デヴィッド・ボーム

概説

デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム(David Joseph Bohm、1917年12月20日-1992年10月27日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州出身の物理学者であり、理論物理学、哲学、神経心理学およびマンハッタン計画に大きな影響を及ぼし、量子力学の世界的権威としてホリスティックな世界観の理論的指導者としても知られる。1939年にペンシルベニア州立大学を卒業し、カリフォルニア工科大学に1年間在籍後、カリフォルニア大学バークレー校のロバート・オッペンハイマーの下で理論物理学を学び、ここで博士号を得た。

物理学における新たな秩序と全体性

物理学における革命的な変化の際には常に、新しい秩序の認識がなされるというが、ボームは量子論を考察することによって示される新しい秩序に関する提案を論じている。
ボームは、量子論は、秩序と度に対して相対性理論よりもはるかに根本的な変化を引き起こすものを含んでいると言い、量子論における4つの特徴を考察している。機械論に疑義を呈するそれらの特徴として、作用量子の分割不可能性(運動は一般に不連続)、物質の波動性と粒子性の二重性(観測される状況の文脈で定まる)、統計的に明らかにされる潜在的可能性としての物質の諸性質、非因果的な相関(アインシュタイン=ポドルスキ―=ローゼンのパラドックス)を挙げているが、このような内容は旧来の秩序概念に当てはめるのは適当ではなく、新しい理論的な秩序概念に同化する事(分割されぬ全体性)が要請されると見ている。

因みに、ボームは、文明の初期段階に於いて、人間の物の見方は断片的ではなく、本質的に全体的なものであり、東洋の哲学や宗教は、全体性を強調し、世界を諸部分に分けて分析する事の無益さを示唆しているという*1。今日でも東洋(とくにインド)では、全体的なものの見方が今なお生き続けており、非言語的な瞑想の技術をも含んでいるという。実際、ボームは根源的な世界観・宇宙観という点でインドの哲人ジッドゥ・クリシュナムルティから影響を受けている。なお、ボームは科学が神秘主義の正しさを証明できるかという問題については一筋縄ではいかない問題であるとし、神秘体験を実際にもった事のない人にとってその体験が何を意味するかを知る事が問題であるという。*2

内蔵秩序と顕前秩序(暗在系と明在系)

内蔵秩序または内在秩序とは、原文ではインプリケート・オーダー(implicate order)が元の用語で、これは顕前秩序または外在秩序、原文ではエクスプリケート・オーダー(explicate order)に対比させられている。竹本忠雄はインプリケート・オーダーを暗在系として、エクスプリケート・オーダーを明在系と訳している。インプリケート・オーダーとは本来の流動的全体性が“implicit”(黙示的)に“enfold”(含みこむ)される秩序のことを示す。包みこまれているため秩序が隠れたままになっている。これに対してエクスプリケート・オーダーは“unfold”(展開する、明らかにする)されて、外部に巻き上がっている。
内蔵秩序とは、現実のより深く、より基本的な秩序を表すのに対して顕前秩序とは、人間が目にするものの抽象概念である。「もの、すなわち粒子、物質、つまるところ、あらゆる対象」は、より深い実在の比較的自律的で比較的局在的な特徴として存在するという観点から、粒子の振る舞いを理解しようという試みであるとも言える。因みに今日では、土井利忠も指摘しているように、内蔵秩序(暗在系)がユングの集合的無意識と類似し、精神世界を解明する秘鑰になるとする見方もある。ボームは部分と全体を分ける事を忌避している事は良く知られるが、内蔵秩序では時空間の各領域が存在の総体を含み込んでいる事について以下のように述べている。

だがさらに一般的に言えば、そのような個々の空間領域に存在する光の運動は、被写体の構造全体に特有な、秩序や度にかんする厖大な差異を陰伏的に含んでいるのである。そればかりではない。原理的にはこの構造を宇宙全体にまで、そして全過去・全未来にまで拡張することができる。例えば夜空を仰ぐときを考えてみよ。われわれはそこに、宏大な時空の拡がりにわたって見出される多くの構造を識別することができる。だがそれらはあるいみで、眼球で囲まれたちっぽけな空間内の光の運動中にすべて含みこまれている(また光学および電波望遠鏡などの機器を考えて見よ。それらを使えばこの全体に含まれる構造をはるかに多く識別できるが、それらはみなこれらの機器内の空間領域に含まれている)。
ここに新しい秩序概念の萌芽がある。この秩序はたんなる対象や事象の規則的配列(対象がある列をなす、事象が連続継起する等)として理解することはできない。むしろ時空領域のそれぞれに、ある陰伏的ないみで、全体の秩序が含みこまれているのである。*3

アナロジー

ボームは内蔵された秩序の例としてテレビが電波から信号を受け取って映像を映し出すことを上げた。テレビ放送では、視覚像が時間秩序に翻訳され、それが電波として運ばれるが、視覚像中で近接する点どうしが、電波の中で必ずしも近接しているとは限らない。電波は視覚像を運ぶので電波に含まれる信号は内蔵秩序であり、テレビの受像機はそれを顕在化させる。彼はまた例として次に述べる現象を取り上げた。壁が回転する円筒の容器にグリシンなどの高い粘性を持つ物質を入れ、そこにインクを注入する。その後、壁をゆっくりと回転させると、粘性物質は壁の回転により引きずられ、インクは徐々に糸状に変形し、液全体に拡散し、「でたらめに」分布しているようである。しかしながら、この壁を逆方向に回すと初めのインクの液滴の形が復元されるのである。インクの液滴の形の情報は可逆的な形で粘性物質全体に保存されている。ボームによれば、このときインク液滴の秩序が粘性物質に内在しているのである。壁を逆回転させたときに粘性物質全体に内在化されたインクの形状は再び顕前化して目に見えるようになる。

分割できぬ全体性とホログラム

ホログラム(完全写像記録)の働きの本質的特徴は、被写体の構造全体の秩序が、各々の空間領域に包み込まれ、光の運動の中で運ばれる事であるが、ボームは内蔵秩序を特徴付けるものとしてホログラムを取り上げている。ちなみに、ホログラムという表現だと静的であるとの理由から全体運動(ホロムーヴメント)と呼ぶべきだとしており*4、ホログラムは全体運動を表示する一つの方法に過ぎない事となるが、この辺りはボームが自分のものも含めどのような理論も、絶対的に正しい事はあり得ないと考え全ては真実の近似値に過ぎず、無限かつ分割不可能な領域を図示するために用いられる有限の地図と考えている事にも通じてくると思われる。なお、前記のインクの例がホログラムの場合と相似している事について以下のように述べている。

ここで起こっていることが、ある重要ないみでホログラムの場合と相似していることは明白である。しかし両者の間に差があることもまた確かである。じっさいこのばあい、攪拌されて液が連続的に運動したとしても、十分細密に分析すればインクの部分〔染料粒子〕どうしはやはり一対一応対していることが見出されるであろう。それにたいし、ホログラムの働きにはそのような一対一対応は存在しない。このようにホログラムの場合(また量子の文脈でなされる実験の場合にも)、その内蔵秩序(implicate order)はさらに微細な顕前秩序(explicate order)の複合として考えることは出来ないのである。*5

また、スタンフォード大学の神経心理学者カール・プリブラムとの共同研究で、ボームはプリブラムの基礎理論の確立を助けた。脳は量子力学の原理と波動のパターンの特性に従ってホログラムのように処理を行うという理論であるが、プリブラムとボームの理論を合わせて考えると、私たちの脳は、他の次元(時間と空間を超えた深いレベルに存在する秩序)から投影される波動を解釈し、客観的現実なるものを数学的に構築しているという事になり、脳はホログラフィックな宇宙に包み込まれた一つのホログラムという事になる。*6

意識と物質の共通の基盤

ボームによれば、内蔵秩序の叙述は物理学の内部から始まり、軈てそれは意識の領域にまで拡張され、その両方向に沿って宇宙と意識の両者を分断できぬ単一の運動の総体として理解する事が可能になるという*7。すなわち、ボームは内蔵秩序が意識にも物質にも適用でき、そこから両者の一般的な関係が理解され、延いては両者の共通根拠について何らかの見解に到達できるのではないかと提案している。ボームはある瞬間にはある特定の秩序が外在しており、また同時に他の全ての瞬間を内包しているとの考えに基づいて記憶の蓄積について以下のように述べている。

するとここで、われわれの記憶は上述した過程の特殊な場合であると言ってよい。じっさい[記憶で]記録されるものはすべて脳細胞中に包み込まれて保持されているが、脳細胞は上で述べた物質一般の一部だからである。記憶は相対的に独立した亜総体であり、そこには再起性と安定性が存在する。しかしその再起性と安定性を支えているまさにその同じ過程から、その一部として生じているのである。
するとここから、意識の顕前的かつ顕現的秩序は物質一般のそれと究極的に区別されないという結論が導かれる。元来それらは、全てを包括する単一の秩序の本来的に異なる二側面なのである。そしてこれによって以前われわれが指摘した根本的事実、すなわち物質一般の顕前秩序はほんらい日常体験の意識に現れる感覚の顕前秩序でもあるという事実が説明されるのである*8

  • 参考文献

天外伺朗『理想的な死に方 「あの世」の科学が死・生・魂の概念を変えた! 』徳間書店 1996年
湯浅泰雄『湯浅泰雄全集 第十七巻 ニューサエンス論』ビイング・ネット・プレス 2012年
江角弘道・飯塚雄一「現代物理学とユング心理学の接点~暗在系と集合的無意識~」『島根県立大学短期大学部出雲キャンパス研究紀要 1』島根大学短期大学部 2007年
  • 参考サイト
最終更新:2024年02月22日 13:31

*1 ボーム 1980(邦訳 1996)p.54

*2 ウィルバー編 1982(邦訳 1983)p.342

*3 ボーム 1980(邦訳 1996)p.257-258

*4 ウィルバー編 1982(邦訳 1983)p.156

*5 ボーム 1980(邦訳 1996)p.259

*6 タルボット 1991(邦訳 1994)p.59

*7 ボーム 1980(邦訳 1996)p.294

*8 ボーム 1980(邦訳 1996)p.348