催眠療法家のミラ・ケリーは、前世や同時並行する人生、別の人生、パラレル・ライフという表現を言い換え可能な用語として使っており、全ての魂の起源であるオーバーソウルの観点では、全ての人生は今の瞬間に同時に起こっているのであり、互いに並行しているという。しかし、集合意識の合意の上に作り上げた構造である時間により、私達は、時の流れを時系列的に認識しているので、今の人生の前の生は「前世」のように感じられるという。
ミラ・ケリーはジョンという人物にセッションを行った際に、前世が一直線ではないという事を経験している。ジョンが導かれた過去生では、ニューヨークに住む成功した銀行マンで、キャサリンという名の妻との間に息子と娘もいたが、1957年に息子が自動車事故で亡くなり、1971年に妻が亡くなった後、人生は孤独で、財産を失って、彼は1978年に自殺をした。そして、ジョンは耐え難かった孤独という課題に向き合うために、1950年に生まれ変わったという。ジョンは、この2度目の人生では、南の方から来た浅黒い混血の子どもで、裕福な白人家庭に引き取られた。ジョンが13歳の時に両親が離婚し、母親とニューヨークに住んだ。そして、ジョンは年を取り90代にいる自分を見ている。この過去生での彼は1950年に生まれているため、この光景は2040年代(私たちの観点から見れば未来という事になる)であり、現在に生きセッションを受けているジョンは1980年代中頃に生まれているため、直線的な時間の制約を超えていると言える。このような時間の制約を超えた冒険は4つ続き、全てが大体1910年~2040年の間の130年間に起こっていた。
そして、ミラ・ケリーは、130年という時間軸の中で、どうしたら6つの人生を生きることが可能なのかを、セッションの中でクライアントが繋がる魂の延長にありより高次の領域に存在しているハイアーセルフを招き聞いてみたという。その時の逐語記録を編集したものが次のようなものであるという。
ミラ:今日わたしたちが探究した人生は、時間軸の中で重複していました。わたしたち人間が認識する時間の概念とマッチしません。それについてあなたはどのようにお考えですか?
ジョン:そのことを受け入れるかどうかの問題です。ジョンは半々の状態でした。つまり、半分は常識にとらわれていたけれど、半分はそうではありませんでした。時間は直線的だという考え方と、時間は何でもないという考え方の間での分離を起こしているのです。
ミラ:では、時間とは何ですか?
ジョン:時間は無限です。
ミラ:では、わたしたち人間が時間という概念を持つことに意味はあるのでしょうか?
ジョン:地球では有効です。あなたたちには必要でしょう。
ミラ:パラレル・ライフについて説明していただけますか?わたしの理解を深めたいのです。魂は同時に別の人生へと分裂できるのでしょうか?その場合、主となる魂はそのままでいるのですか?
ジョン:そうです。分裂された魂がそれぞれの体験の中に入っていきます。
ミラ:では、それらはすべて本物の体験なのですか?
ジョン:すべてが本物です。主となる魂は、それらすべてを経験しているからです。
ジョンとのセッションを通して、ミラ・ケリーは、時間は直線的ではなく、シンプルに常に「今」にあり、全ての人生は今この瞬間に、常に起こっていると同時に既に完結しているというスピリチュアルな学びを得たという。また、現在、過去、未来はすべて同時に起こっているという事から、過去にも日の目を見る日を待っているポテンシャルがあるが、可能性の認識の仕方や継続性を作り出すという私達の性質上、過去に新たな可能性が作られることは認識できないという。また、ミラ・ケリーは、意味のある偶然の一致である
シンクロニシティは、万物が同じ瞬間に存在し、成長し、顕現している事を私たちに知らせるリマインダーであるとも指摘している。
このような並行現実という観念について、菅原浩は「ただ転生というイメージは、直線的時間という軸で言われていることであり、この軸は物質次元固有のものであるので、霊的次元においては転生というものはなく「平行生」があるだけである。」と述べている。更に、菅原は過去というものが客観的存在であるとする考えに否定的であり「転生とは何か直線的なものだというイメージを前提としているが、その前提そのものがかなり疑わしい。」と述べていたり、「だんだん「並行現実」のコンセプトが世に浸透していく。とにかく「直線的時間」の思考形式を超えないと人類は次に進めない。」とも述べていたりする。
(以下は管理者の見解)
出来事の間に因果関係を想定し、直線的な時間の流れに沿って出来事を認識している私たちにとって、並行現実が存在するという事は想像し難い事であろう。しかし、魂の次元では、現在、過去、未来は永遠の今に融合されているというミラ・ケリーの言葉は、
臨死体験者がしばしば
光の世界には、現在、過去、未来という時間の流れがなく、全て現在であると述べている事とも一致している。そして、アニータ・ムアジャーニや
飯田史彦のように、臨死体験者の中には、この世界とは異なる存在領域から見ると、
生まれ変わりという現象は存在しないという事を指摘している人が少なからずいる。このような見解は、菅原が霊的次元においては転生というものはなく「平行生」があるだけであると述べている事にも通じ、私たちにとって、時間と空間が存在しない領域とはどのようなものであるのか、想像する事は困難であるが、魂の次元、霊的次元における真理とは、そのように本質的に想像し難く語り得ないものなのだろう。
また、
ブライアン・ワイスの患者であった分子生物学の研究者であるチトラも、1回の未来世療法で3つの同時並行的な未来世と思われるものを体験している事や、マイケル・ニュートンの被験者が催眠療法の際、タイムラインでありそうなことを色々走査できるが未来はあまり定まっていないという平行宇宙を思い浮かべるような発言をしている事や、複数の未来の情景を見たという臨死体験者がいた事などから並行現実という観念が良く当てはまる場面がある事は否定できないかもしれない。
最終更新:2023年06月17日 20:51