概説
ロバート・A・モンロー(Robert Allan Monroe、 1915年10月30日 - 1995年3月17日) はアメリカ合衆国インディアナ州出身の超心理学者、体外離脱の体験者であり、科学的側面と体験による裏付けを基とした
体外離脱体験(変性意識状態)の研究者である。言語学者で大学教授の父親ロバート・エメット・ジュニアと、医師である母親との間に生まれ、オハイオ州立大学で電子工学とジャーナリズムを学んで学位を得て、放送業界でライター兼企画立案者となった。1939年にニューヨークに出てからラジオやテレビのネットワーク番組を400本以上作った。その後、会社の社長を務め、実業家としての社会的地位を背景に、1971年に自身の
体外離脱体験を科学的に探究するための研究所を設立した。
体外離脱体験に至る意識の変容状態を容易に誘導できる方法を開発し、1979年に移転し、現在のヴァージニア州シャーロッツビルの
モンロー研究所(The Monroe Institute)となった。
エリザベス・キューブラー=ロスもモンロー研究所で人生観を一変させる体験をしたと伝えられる。
体外離脱体験の発端と実験
睡眠学習の研究をしていた1958年に痙攣を起こしたという。全身が激しく振動し始めるのを感じたといい、不安でいたたまれなくなったモンローはかかりつけのリチャード・ゴードン博士を訪ねて診察を求めたが、医学的な異常は何も見つからなかった。それからおよそ4週間後、決定的な体験をしており、振動現象に見舞われた際、そっと天井に押し付けられるようにして空中に浮かんでいたといい、振り向いて部屋の中を見下ろすと妻とモンロー自身が眠っている姿を見た。
また、モンローは、事実と照らし合わせる事によって、体外離脱の裏付けが得られるはずだと考え、1958年10月9日午後、会社の自室からブラッドショー博士とその夫人を訪れる目的で体外離脱すると、博士と夫人の姿を目にし、博士は明るい色のコートと帽子を見につけ、夫人は暗い色のコートを着て、モンローに気付かないまま通り過ぎガレージらしき小さな建物の方へ歩いていったのを目撃して肉体に戻った。その夜、モンローはブラッドショー博士夫人に電話をかけ、その日の午後4時から5時の間に何をしていたか聞くと、4時25分頃に二人で家を出てガレージの方へ歩いていったと話したという。また、服装についても夫人は黒のスラックスと赤いセーターの上に黒いカーコートを着ていたと言い、博士は白っぽい帽子に白っぽいトップコートを着込んでいたと言いモンローの観察と一致した。モンローは、この事例によって、はじめて、自分の
体外離脱体験は夢や幻覚、あるいは何らかの精神障害の産物などではなく、そこには現在の科学の枠外にある真実が含まれているに違いないと思えるようになったという。
体外離脱をした状態で、この世界の人物に干渉できるか否かについては場合によるらしく、前記のブラッドショー博士とその夫人はモンローに気付かなかったが、1963年8月15日に体外離脱にニュージャージーのどこかの海岸に居る知り合いの女性を訪ね、女性の腹を抓ったら、女性は「痛いっ」と声を上げ、翌日、女性に抓られたことを覚えていないか聞くとぎょっとしたような表情で「覚えているわ」と言ったという。
一方、モンローは体外離脱で、カリフォルニアの
チャールズ・タートの家に行ったという時の記述については、タートらの所作について不正確な部分もあり、部屋の様子も曖昧にしか説明できなかったと言い、
体外離脱体験中のその場所に関する知覚内容と物理的な現実とが必ずしも一致しないことも意味している。
死者との出会い
モンローは、かかりつけのリチャード・ゴードン博士の死後、第2の身体で、訪れる事を考えた。そして、肉体を抜けた後、部屋で小柄で痩せ、伸び放題の髪で頭ばかり大きい青年が見えたが、ゴードン博士に会うのを諦めたという。それから何日かして、ゴードン博士の夫人の家を訪ねたモンローは、博士のごく若い頃の写真を見せてもらうと、モンローが世界Ⅱ(後述)で見た青年と寸分違わない姿が写っていたという。また、モンローは、1964年に82歳でこの世を去った父とも再会しており、これらの体験を通じて、自然に死後の世界を受け入れられるようになっていった。
体外離脱体験で訪れた世界
モンローの経験によれば、体外遊離した第2の身体の行く先は、大まかに言って以下の3種類に分けられるという。ただし、モンローが体験した体外離脱は、全てが以下の3つのどれかに属するわけではないという。
世界Ⅰ(ロカールⅠ)
私たち生きた人間が今住んでいる物質的な世界、すなわち「この世」であり、モンローは便宜上これを世界Ⅰと呼んでいる。世界Ⅰは、私たちが普段、五感によって接している世界であるから、そこでの
体外離脱体験は、後で事実を確かめることが出来る。しかし、第2の身体でこの世界のどこか(あるいはだれか)を訪ねるのは、実際にはそう簡単なことではないという。
世界Ⅱ(ロカールⅡ)
「あの世」に相当する非物質の世界であり、これを世界Ⅱと呼んでいる。私たちが日ごろ住む物質の世界とは全く違った法則の支配する世界であり、そこでの出来事は、通常の理解を超えたもの(言葉では表現できない神秘)ばかりであり、その殆どは世界Ⅰの場合のように客観的証拠を掴む事もできない。しかし、モンローは数百回に及ぶ非物質の別世界への体外離脱を通じて、幾つかの真実を発見したという。その一例として、物質やエネルギー、時間の観念が通用しなくなる世界であり、過去と未来が現在と併存しながら時を刻む事、死者の魂をはじめ、様々な段階の知性を担う霊的な存在が活動し、それらと意思を交流させる事が出来る事が挙げられ、心の働きが全てを支配する世界でもあると言える。また、世界Ⅱは始まりも終わりもない無限の世界であり、物質的な世界と浸透し合う形で存在するとモンローは考え、
体外離脱体験を生み出すような特殊な意識状態でしかその存在に気付かないという。また、「類は友を呼ぶ」という原理を持ち出して、モンローは天国と地獄について説明しているが、モンローは後年、私たちの殆どが死後に行きつく到達点である事を確信している。
世界Ⅲ(ロカールⅢ)
「もうひとつの地上世界」と考えられる謎の世界であり、これを世界Ⅲと呼んでいる。モンローは1973年の時点で、世界Ⅲへの旅を50回以上しているというが、それらの体験から、世界Ⅲは、私たちが住む物質的な世界であり、私たちと変わらない人間が住んでいるというが、おかしなところが幾つかあるという。電気や燃料等の利用されている形跡が全くなく、人々の習慣や風習、歴史的な背景、出来事、名前、場所、日付なども私たちのものとは異なり、技術文明や社会生活に明らかな相違があり、モンローは放射性物質が動力源である可能性を指摘している。
なお、モンローによれば体外離脱を重ねる事は、心が意識(顕在意識)、無意識(潜在意識)および超意識(スーパーマインド、あるいは根源的な自我と言い換える事もできる)の3つの領域から成り立っている事を自覚させる特異な意識の変容を伴うという。
『究極の旅』の中では、モンローは
「意識は連続体である」ことを指摘しており、焦点の定まった覚醒状態では、人間の精神は連続した意識スペクトルのうち時空の枠内に制限された部分だけを用いているといい、意識のスペクトルは、時空を超えて、別のエネルギー系まで無限に続いているらしいという。このような考えは
トランスパーソナル心理学において
意識のスペクトラムなる理論を提唱した
ケン・ウィルバーの考えにも通じるように思える。
因みに、モンローは非物質界において、人類以外の存在との何百という出会いを経験している(非人類の知性体が存在する事はモンローにとっては「既知」の事実)というが、物質界としての宇宙には知的生命体が存在するとしても発見できなかったという。
フォーカス・レベル
モンローが、音響パターンが意識状態に与える影響について精力的に研究を始め、試行錯誤と長時間の実験の結果、ある音のパターンを耳に送り込むと体外離脱や変性意識状態を誘引できる事を発見し、開発された技術がヘミシンク(Hemi-Sync)と呼ばれる。研究所で長年、開発、改良を重ねてきた手法とテクニックを発展させ、応用して用いる事になったが、その極めつけがフォーカス・レベルという用語を使った特定の意識状態の分かりやすい表示である。モンローが最初に見極める事ができるようになった事柄としてフォーカス10(頭が覚醒していて身体が眠っている状態)があり、被験者が簡単にフォーカス10には入れるようになったという。
モンロー研究所のプログラムでは、フォーカス3(精神が脳と同調している状態)からフォーカス12(意識の拡張した状態)、フォーカス15(無時間の状態)、さらにフォーカス21(他のエネルギー系への接触が可能になる、時空の縁)まで導く事に成功していた。フォーカス22には薬物やアルコール依存による意識錯乱や、認知症、麻酔中や昏睡状態の患者も含まれ、通常、夢や妄想として捉えられるという。フォーカス23は、肉体を去ったばかりで、死を認識できず受け入れられなかったり、地球の生命系に縛られて自由になれなかったりする人が存在する。フォーカス24~26は、信念体系領域であり、何らかのかたちで死後の生の存在を仮定する宗教や哲学もこの領域に含まれるという。そして、フォーカス27は、「レセプション・センター」あるいは「公園」と呼ばれ、肉体を失う事によって精神が受ける傷やショックをいやすために設けられているという。そして、フォーカス28は、時空だけでなく、人間の思考を超えたレベルである。
評価・批評
心理学者・超心理学者の
チャールズ・タートはモンローの体外離脱体験について、彼とて特定の時代の特定の文化の中で育った一個の人間であり、その事実認識の能力には、当然しかるべき限界があると前置きしながらも、この事をしっかりと心に留めつつ、しかもなお彼の語る体外遊離体験の話に真剣に耳を傾けるならば、私たちはそこからきわめて重要な事を学び得るのではないかと評している。
また、モンローの評伝として、ロナルド・ラッセルによる
『ロバート・モンロー伝 体外離脱の実践研究者』がある。
最終更新:2025年08月15日 23:21