トランスパーソナルとは、ラテン語の「横切る、超えていく」を意味する「trans」と英語の個人を意味する「personal」を組み合わせたもので、個人の間にあると思われている自他の境界を横断し、人間の性格を形作る国籍や文化、人格などを乗り越えていくことによって根本的に全てが繋がりあっている事を示す言葉で、トランスパーソナルという概念には、想像以上に深い意味があると言える。
トランスパーソナル心理学は、個を超えた繋がりを志向する心理学であり、人種、性別、思想信条の違いや過去・現在・未来といった世代を超えた繋がり、大自然との繋がりといった水平次元での繋がりを志向する。さらに、自己の深層無意識やそれを突き抜けた真実の自己との繋がりなどといった垂直次元での繋がりへと自分を開き、個を超えていく事を説く心理学である。トランスパーソナル心理学では、全ての物事は本来、1つでありつながっていると考えるところも重要であり、心理学におけるパーソナルからトランスパーソナルへの転換は、科学の分野では機械論的世界観からホリスティック(統合的・全体的)な世界観への転換と同様の方向にある。なお、トランスパーソナル心理学の人間観は、ジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングを始めとする様々な西洋心理学の学派の人間観に加えて、これまで西洋や東洋の思想の中で語られてきた多様な人間観、世界の先住民における神話的世界観を組み込みその統合を目指してきたと言え、魂や目に見えない次元の復権を図る心理学であるとも言える。個を超えたもの(生態系、地球、宇宙、ブラフマン、神、空)との一体感の復権を図るという点で、宗教的でありながら、他者により再実験、反論、修正が可能であるという意味では科学的である。しかしながら、トランスパーソナル心理学はある種の
神秘体験や超常体験を肯定的に評価し、その受容を通じて人間の精神的成長を目指そうとする性質をもっているため、既存の心理学体系と衝突する側面を孕んでいると言え、それ故、伝統的な科学、心理学の立場から異端視されている点も否めない。
このようにトランスパーソナル心理学が重視する繋がりとして具体的には、より大きな意味に満ちた現実とつながる体験、死後の世界、宇宙との融合感、母胎への回帰や過去生などのイメージといった霊的な次元の経験が含まれている。石井登は、
臨死体験による心理的、人格的成長の極限には、自己超越体験があるといったことを指摘しており、このような体験については、変性意識状態が持つ人間成長上の意義を重視するトランスパーソナル心理学という領域での研究によって見えてくる部分があると考えられる。また、トランスパーソナル心理学は
臨死体験や
前世療法によって見えてくる過去生を主観的な話でも客観的な話でもなく第三の領域
「イマジナルな世界」で体験される現象(変性意識における現実の体験)として理解すると言える。なお、イマジナルな世界とは幻覚や空想の類でも想像力によって拵えた世界でもなく、通常の五感には姿を現さない変性意識状態における領域という事になる。菅靖彦も、私たちは単なる想像力とみなしているが、普段、私たちが想像力と呼んでいるものは、矮小化されたイマジネーションの影に過ぎず、本来は通常の感覚的知覚を超えた広大な無意識の世界に自在に出入りする能力を表すものなのだという。このような捉え方は、意識の新たな側面を提示するとともに
臨死体験について脳内現象か現実体験かといった単純な解釈では説明できない側面を捉え得る可能性がある。
神秘体験や
臨死体験、過去生記憶などといった非日常的な意識体験は、通常の意識体験と同様の土俵では、その意味を理解することが困難であると言え、その意味を本当に理解するためにはそれぞれの意識状態に応じた領域が必要になると言えるが、宇宙規模の壮大なスケールで人間の生死の意味を考えるトランスパーソナル心理学はそれらの解釈に新たな展望をもたらすと考えられる。一方、個を超えた繋がりを志向するトランスパーソナル心理学は、個的実体としての「私」の意識に執着していないため、直接的に死後の世界を設定し、超心理学に於いてしばしば問題とされるような個としての自分の
死後存続、死後生存を問題にしているわけではないと言える。また、個体を離れた個性とは違う意識がトランスパーソナル心理学の地平であり、その地平では生と死の境界が曖昧になるとも考えられる。
トランスパーソナル心理学の歴史
トランスパーソナル心理学が誕生する前、心理学には3つの大きな流れがあった。第1の流れが、行動主義心理学、科学的心理学と言われ、客観的で機械的で実証主義的な心理学である。第2の流れがジークムント・フロイトの精神分析から生まれたグループで、
夢や無意識を扱う流れである。そして、第3の流れが、これら2つの流れを否定する形で生まれたもので、
人間性心理学と言われる。このグループの形成に影響を及ぼしたのがアブラハム・マズローであり、人間性心理学の発展プロセスの中で心理学第4勢力であるトランスパーソナル心理学が生まれた。ちなみに、各心理学における意識構造の比較を岡野守也は以下のような図で表している。
(岡野守也『トランスパーソナル心理学』p.27より)
自我という概念は、個人の身体という存在を切り離して考える事はできないが、自我の発達と確立を重視した
自己実現が人間の成長の最終段階ではなく、自我と呼ばれる領域を超えて成長していく可能性をもっていると考えられる。マズローは、人間の成長が自己実現を越えた自己超越にまで広がることを予感しており、チェコスロバキアで3000以上のLSDの臨床例の研究から同じような結論に達していた
スタニスラフ・グロフとの出会いをきっかけに、人間性心理学を越えたトランスパーソナル心理学の設立の必要性を感じ、1960年代後半にマズローとグロフとの話し合いにより新たな心理学の動向に「トランスパーソナル」という名前が付けられた。諸富祥彦は、これをトランスパーソナル心理学の成立と捉えている。そして、1969年にマズロー、アンソニー・スティッチ、グロフを中心として、メダルト・ボス、ヴィクトール・フランクル、
ロベルト・アサジオリ、アーサー・ケストラー、アラン・ワッツなどの賛同を得て、
トランスパーソナル心理学会が創設され、スティッチやマイケル・マーフィー、ジェイムズ・フェディマンらが編者となって『トランスパーソナル心理学研究』が創刊、本格的な学術研究が開始された。
なお、トランスパーソナル心理学の成立の土台を用意していた人物として、他にも、トランスパーソナルと訳されるドイツ語を
集合的無意識とほぼ同じ意味で用いていたカール・グスタフ・ユングや、ハーバード大学の授業のためにトランスパーソナルという用語を準備していた
ウィリアム・ジェームズ、さらにイタリアの精神科医でフロイトの弟子でアリス・ベイリーの弟分の
ロベルト・アサジオリといった人物を挙げることができる。そして、あらゆる民族と文化に共通の真理であるとされる永遠の哲学の新しい表出形態をトランスパーソナル心理学とみなすなら、その起源は近代オカルティズムにも大きく影響を受けていると言え、20世紀後半に現れたヒッピーから、ニューエイジの運動、ニューサイエンスという流れなども重要な背景となっていると言える。
超心理学との接点
超心理学者であり、トランスパーソナル心理学者でもある
チャールズ・タートは両者の密接なる関係を指摘している。
超心理学は、歴史的には心霊研究の延長線上に登場したもので、
死後存続の可能性を探るという可能性を持っていると言えるが、トランスパーソナル心理学も
超心理学も霊性(spirituality)を探求するという点で対話が可能で協調関係を築き得ると言われ、特定の宗教的な信念や信仰に縛られない「開かれた霊性の探求」という問題意識を持つことが重要であると言われる。また、石川幹人は、
超心理学とトランスパーソナル心理学の協働可能性を2つの面から指摘している。1つは、トランスパーソナル心理学が培った知見の超心理学実験への導入であり、もう1つは様々な体験報告から理論を紡いでいくトランスパーソナル心理学の発展に
超心理学の知見を応用する事である。トランスパーソナル心理学の発展に
超心理学の知見を応用する事で、体験者の文化的背景や宗教的信奉、願望や畏怖、言語表現の制約などによる副次的影響を取り除き、体験報告から本質を引き出す事に繋がる技術が蓄積されると述べている。
そして、トランスパーソナルの地平から超常現象を語るならば、(
ケン・ウィルバーが言うような)人々の自己超越あるいは超意識の段階(状態)に呼応する形で超常現象が発生すると言え、超常現象そのものを客体として突き放して扱おうとする科学的、合理主義的態度では捉えにくくなると言える。
中村雅彦は、超常現象は観察者や参加者自身の心理状態が意識的な自我の範囲を超え出て拡張している時に漸く顔を覗かせる性質をもっていると言え、現象を観察する主体である人間の「こころの準備」が整ったときに超常現象は向こうから正体を現してくれるという。
最終更新:2025年07月23日 10:38