ウィリアム・ジェームズ

概説

ウィリアム・ジェームズ(William James、1842年1月11日 - 1910年8月26日)はアメリカ合衆国の哲学者、心理学者である。1861年ハーバード大学に入学し、化学、生物学を経て1864年医学部に入ったが、健康を害し学業を中断、1867年ドイツに行き神経生理学を学んだ。1869年帰国してハーバード大学で医学博士号を取得、1885年ハーバード大学哲学教授、1889年心理学教授、1897年再び哲学教授(プラグマティズム哲学)を歴任した。
意識の流れの理論を提唱し、著作は哲学のみならず心理学や生理学など多岐に渡り、哲学、心理学、生理学、またその学際分野における独創的な思想家であり、心理学の父といわれる。日本の哲学者、西田幾多郎の「純粋経験論」にも示唆を与えた。
1882年に英国に渡り結成されたばかりのSPR(Society for Psychical Research:心霊研究協会)に接触してから、超常現象に対しても興味、関心を持ち、1884年には自らASPR(American Society for Psychical Research:アメリカ心霊研究協会)を結成、1894年から1895年には心霊研究協会の会長を務めた。アメリカ人トランス霊媒レオノーラ・パイパーをイギリスの研究者に紹介する等、霊媒研究も大きく進展させた。また、超常現象について「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」という発言はコリン・ウィルソンによってウィリアム・ジェームズの法則と名づけられている。*1

宗教的経験における神秘的状態

回心、聖徳、神秘主義などの現象についても探究したジェームズは、通常の意識とは異なった場を超えて存在する意識の存在について以下のように述べている。

 私が心理学という学問の研究生となってから、心理学において行われたもっとも重大な前進の歩みは一八八六年にはじめてなされた発見である、と私は考えざるをえない。すなわち、少なくともある人々の場合には、通常の中心と周辺とをもった普通の場の意識ばかりでなく、さらにその上に、周辺の外に、第一次的意識のまったく外にありはするけれども、しかも一種の意識的事実の部類に入れなければならず、その存在を間違いようのないしるしによって示すことのできるようなものが、一群の記憶、思想、感情の形で、付加的に存在している、という発見である。この発見を私がもっとも重大な前進の歩みと呼ぶわけは、心理学のとげたその他の進歩とちがって、この発見は、私たちに人間性の構造のなかにまったく思いもよらなかったような特性のあることを明らかにしたからである。心理学がなしたいろいろな進歩で、このような権利を要求できるものはほかにはない。
 特に、場を超えて存在する意識、あるいはマイヤーズ氏の用語を使うなら、識閾下に存在する意識というこの発見は、宗教的伝記の多くの現象の上に光を投げてくれる。それだから私はいまそれに論及しなければならないのである。*2

また、『宗教的経験の諸相』は、20章構成になっているが、神秘主義を主題とする16、17講について、「そのような意識状態こそいちばん重要な章となるべきものであって、他の諸章はこの章から光明を与えられるのである」と述べ*3、「意識の神秘的状態」という表現が何を意味するのか、ほかの状態からどう区別するのかという問いかけに対し、次の4つの指標を挙げている。*4

言い表しようがないということ(Ineffability)

心の状態を神秘的として分類する手近な標識は消極的なものであり、 経験した人はその体験内容を言葉で表すことができないという。 他人に伝達不可能で 感応させることもできない。 ただ直接的に経験しなくてはならないという点からは、 神秘的状態は 「知的な状態よりもむしろ感情の状態」に似ているという。

認識的性質(Noetic first-rate)

感情の状態に大変良く似ているが、 知識の状態でもある。比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態であり、 照明であり、 啓示である。意義と重要さとに満ち、一種奇妙な権威の感じを伴う。

暫時性(Transiency)

神秘的状態は長く続くことはできない。稀な例は別として、せいぜい1時間か2時間が限度であるらしく、それ以上続くと薄れ、再び、日常の状態に帰してしまう。しかし、再発が、繰り返すたびに内面的な豊かさと重大さがより強くなるという。

受動性(Passivity)

ひとたびその意識状態が現れると、まるで自分自身の意志が働くことをやめてしまったかのように、ときにはまた、 まるで自分が、ある高い力に摑まれ、 担われているかのように感じられる。

ジェームズが挙げる意識の神秘的状態の中には、 アルコールやクロロフォルムといった麻酔などによって体験される同様の質を伴った事例も含まれる。ジェームズ自身も亜酸化窒素による中毒事例を観察し報告した際に確信をもったことを、以下のように述べており、自らが経験した変性意識状態から、「意識」には、実は、非常に多様な意識状態、意識の次元が存在していることを認めていることが窺える。

 数年前、私自身もこの亜酸化窒素による中毒をこの観点から観察して、その観察を印刷して報告した。そのとき私の心には自然に一つの結論が生まれたが、この結論が真理であるという私の印象はゆるがずにいる。それは、私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目覚めているときの意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとはまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。*5

意識と脳の関係

ウィリアム・ジェームズは、アメリカ心霊研究会を中心とした心霊現象に関する厖大な研究や、意識の神秘的状態に関する深い考察から、脳が意識を生み出すとする産出説(production-theory)ではなく、脳に先立って存在する広大な意識から、脳がその一部分のみを透過、伝送させるとする透過説(transmission-theory)の方が、そのような例外的で曖昧な現象を説明できると考えている。そして、意識と脳の関係について、光と着色ガラス、プリズム、屈折レンズの関係や、空気とオルガンの関係に喩えて以下のように述べている(訳は管理者)。

着色ガラス、プリズム、屈折レンズの場合、透過機能がある。光のエネルギーは、どのように生成されたとしても、ガラスによって篩にかけられるように、色が制限され、レンズまたはプリズムによって特定の経路と形状が決定される。同様に、オルガンのキーにも透過機能しかない。キーは多様なパイプを連続的に開き、空気室の空気を様々な方法で逃がす。様々なパイプの音は、空気の柱が出てくるときに震えることによって構成される。しかし、空気はオルガンで生成されるわけではない。厳密な意味でオルガンは、空気室から分離されており、これらの特殊で制限された形状で空気の一部を世界に放出するための装置に過ぎない。
私の現在の主張は、思考は脳の機能であるという法則について考えるとき、生産機能だけを考える必要はなく、許容機能や通過機能も考慮する権利がある、というものである。そして、普通の心理学者はこれを説明から省いている。*6

また、このように脳が意識を生み出すわけではないとする観点から、意識の不滅性についても以下のように述べている(訳は管理者)。

そして最終的に脳が完全に機能を停止するか、衰退すると、脳が促進していた特別な意識の流れはこの自然界から完全に消滅する。しかし、意識を供給していた存在の領域は依然として無傷である。そして、より現実的な世界では、ここにいる間でさえ、意識は私たちの知らない方法でまだ続いているのかもしれない。*7

  • 参考文献

吉永進一「ウィリアム・ジェイムズの心霊研究」『宗教哲学研究』7巻 宗教哲学会 1990年
最終更新:2025年03月17日 23:57

*1 ウィルソン 1985(邦訳 1991)p.225

*2 ジェイムズ 1902(邦訳 1969)p.350

*3 ジェイムズ 1902(邦訳 1970)p.182

*4 ジェイムズ 1902(邦訳 1970)p.183-185

*5 ジェイムズ 1902(邦訳 1970)p.194-195

*6 James 1898 p.14-15

*7 James 1898 p.17-18