概説
体外離脱体験は、英語では
Out-of-Body Experience(略称:
OBEまたは
OOBE)と言い、意識が一時的に肉体から遊離しどこか他所に旅行したように感じられる不思議な現象である。なお、Out-of-Body Experience という言葉に対して日本では、
幽体離脱という訳語がしばしば当てられてきたが、橘隆志は、幽体という何か分からない存在を前提にしている事や、体外に離脱する主体が何なのかについても議論がある事から、幽体離脱という言葉を用いるべきではないとしている。体外離脱体験には様々な様相があり、睡眠や瞑想、過激な運動の結果、麻酔状態、病気、痛みの最中などに発生する事が多い。なお、
臨死体験の要素としての体外離脱については
「臨死体験/体外離脱体験」の中で触れているが、体外離脱は全く健康状態でも起こると言われる。体外離脱現象を神経生理学的に研究している
チャールズ・タートは体外離脱の主要な特徴として、次の5項目を挙げている。
1、浮揚すること。
2、外側から自分の肉体をみること。
3、外側にいて遠く離れた場所を思い浮かべると、即座にそこに移動すること。
4、非物理的な体を伴っていること。
5、その体験が夢でないことを確信していること。
また、体外離脱体験中に人や物体にはたらきかけをなすことが出来るケースは稀であると言える。
チャールズ・タートの報告によれば、体外離脱体験は、夢や幻覚ではなく日常的体験・通常意識と同一線上にある真実であり、終始一貫性が保持された状態で、死後存続する魂、非身体的な自己の存在を確信するに至る体験者が多いという。そして、タートは、体外離脱体験が宗教における霊魂観の基礎をなしているに違いないと考えている。また、ダグラス・スコット・ロゴは自分自身に対する体験者の見方の違いから、偽身体(シーリア・グリーンは「体脱」の同義語として提唱している)が肉体から抜け出したとする体験、意識が靄に包まれていたり光の玉であったりして体を伴っていない体験、意識が肉体から抜け出すがどのような姿形もとらない例の3型に分けられるとしている。なお、以上の3型が重なりあった特殊な型の体験もあるという。
記録・研究の歴史
チャールズ・タートは、体外離脱体験はカール・グスタフ・ユングが元型的体験と呼んだもの(人間であるだけで少なからざる者が潜在的に行いうる体験)の一つと考えることが出来ると指摘している。実際、体外離脱体験は、歴史を通じ社会のあらゆる層の人々によって語られているといえ、エジプト人、北米インディアン、中国人、ギリシアの哲学者達、中世の錬金術師達、オセアニアの人々、ヒンドゥー教徒、ヘブライ人、イスラム教徒の間でも知られていたという。ディーン・シールズは44例の非西欧文化の比較研究で、体外離脱体験を信じない文化は3つしかないという結果を得ており、人類学者のエリカ・ブルギニヨンは世界中の488の社会(現存する社会として知られているものの約57パーセント)を調べ、そのうち437、つまり89パーセントに体外離脱に関する何らかの言い伝えがあるという結果を得ている。
また、体外離脱体験が広範にみられる現象である事は多くの研究が示しているという。オルダス・ハクスリー、ゲーテ、D・H・ロレンス、アウグスト・ストリンドベリ、そしてジャック・ロンドンも体外離脱体験をしたことを語っている。古典学者
フレデリック・マイヤースは、体外離脱体験を「精神的小旅行」と呼んでいたようである。アバディーン大学の地質学者でアマチュア超心理学者であるロバート・クロッコールはこの分野について9冊もの本を埋めるほどのケースを調べた。1960年代にはオックスフォードの精神物理研究所の所長、シリア・グリーンは、サザンプトン大学の学生115人にアンケートをした結果、そのうち19パーセントが体外離脱体験をしたと分かったといい、オックスフォードの学生380人に同じ質問をしたところ、34パーセントが体外離脱体験をしたと答えたという。また、1980年にオーストラリアのニューグランド大学のハーヴィー・アーウィンは177人の学生のうち、20パーセントが体外離脱をしていたことを明らかにした。
体外離脱体験例
ブルー・ハラリーの体外離脱体験
エディンバラ大学
超心理学教授ロバート・モリスは、1973、4年に、自由に体脱体験ができるというブルー・ハラリーを対象にして実験を行った。ハラリーに、体外離脱して、別の決まった部屋に行くよう指示し、その部屋に、ハラリーがかわいがっているネコを置いておいた。その結果、ハラリーが肉体を抜け出してその部屋に来ているはずの時間には、ネコはいつも大人しくなった。他の時には、毛を逆立てたりして怯えていたのに、その時にだけ大人しくなったという事は、主人であるハラリーが本当にその部屋に来ていたということなのだろうか。
ランダウの体外離脱体験
休日にコーンウォールに出かけている友人が何をしているか見に行くと言ってベッドに横たわると、彼女は友人が写真に撮っていた植物やその周囲の詳しい状況、同伴していた男性について正確に描写し、これらの情報は後に全て正しいものであったと判明した。そして、友人はその時、人影のようなものが傍らを通り過ぎたという印象をもったようである。
Z嬢の体外離脱体験
Z嬢は、子どもの時以来、夜中に目を覚ますと、寝室の天井近くに浮かんでいて、ベッドに横たわる自分の身体を見下ろしているという事もあったという。彼女は自分の体外離脱体験がサイ的なものかを確かめるために実験を用意した。1~10までの数字を記した紙片をランダムに箱に入れ、目を閉じたまま紙片を選びベッドの脇の机に置き、体外離脱状態になったら、その数字を覗き見て記憶にとどめ、朝になってその当否をチェックするというものである。その実験を7度試みたところ、いつも正しかったとタートは報告を受けたという。しかし、この種の実験を学問的データとして容認する事は無理であることから、管理実験の必要性を痛感するに至っている。
その後、タートは、Z嬢の脳波を測定しながら実験を行った。Z嬢の眠っているベッドの上、160センチメートルほどのところにある棚には、1回ごとにタートがでたらめに作った5桁の数字が書かれた紙が置かれる(Z嬢はその数字を見ることはできない)。その数字をZさんに、体から抜け出して″見させ ようというのだ。Z嬢は、初めの3晩は、数字が見える高さまで浮上できず思うような体脱体験が起こせなかった。4晩目の朝方6時過ぎに目を覚ました時、Z嬢は、「25132」と、初めて5桁の数字を言い、ターゲットの数列と一致していた。もし25132という数字が偶然に当ったとしたら、その確率は100000分の1になり、偶然に当ったとは考え難い。しかし、透視という、一種の
ESPを使により、ベッドに寝たまま、その数字を読み取ってしまった可能性も否定しきれないとの意見もある。
ロバート・モンローの体外離脱体験
ラジオ放送のプロデューサーであった
ロバート・モンローは、突然、体外離脱をし、体外離脱の研究専門の研究所を作るにいたった。そして、体外離脱をし、知っている人のところに行き、その人がどうしていたかを自分の記憶と比較してみたところ、驚くほど事実と一致したという。モンローは1963年8月15日に体外離脱中にニュージャージーのどこかの海岸に居る知り合いの女性を訪ね、女性の腹を抓ったら、女性は「痛いっ」と声を上げた。そして、翌日、女性に抓られたことを覚えていないか聞くとぎょっとしたような表情で「覚えているわ」と言った。
一方、モンローは体外離脱で、カリフォルニアの
チャールズ・タートの家に行ったという時の記述については、タートらの所作について不正確な部分もあり、部屋の様子も曖昧にしか説明できなかったと言い、体外離脱体験中のその場所に関する知覚内容と物理的な現実とが必ずしも一致しないことを意味しているという。
銀の紐
体外離脱に見られる興味深い現象の一つとして、体験中に肉体と体外体(霊体)とを結ぶ紐を観察しているという事例がしばしば挙げられる。ヒリダ・D・ウィリアムズ夫人は、白い紐が光って見えたと言い、細い紐が4、5本緩くより合わされて、5、6センチメートルの太さになって体から出ているのを見たという。そして、紐はベッドに寝ている体の真中と、霊体の頭に繋がっていたという。オカルティストたちの間では、この紐(魂の緒)が切れると死ぬと言われるらしいが、このような現象は、体外離脱体験に必ず伴っているわけではなく、副次的なものかもしれない。
体外離脱体験の解釈
通常の立場によると、体外離脱体験は起こるべくもないのであり、何らかの幻覚や妄想にとらわれていたか、報告者の嘘と解されるであろうといわれるが、この現象について主たる特徴に一致の見られる記録が何千年という時の流れや何千マイルという道のりによって隔てられたところで残され、そして体外離脱体験中に体験者が見たものが事実であると確かめられている事例もある。このような事から、体外離脱に対するもう1つの立場として、体験が実際に生起していた、意識または第2の身体が実際に肉体から離脱したというものである。しかし、このような理論の難点として、タートは第2の身体が衣服を身にまとっているケースがあるという事実を挙げ、衣服が霊魂の一部であるとは認めがたいと述べている。
また、体外離脱は様々な心理学的および神経学的要因から生じる解離体験であると考えられており、自己像幻視、離人症、精神的解離の例として示した研究もある。
なお、前述のZ嬢の事例や
ロバート・モンローの体外離脱体験などは、体験中に肉体との結びつきを全く感じていなかったという点で、
全面的、
正統的、
分離性体外離脱体験と呼ぶべきと言われるが、遠隔視に近い体外離脱体験もあるのだといい、幻覚サイ複合化説も可能であるとされるが、肉体からの遊離の感覚を説明しがたい。
心理学的には体外離脱は、死の可能性と現実を否定するという役割を担っているという事がよく引き合いに出され、「死という現実を否定したいという、人類一般に見られる欲求を劇的に示す格好の実例」「人間が昔から抱き続けている不死願望の表われ」との指摘がある。しかしながら、広い意味での宗教心をもっているか、もちたいと思っているかどうかによって、体外離脱を実験的に誘発する方法に対する反応性が違うかを見ようとする実験では差が全く見られず、死後の生命を信じようとする気持ちがあるために体外離脱が起こるとする考え方は、現在までのところ、実証的な裏付けが得られているわけではないとも言われる。
体外離脱は幻覚剤によって誘発されたり、トランス状態や瞑想などにより精神的に誘導されたり、視聴覚的刺激、脳の磁気的刺激や電気的刺激により機械的に誘導されたりして引き起こされる事があると言われる。更に、側頭頭頂接合部と呼ばれる側頭葉の後方で、頭頂葉の下方、後頭葉の前方という3つの領域が活動する事で体外離脱体験が惹き起こされるとも言われる。そして、近年、癲癇手術に際して、右側頭葉に近い角回と呼ばれる部位を刺激した事で、自分が天井の近くに浮かんで、ベッドに横たわって下半身を上から見ていると報告した患者がいたとされるが、脳を電気刺激する事で体外離脱に似た幻覚が生じたからといって、全ての体外離脱体験が幻覚であることが証明されたわけではないとの意見もある。
坂本政道も
『体外離脱体験』において体外離脱を真性の体外離脱と明晰夢に近い状態などに分類しているが、体外離脱の中に想像の産物や幻覚に過ぎないと考えられる事例があっても全てがそうであるとは言えない上、ある主観的事実に関与する脳の領域を同定できたという事実は、その体験が幻覚である事を意味しないと言える。
笠原敏雄も体外離脱は一種類の体験ではなく、いくつかの種類の体験の寄り集めである可能性を指摘している。
因みに、
ロバート・モンローによれば、体外離脱状態にある時の非物理的身体は型抜きされたゼラチンのようなもの(人間の形を記憶しており、殆ど生身の体と同一)というが、肉体から離れている時間が長くなるほど肉体の記憶や意味が少なくなり、非物理的身体は球体や涙の滴や小さな雲や小さな「塊」になってしまう可能性を指摘している。
超心理学で考えられてきた体外離脱の代表的な仮説として、肉体から霊魂が抜け出すという
霊魂仮説、幻覚的な体験に超常現象が重なったとする
心理心霊仮説、非物理的な体が実際に遭ってそれが体験者の思うまま自由に操作できる世界の中で自在に振舞うとする
自在世界仮説が挙げられる。それに対し、
チャールズ・タートは、それらの仮説を補う新しい仮説として、
連関仮説を考えている。この考え方によると、人間は心と体から成っていて、それぞれ別の法則や特性をもっているが、密接に連関していて、それらを別々に経験する事はないが、体外離脱では程度は様々であるが分離が起こるというものである。実際、体外離脱がいくつかの種類の体験の寄り集めであるならば、
超心理学で考えられたこれらの仮説のそれが正しいという事ではなく、体験によって当てはまる仮説も変わってくると考えるべきかも知れない。
体外離脱体験と脳波
チャールズ・タートによれば、体外離脱体験時のZ嬢の脳波は、それまで見たこともない波形で、通常の夢見第一段階の波形パターンにα波が大量に混入したもののように見えたという。そして、このユニークな生理状態は明らかに仮死状態ではなかったと推測されるという。一方、
ロバート・モンローの体外離脱体験時の脳波は通常夢(第一段階EEG)の脳波と同じであるが、REM(急速眼球運動)の回数は通常夢ほど多くなかったという。このように、2人の体外離脱体験が明らかに異なった生理学的状態に相応したというデータから、体外離脱が単一無二の現象であるとみなすのは当たらないとされる。
なお、近年では、体外離脱体験中に神経細胞の活動抑制を表すα波、θ波が顕著に表れており、fNIRSによる体外離脱体験中の 脳血流変化測定で、前頭中央部の前頭中央部の血流統制が観測された事と対応している事を示した研究もある。また、体外離脱体験中に前頭前野で顕著な血流量の減少が見られるという研究結果もある。
最終更新:2025年09月15日 15:34