意識の作図学


概説

意識の作図学は、cartography of consciousnessと言われ、LSDセラピーにより得られたデータから人間の無意識には様々な領域があることに気づいたスタニスラフ・グロフが作ったトランスパーソナル心理学の意識の地図である。グロフは、自身が行ってきたLSDセラピーと、LSDの医学実験が法律で禁止された後のホロトロピック・ブレスワークという呼吸法によって得られた変性意識状態のデータがほとんど同じだという事を示している。また、人間の無意識の領域ははっきりとした境界は存在しないもののいくつかに分けられるとしており、その中には機械論的科学の基本的な仮定や原理のいくつかに抵触するものもあると指摘している。グロフは、ジークムント・フロイトの人間観を支持するのは、自伝的無意識や分娩前後の力学の特定の局面に直面するセラピーの初期段階のみであり、無意識への侵入を推し進めていくと、精神分析学で示されているような凶暴で地獄的な領域ではなく、宇宙的な超意識の領域に広がると捉えている。

なお、トランスパーソナル心理学の理論として、意識の作図学を見た場合、最大の特徴は、ケン・ウィルバーロベルト・アサジオリなどといった他の人物の理論では欠けている分娩前後のレベルに重点を置いているところにあると考えられ*1、意識の作図学には過去生の体験や神秘体験至高体験臨死体験、覚醒体験などが網羅されているといった意見もある。また、グロフは、トランスパーソナルな領域を理解するためには、意識を新しい方法で捉え直す必要がある事を指摘し、意識が人間の脳の中で創り出される何かで、個人的な生の結果としてだけ存在するという信念を乗り越える必要性を説いている。

意識の作図学における意識のレベルの概観

審美的領域

まず、第1段階として、審美的領域というものがあり、この領域はセラピーの初期段階に感じるもので、虫の鳴き声や羽音、鈴の音を聞いたり、非常に美しい感覚を伴ったりするようである。しかし、この領域は無意識の中に突入していく際に、感覚器官の特定の生理学的特徴によって説明されるものに過ぎないとグロフは指摘している。

自伝的無意識(フロイト的無意識)

審美的領域に続いて、セラピーの被験者は、自伝的無意識、あるいはフロイト的無意識と言われる、生まれてから体験してきた事の中で、何らかの理由で忘れられて無意識に追いやられていたものを体験するという。この領域では、特定の核となるような感情体験を中心として、COEXシステム(凝縮体験系)と呼ばれる集合を形成し、人生の中での同じような体験が時間、空間という制約を超えて芋づる式に現れてくるようである。そして、グロフは、このような感情体験は、自伝的無意識の領域を超えたより深い無意識の領域でも働いていると考えた。

BPM(ベイシック・ペリネイタル・マトリックス)

自伝的無意識(フロイト的無意識)の次の第3段階の領域をグロフは、BPM(ベイシック・ペリネイタル・マトリックス)と言い、この領域は個人的な領域を超え、分娩前後の体験と密接に関わる領域のようである。また、この領域には、BPM1〜BPM4まで、4つのクラスターがあると言われている。なお、グロフは、この領域を個人的な精神(自伝的無意識)とユングが集合的無意識と呼んでいる領域との境界面を表していると述べている*2。また、この分娩前後の体験は、出生の臨床段階における解剖学的、生理学的、生化学的側面に関連した基本的諸特徴と密接に関わっていると言えるが、生物学を超えるもので、重要な心理学的、哲学的、霊的次元を含んでおり、機械論及び還元主義的な方法で解釈されるべきではないという。

BPM1では子宮に回帰し、子宮が1つの世界のような役割を果たし、幸福感と安心感に包まれているような領域である。しかし、母親が飲んだ有害物質など様々な要因によって、否定的な内容が見られる場合もあり、臨床的出産が始まる前の子宮内の状態に対応していると考えられる。
羊水的宇宙(『脳を超えて』p.150より)

BPM1を超えると、閉塞状態や宇宙の暗闇に閉じ込められているような体験をすると言い、それはBPM2と言われ、子宮が閉じたままの状態で全方位的に締め付けられる状態に対応していると考えられる。この段階に特徴的な体験として、三次元の螺旋、漏斗、渦巻の体験といったことが挙げられる。また、強制収容所の住人や精神病院の入院患者などの体験や永遠の罪を象徴する元型的人物との体験同化と結びつくこともある。
BPM2の影響力の体験(『脳を超えて』p.155より)

続いて、胎児が産道を通過して生まれる出産時の体験と似ている体験をし、これはBPM3と言われる。BPM3では、胎児が出産の最終段階に糞などの生物学的物質に密接に接触する可能性があるという事実から、強烈な恐怖感を伴う地獄のような体験であるとも言われ、死の葛藤の領域とも言われる。
BPM3~BPM4への移行を表す(険しい山を登り光に到達しようとしているが、鳥がそれを妨害しようとしている)絵(『脳を超えて』p.171より)

BPM3を超えると、死と再生の体験が訪れ、これはBPM4と言われる。この段階は、葛藤の終了と解決だが、あらゆるレベルの破滅感や敗北感が含まれるようである。カーリーやシヴァなどの破滅的神々とつながる自我の死の体験なども見られる。しかし、そのような破滅の体験は即座に超自然的な輝きと美を備えた眩い白光や黄金の光のビジョン(聖なる元型的存在、虹のスペクトル、精緻な孔雀の模様といった展開と結びつく場合もある)に取って代わられ、霊的解放、償い、救済の深い感覚を体験するといわれる。

第3段階の領域を抜けるとトランスパーソナルな領域に入っていくと言われている。トランスパーソナルな領域については、以下で触れる。

トランスパーソナルな領域

トランスパーソナルな体験の領域に入ると、日常生活で当然とみなしている障壁を突き抜け、様々な歴史的出来事や未来、私たちの意識の範囲外にあるとみなしている世界の諸要素が実際に体験したものと同じように本物であるかのように見え、それらを想像の産物とみなすことはもはや、不可能であるという。スタニスラフ・グロフは、トランスパーソナルな領域は、物質主義科学と機械論的世界観の基本的な仮定を揺るがすものであることを次のように述べている。

トランスパーソナルな体験には、物質主義科学と機械論的世界観のもっとも基本的な諸仮定を揺るがす数多くの奇妙な特徴がある。これらの体験は深層の個的自己探求のプロセスで起こるものであるが、それを伝統的な意味での精神内現象と解釈することはできない。それらは一方では自伝的体験や分娩前後の体験と一つの体験的連続体を形成し、他方では伝統的な個人の範囲の定義を明らかに超える情報源に、感覚器官の介入なしで直接ふれる。そこには他人、異種、植物、無機的要素、器具なしでは接近のできない微視的・天文学的領域、歴史と有史前、未来、遠隔地、他の存在の次元の意識体験が含まれる。*3

トランスパーソナルな領域を理解するためには、全く新しい方法で意識を捉え直さなければならない。ここにおいてわれわれは、意識が人間の脳の内部で創り出される何かであって、頭がい骨と呼ばれる容器の中に収納されている、という先入観から解き放たれはじめる。意識が個人的な生の結果としてだけ存在するという信念を、われわれが乗り越えるのもここにおいてである。*4

トランスパーソナルな意識は、有限ではなく無限であり、時間と空間の諸限界を超えて広がっている(時空を超越するような体験である)。グロフは、トランスパーソナルな領域を地図化するに際して、彼自身の研究と他の権威者によって語られてきたトランスパーソナルな体験から、(1)日常の時間と空間の範囲内における意識の拡大ないし拡張、(2)日常の時間と空間の概念を超越した意識の拡大ないし拡張、(3)プシコイド性の体験の3つの体験領域に分けて考察するのが有益であるとしている。*5

日常の時間と空間の範囲内における意識の拡大ないし拡張

物質的、空間的な境界が溶解し意識の拡大ないし拡張の例として二元的融合と呼ばれる他者との同一化が挙げられ、具体的には母親の感情と同化するといったことから、共通点を持つ人々の集団の意識との同化といった例もあり、極端な形態としては、人類全体への同一化といったこともある。さらに、動物の意識を体験するというケースもあり、珍しい例では、惑星上の全生命を包含する意識にまで意識が拡大する者もいる。また、植物や鉱物を体験したり、意識が地球全体を包含する惑星意識の体験にまで拡大したりするといった例もあり、このような体験から、心と意識が人類のみの特権ではなく、自然全体に浸透し、様々な形で存在していると言える。

時間の境界が消失する体験の例として、受胎の瞬間の体験や生命の進化を辿り生命の原点に辿り着いたり、両親の子ども時代の意識を体験したり、歴史的出来事や当人が全く知らなかった先祖の気持ちを体験したりするといったことがある。さらに、過去生の経験といったものも含まれ、グロフは、退行催眠ではなく、薬物の投与によって過去生の記憶を思い出させる事に成功したという。

日常の時間と空間の概念を超越した意識の拡大ないし拡張

さらに、トランスパーソナルな領域は、このような領域のさらに先に進むと日常で見慣れたリアリティとは似ても似つかない、神話的、超人間的存在の世界に参入する場合もある。トランスパーソナルな領域における有益な体験の1つとして、指導霊や超人間的存在との遭遇があり、彼らからの情報は五感とは異なる回路を通してテレパシー的に伝えられることが多い。そして、もっとも全包括的なトランスパーソナルな体験として、創造者と宇宙意識の体験といったものがあり、ヒンドゥー教のブラフマン、大乗仏教のダルマカーヤ(法身)、道教のタオなど宗教的伝統でしばしば言われる究極的な体験が訪れると言われる。また、トランスパーソナルな現象の中で最も不可解な体験として時間と空間を超越し、あらゆるものの源であるがそれ自体は何ものにも由来しないという空の体験を挙げている。

プシコイド性の体験

プシコイド性の体験は、プシコイドとは集合的無意識の元型との関連でユングが用いた言葉であり、プシコイドの領域の多くはUFO遭遇やヨガ行者の超自然的な離れ業など私たちが自然法則とみなしている事を侵犯するような出来事を含み、日常的なリアリティの知覚への最大の挑戦を表している。多くのUFO体験は、単なる幻覚でもなければ、通常の意味での現実でもないというプシコイドの特性をもっているようであり、これは、ケネス・リングがUFO遭遇や臨死体験について幻覚か現実化という2つの解釈の中間、あるいはそれらの外側にあるような第3の領域での解釈を検討した事にも通じているように思える。

  • 参考文献

最終更新:2024年04月16日 11:46

*1 吉福 2005 p.282-283

*2 グロフ・ベネット 1992(邦訳 1994)p.119

*3 グロフ 1988(邦訳 1988)p.123

*4 グロフ・ベネット 1992(邦訳 1994)p.173-174

*5 グロフ・ベネット 1992(邦訳 1994)p.129