概説
矢作直樹(やはぎ なおき、1956年-)は、日本の医学者、医師、政治活動家。神奈川県横浜市出身で、富山医科薬科大学助手、1983年に国立循環器病センターレジデントを経て、東京大学工学部精密機械工学科教授、東京大学医学部救急医学分野教授、東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長・救命救急センター長を歴任した。2011年、
『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』を上梓、死後世界の存在を主張して18万部となった。
母との再会
2009年3月のある日、矢作は知り合いで会社経営をしている60代の女性から一本の電話があったという。その女性は昔から霊能力が高く、亡くなった人と交信ができると言い、電話口で「実はあなたのお母様が、あなたと話したいと私に訴えてこられるのです」と話した。矢作が「母はなぜ私と話したがっているのでしょう」と聞くと、「あなたがお母さんに、申し訳ないという思いを送っているからですよ」と答えたと言い、実際、矢作は親孝行らしいことをしてあげられなかったことや、晩年の母にも十分な対応をしていなかったことを申し訳なく思っていたという。そして、3月末に、日本舞踊の家元である人の家で、交霊が行われることになった。交霊が始まると、その女性は「直樹さん、心配させてごめんなさいね」と全く別人の口調で話し始め、まさに母の口調であったようである。そして、会話では5月6日の夕方、お風呂に入っている時に心臓発作で亡くなったことを語り、その死因と死亡時刻は検案の結果と一致していたという。他には、矢作の母が祖父や祖母と会ったこと、ずっと矢作を見ていた事などが語られた。このような対話内容は霊媒役となった女性も日本舞踊の家元である人も事前には全く知らなかった内容で、矢作の母と会った事もなかったという。しかし、母のような喋り方、表情、癖から母と認識できたと言い、矢作にとって圧倒的に存在感をもった体験になった。
神に対する態度
矢作は、特定の宗教に帰依していないが、神の存在を信じているという。矢作の言う“神”とは、人智を超えた大いなる力の存在の事である。そして、宗教における神とは、人智を超えた全てを司る「全的でありかつ想像を絶する大きな力」であり、それを「摂理」と呼んでいる。目には見えない大きな力によって人間はここにいると考えており、「創造主(神)の摂理」「八百万の神様」という言い方が当てはまるかはともかく、大いなる力によって生かされていると考えているという。具体的には、医師として矢作は、科学の進歩によって臓器の働き、メカニズムを解明できても、なぜ臓器ができ、今の位置に収まったのかということの理由は分からないと言い、肉体を摂理の力でつくられたとしか考えようがないという。そして、人間の力が及ばない世界が目の前に存在しているという神への畏敬の念こそ宗教的発想の原点だと見ている。
臨死体験、サードマン現象
矢作自身は、1979年の冬、長野県と富山県にまたがってそびえる鹿島槍ヶ岳で最初の滑落時に、
臨死体験における人生回顧に通じる
タキサイキア現象なるものを体験している。この時、矢作が落ちていたのは、稜線からの高さは1000メートル、落ちた距離は1200メートルであったと言い、周囲の様子や全体の時間をスローモーションのように感じる現象であったという。滑落が止まって、暫くして、ふと「自分はなぜ助かってしまったのだろうか、フェアじゃない」という思いに囚われ、後ろめたさを感じたと言い、不思議な思考であったと述べている。
そして、同じ年の12月にまた登山を強行し、滑落した後も、次の挑戦を考え、富山県と長野県の県境にそびえる岩小屋沢岳から鳴沢岳、赤沢岳へと連なる稜線の方向を何気なく眺めていた時、山の方から「もう山には来るな」という声が聞こえたという。矢作は幻聴を疑ったというが、その瞬間、全ての思考が停止し、憑き物が落ちたかのように登山をやめてしまったと言い、今思うと霊聴だと思うという。
また、矢作が聞いた
臨死体験の話として、交通事故を起こした人(50歳代の男性、会社経営者)が同乗していた6歳年下の妹と並んで、左後ろの10メートルくらい上から自分の車を見降ろしていたというものがある。その男性は、2011年を起点として、28年前の7月のある日、明け方の5時頃に車で家に急いでいた時、路面が濡れていてスリップしてしまい、妹とともに闇を背景に上半身だけ浮かび上がり、自分の事故の様子を見ていたという。そして、事故を一緒に眺めていた妹が突然、「お兄ちゃんは戻りなよ」と言い、その瞬間、運転席で目を覚ますと妹は息を引き取っていた。また、その男性は、思い返すと、事故の前日に家族で夕飯を食べていた時、妹が翌日の事故を予見していたかは分からないが、「私の戒名はどうなるの?」と妙な事を聞いていたという。
最終更新:2025年01月08日 12:39