概説
エリザベス・キューブラー=ロス(Elisabeth Kübler-Ross、1926年7月8日- 2004年8月24日)は、アメリカ合衆国の精神科医。スイスのチューリッヒに、三つ子姉妹の長女として生まれ、父親の医学部進学への反対があり自ら学費を捻出し、1957年、31歳の時にチューリッヒ大学医学部を卒業した。学生時代に知り合ったアメリカ人留学生マニー・ロスと共に学業をさらに続け、また働き口を探すべく、1958年アメリカに渡った。コロラド大学で精神科医の単位を取得、1965年からシカゴ大学医学部に移り、臨床的な研究を発展させた。1969年に著書の
『死ぬ瞬間』において、
キューブラー=ロスモデルと呼ばれる「死の受容のプロセス」を提唱しており、
臨死体験研究の先駆者でもある。
キューブラー=ロス モデル(死の受容のプロセス)
否認・隔離
自分が死ぬという事を受け入れられず、その事実を嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り
なぜ、どうして自分が死ななければならないのかという怒りを覚え、それを周囲に向ける段階である。
取引
死の恐怖から逃れようと、何とか死なずに済むように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ
死は避けられない事を悟り、喪失感に絶望し、何もできなくなる段階である。
受容
最終的に死は避けられない運命として、自分が死に行くことを受け入れて、心の安らぎを得る段階である。
臨死体験研究
エリザベス・キューブラー=ロスは、終末期を迎えた患者には延命だけでなく、心のケアも必要である事を訴えたが、そのような活動の副産物として
臨死体験した患者の記録が生まれた。
また、ロスは父の死の際に、父がロスの祖父と会話を交わし始めるという
お迎え体験をしているのを目にし、それは幻覚ではないと確信をもったという。ロスはこのような体験に惹かれて、死後の生への関心を深めていったが、1970年にシカゴの病院にいる時に、
臨死体験をし、体外離脱して医師の蘇生術を見たり医師のジョークを聞いたりしたという患者に出会い、死と死後の問題を考える上で大きな手掛かりになるのではないかと考えた。その患者は手中治療室を15回も出たり入ったりしていたシュワルツ夫人という女性患者であり、その時のことを以下のように記している。
彼女は個室に入られました。突然、死がすぐそこまで迫っていることが分かりましたが、看護婦を呼ぶべきかどうか、決心がつきませんでした。一方では、枕に頭をのせて、そのまま安らかに眠りにつきたいと思い、もう一方では、末息子がまだ小さいのだから、もう少し長生きしたいと思いました。看護婦を呼んで、もう一度がまんしてあれこれの治療を受けようという決心がつく前に看護婦が部屋に入ってきて、彼女を一目見ると、顔色を変えて飛び出していきました。ちょうどその瞬間、彼女は自分が静かにゆっくりと肉体から離れ、ベッドから一メートルほど上に浮かびあがるのを見ました。シュワルツ夫人はユーモアのセンスのある人で、そのときの自分の肉体は「青白くて、気味が悪かった」と話してくれました。そのときは、驚きと畏敬の念をおぼえたが、恐怖とか不安は感じなかったそうです。
蘇生チームが入ってくるのが見えました。誰が先頭で誰が最後か、彼女はこまかく覚えていましたし、彼らの話も一言ももらさず聞き取れました。それだけでなく、彼らの考えていることまで全部わかりました。彼女は後に、かなり狼狽していたらしい研修医が口にしたジョークをそっくり繰り返すことができました。彼女は、自分は平気だからあわてないで落ちつくようにと、彼らに伝えたくてたまりませんでした。ところが、彼女がなんとかそれを伝えようとすればするほど、医師たちはますます必死になって彼女を蘇生させようとするのです。それでやっと彼女は、自分には彼らのことが見えるけれど、彼らはこちらが見えないらしいということに気づいたと言います。そこでシュワルツ夫人はあきらめ、彼女自身の言葉を借りれば「気を失い」ました・四十五分間にわたる蘇生の試みが失敗に終わった後、彼女は死を宣告されました。ところが、三時間半後に息を吹き返し、医師たちを仰天させたのでした。彼女はその後一年半生きつづけました。
そして、終末期患者の枕元に夜な夜な通い、体験談を聞き出し、その共通項の多さから死後の世界の実在を信じるに至った。霊的存在との交流などを著書や講演で語った。しかし、ロスは、死の匂いを嗅ぎつけては舞い寄るハゲタカと後ろ指をさされたり、批判や中傷を受けたりしたが、この仕事を続けた。そして、最終的に2万件以上の臨死体験の例を集めたという。
また、死後の世界、魂の実在への関心から霊媒師とも交流を深めるようになったため、同僚からも疎外され、夫にも離婚され孤独な晩年を送ったという。
神秘体験
エリザベス・キュブラー=ロスは、ある研究プロジェクトの被験者として実験室で医学的な手段によって人工的に
体外離脱体験をしたという。彼女はその実験で小部屋のウォーターベッドの上に横たわり、しばらくするとすでに空中をふわふわ浮いていた。そして、自分で自分を誘導し遠くまで上昇した。誰も来たことのない場所にいたあと彼女は何が起こったのかは全く覚えていない。
この世の肉体に戻ったとき、覚えていたのは「シャンティ・ニラヤ」という言葉だけであった。実験を終えた彼女は、山の中のゲストハウスに一人で泊まった。そしてその晩、
体外離脱の時に遠くへ行き過ぎた埋め合わせをすることになるのではという予感通り、「それまでに接した千人の患者の千の死」を体験したという。その無上の苦しみを味わい、それに耐え続けていたときに彼女は、闘いをやめ、反抗するのをやめ、戦死であることをやめ、ただ平和におだやかに、自分からすすんで身をまかせさえすればいいのだ、それに対して素直に「イエス」といえさえすればいいのだ、と気づいた。その瞬間に痛みは止まり、千の死に代わって今度は「再生」を経験したという。その体験については以下のように記している。
私の見るものすべてがふるえていました。天井、壁、床、家具、ベッド、窓、そして窓の外の地平線も振動していました。ついには地球全体が、ものすごいスピードで振動しはじめました。分子の一つひとつが振動し、同時に、蓮の花のつぼみみたいな ものが眼前にあらわれ、何とも美しい色の花が咲きました。そしてその花の後ろに、患者たちがよく話していた光が見えました。私は猛スピードで振動する世界のなかを、開いた蓮の花を通って、その光に近づき、信じられないような無条件の愛のなかに溶け込んでいき、ついにはその光と一体になりました。
そして、その光源を一体化した瞬間、いっさいの瞬間が止まりました。深い静寂がおとずれ、私は催眠状態のような深い眠りに落ちました。目覚めたとき、私はしっていました。――さあ服を着て、サンダルをはき、山をおりなくてはいけない。地平線から太陽がのぼるときにそれがはじまる、と。
一時間半ほどして、私は目覚め、服を着てサンダルをはき、山を下り、おそらく人間がこの地上で体験できる最高の陶酔感を味わいました。私は、私を取り巻いている世界に対する愛と畏怖に満たされていました。私は一枚一枚の葉に、一つの雲に、一本一本の草に、一匹一匹の虫に、恋していました。未知の小石たちが脈打っているのが感じられました。私は、まぎれもなく小石の少し上を歩きながら、小石たち「踏んだりしませんよ。あなたたちを傷つけたりしませんよ」と話しかけていました。
山の下までおりてきたとき、自分が地面に触れずに歩いてきたことに気づきました。でも、私の経験が本物であることは疑いありませんでした。ただ、生きているものすべての内には生命が脈動している、という宇宙意識や宇宙的な愛は、言葉では言い表せないのです。
最終更新:2024年09月08日 00:56