レイモンド・ムーディ

概説

レイモンド・ムーディ(Raymond Moody、1944年6月30日-)は、アメリカの精神科医で心理学者。1969年にヴァージニア大学大学院で哲学博士号を取得。1972年にジョージア州立大学医学部に入学し医学博士号を取得している。1975年、著書の『Life after Life』(邦題:『かいまみた死後の世界』)を発表し、エリザベス・キューブラー=ロスとともに臨死体験研究の先駆者とみなされる。

学生達の臨死体験談と臨死体験研究

ムーディは、哲学科で学んでいた大学2年の終わりに、優等学位プログラムへ参加する事となり、大学院哲学科の授業を聴講した。その時、死後の生命に関するジョン・マーシャルの授業で、精神科医のジョージ・リッチーがかつて医学的に死を宣告されたが、その間、体から抜け出して光るという不思議な体験をしたという話を聞いた。
そして、1969年、イースト・カロライナ大学で学生に哲学を教えていた際、ある日の授業の後、ひどい交通事故に遭ったという学生が死に瀕し自分の人生を変えてしまった体験をしたという事をムーディに話した。ムーディは、その体験をプラトン『国家』に登場する兵士エルやリッチーの体験と同様のものと考え、その後、学生達にそのような証言を多く求め、その事例を多く確認している。ジョージア医科大学に入学後も死後生命に関する話を聞き、入学7箇月後に招かれてミルトン・アンソニー医学会で講演をしているが、この頃、臨死体験という言葉を使い始めた。

そして、臨死体験に関する『Life After Life』の出版後、エリザベス・キューブラー=ロスとも会談し、臨死体験についての互いの研究結果がほとんど一致していた事で、相互に感銘、共感しあったという。また、1980年代頃から臨死体験が周囲の人々にも共有されるという臨死共有体験の事例の収集も行い、これについてもかなりの報告数があるが、ムーディ自身も母の死の際に臨死共有体験をしているという。

死後の世界への確信

ムーディの死後の世界への確信は研究が進む中で変化していると言え、1975年に『Life After Life』の出版当時は、死後の世界の存在の証拠はないとする立場をとっていており、その最後に以下のように述べていた。

 本書を執筆している期間を通じて、わたしは自分の目的と立場が非常に誤解されやすいことを強く意識していた。殊に、科学的精神を持っている読者には、本書に著したことが科学的研究とはいえぬことを、わたしは十分に心得ているむね、念のため申しあげておきたい。さらに、わたしと同じ哲学者に対しては、死後の生命の存在を「証明」したなどという妄想を、わたしが抱いていないことを強調しておきたい。このような問題を徹底的に論ずるためには、本書の研究範囲を越えた専門的な細部についての検討も必要となろう。*1

しかし、1988年に『The Light Beyond』(邦題:『光の彼方に 死後の世界を垣間見た人々』を出版した際は、その結びとして、以下のように述べ、臨死体験を死後の生命が存在する証拠とみなす立場を取っている。

 確固とした科学的証拠がない中で、私は、自分の考えを聞かれることが多い。臨死体験は、死後の生命が存在する証拠なのか、というわけである。それに対して私は、「そうです」と答える。
 臨死体験について強く感じていることがいくつかある。そのひとつは、前に述べた、事実であることが証明できる体脱体験である。肉体を抜け出し、自分の命を救おうとしている人たちの姿を目のあたりにする人がたくさんいるが、これは、人間が肉体の死後も生き続けることを示す、このうえない証拠ではなかろうか。
 体脱体験は、来世を信じるうえでは最もしっかりした科学的根拠になるかもしれないが、私にとって最も印実的なのは、臨死体験が人間の人格にもたらす非常に大きな変化である。臨死体験が体験者を完全に変えてしまうという事実は、臨死体験が現実的なものであり、力を持ったものであることの証なのである。
 私は、二十二年もの間臨死体験を眺めてきたが、死後の生命の存在を決定的に示す科学的証拠が十分あるとは思っていない。しかし、それはあくまで科学的証拠のことである。
 心の問題は、また別である。この場合は、厳密な科学的世界観から離れた判断にしたがうことができる。しかし、私のような研究者に対しては、知識に基づいた分析が要求される。
 そのような検討を行った末、私は、臨死体験者はあの世をかいま見たのであり、別の現実界へ短い旅をして来た、と確信するに至ったのである。*2

また、後述のサイコマンテウムを通した父方の祖母との再会によって、いわゆる死が生の終わりではないという揺るがぬ確信をもつようになったという*3。さらに、ムーディはテレビ出演の相次ぐキャンセルや甲状腺機能低下からくる精神疾患により、「自殺だけがこの苦しみからの出口」という考えが頭から離れなくなり、鎮痛剤を大量に飲んで自殺を図った。その際、臨死体験をして自分の肉体に引き戻されたというが、それは言葉では表現できないものであったといい、周囲に霊達の存在を感じたという。そして、それまで他人の証言から臨死体験を分析してきたムーディが自分自身も1つの臨死体験をした事で、その真実性を確信するに至っている。この事は、2014年9月、NHKが放送した「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」に出演した際の心境の変化からも窺える。

サイコマンテウム(鏡の部屋)

ムーディは、臨死体験における愛する故人との出会いを再現することに興味をもち、霊媒師を介さずに、故人と交流する方法の開発に着手した。そして、古代ギリシャの民間信仰に基づくもので、psychomanteum(サイコマンテウムまたはプシュコマンテウム)と呼ばれる死者の託宣所の話に注目した。サイコマンテウムとは誰もいない静かな部屋で、大きな鏡に向かって座り、再会したい故人を思い浮かべながら、鏡を見つめていると故人の魂が姿を現すというものである。ムーディは、現代版のサイコマンテウムを作り、故人との再会に成功したと発表している。

被験者の証言

環境を人為的に調整すれば、健康で正常な人が愛する故人の幻像をいつでも見るようにできるのかという問題を考えたムーディは実験に協力してくれるという人を10人集めた。なお、実験結果に影響を及ぼすと分析が難しくなるといった理由から被験者には神秘主義的なイデオロギーを信じていない人が選ばれた。結果は当初の予想とは驚くほど違っていたらしく、ほんの10回ほどの実験で、被験者となった10人のうち、5人が死んだ親族を目にしたらしく、施設を改良し、ムーディの腕が上がってくると、さらに成功率は高まったという。*4
母親が亡くなって以来ずっと悲しみに暮れていたという40代半ばでニューヨーク市の公認会計士事務所で働いているという男性は、サイコマンテウムで鏡の中に生身の母がいたのを確認したという*5。歳は死んだときと同じ70代後半だったと言い、唇は動かなかったが母は「わたしは元気よ」と話しかけてきて、男性は「また会えてうれしいよ」と言うと、母が「わたしもよ」と答え、母はすっと消えてしまったという。男性は、そのようなことが起きた理由について、自分の記憶がそういう形で現れたのか、本当に母の霊魂だったのか断定するには至らず、確かな理由は分からないと述べているが、母に会ったのは事実であるという。
この他、ムーディは西海岸から来た内科医が亡き甥と対面し「母さんに元気だと伝えてください」と伝言されたというケースや、鏡から抜け出した亡き祖父に抱きしめられたというケース、亡き夫に「お前の生き方は正しいし、子供たちの育て方もそれでいい」と言われ、鏡の中に二人で過ごした人生の様々な場面が映ったというケース、亡き母親と再会したという外科医のケースなども紹介している。そして、ほとんどの被験者が愛する故人との再会は幻想や夢ではなくリアルなものであると語っているという。

ムーディの体験と再会に関する事実

何人かの人に鏡視実験を行った後、ムーディ自身も鏡視を試している。ムーディは、彼の人生の大きな場を占める母方の祖母に会いたいと思い、薄暗い明かりの中で、一時間以上、大きな鏡の奥を見つめたが、祖母の存在を少しも感じられず、死者と再会する能力はないようだと思ったというが、その後、ある出会いを体験している*6。ムーディが部屋で一人座っていると、いきなり女の人が入って来て、それが数年前に亡くなった父方の祖母であると気付いた。ムーディにとって、母方の祖母については感じの良い思い出が多かったが、父方の祖母となると不愉快としか言えない思い出もかなりあった。しかし、この時、現れた祖母の目を見つめていると、温かい愛情や理解を超えるほどの共感と優しさが感じられ、また、死んだときよりもずっと若く見えたという。そして、祖母は専らムーディとの関係の事を話し、祖母との関係を改善しているが、関係が円滑であった母方の祖母ではなく父方の祖母と再会している事から、ムーディは会いたい人ではなく会うべき人に会うのだと思うと考えている。

故人との再会に関する事実として、ムーディは自身の体験のように、会おうとした死者以外の死者が現れるケースがかなりあること、約1割のケースでは死者が鏡から抜け出し周囲の環境の中に現れるということなども挙げている。また、被験者の約15パーセントは実際に声を聞いたのだと言い、中には一種のテレパシーで会話がなされたという例もある。そして、被験者の約25パーセントは実験の最中ではなく、実験室を出た後に故人に会っていると言い、ムーディ自身も別の部屋に行ってから会っているという。

実験の手順

ムーディは、変性意識状態への移行を容易にする要因として、自然の美、時間感覚の変質、芸術、知識とユーモアによる刺激、遊びの感覚などを挙げており、美術品、骨董品、自然、楽しさ、遊びなどの要素を重視してからは被験者が死者と対面できる回数が増えただけでなく、面会の内容も充実してきたという。
実験の手順としては、前日はカフェインや乳製品の摂取を控え、主に野菜を食べる。静かな部屋を選び、夕方など薄明かりのある時間帯を選ぶ。部屋の電気製品、電話のプラグを抜き、楽な服装で身に着けている時計、貴金属類は外し以下の手順で行われるという。

1 部屋に大きな鏡を置き、その正面に座った時にまっすぐ鏡に目線が行くように椅子を置く。
2 自分の背後にキャンドルの火を灯す。
3 会いたい故人の写真や形見などを手元に置き、親愛の気持ちでその人のことを想い出す。
4 椅子に楽な姿勢で座り、15分ほど、美しいサウンドを聴きながらリラックスして意識の変容を導く。

ムーディによると、慣れると故人との面会時間は長くなるという。

  • 参考文献
レイモンド・ムーディ『かいまみた死後の世界』中山善之 訳 評論社 1989年
レイモンド・ムーディ『続 かいまみた死後の世界』駒谷昭子 訳 評論社 1989年
レイモンド・ムーディ『光の彼方に 死後の世界を垣間みた人々』笠原敏雄・河口慶子 訳 TBSブリタニカ 1990年
レイモンド・ムーディ/ポール・ペリー『リユニオンズ 死者との再会』宮内もと子 訳 同朋舎出版 1994年
レイモンド・ムーディ/ポール・ペリー『永遠の別世界をかいま見る 臨死共有体験』堀天作 訳 ヒカルランド 2012年
レイモンド・ムーディ/ポール・ペリー著、矢作直樹監修『生きる/死ぬ その境界はなかった 死後生命探究40年の結論』堀天作 訳 ヒカルランド 2013年

  • 参考サイト
最終更新:2025年01月20日 00:41

*1 ムーディ 1975(邦訳 1989)p.219

*2 ムーディ 1989(邦訳 1990)p.225-226

*3 ムーディ 1994(邦訳 1994)p.45

*4 ムーディ 1994(邦訳 1994)p.113

*5 ムーディ 1994(邦訳 1994)p.109-113

*6 ムーディ 1994(邦訳 1994)p.40-46