言い、アヴィシャロムは
臨死体験や終末期明晰は日食が終わった後に起こる大部分と重なると見ている。また、バティアーニは終末期明晰を説明し得るモデルとして
脳濾過装置理論についても言及している。
最終更新:2024年09月30日 02:08