シンクロニシティ

概説

シンクロニシティ(synchronicity)とは、カール・グスタフ・ユングが提唱した概念で意味のある同時生起、偶然の一致を指す。シン(syn)とは、同じという意味の英語の same と同語源で、クロニシティーは時間を意味するギリシャ語に由来するが、日本語では主に「共時性」と訳され、他にも「同時性」もしくは「同時発生」と訳される場合もある。虫の知らせのように因果関係がない(一方が他方の原因になっていたり、共通の原因から両者が派生していたりしない)2つ以上の事象が、類似性を持つことなどが挙げられ、ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ。共時的要因は、時間、空間、因果性という承認されている三組の上に第四番目として付け加えられるべき原理の存在を主張し、ユングは以下のような図を用いている。
(『自然現象と心の構造』p.133より)
また、量子力学の先駆者の一人で晩年にノーベル物理学賞を受けたヴォルフガング・パウリはユングと共に、シンクロニシティを物理学と深層心理学という2つの異なった領域から論じ合い、共同研究で論文を作成している。そして、古典的な図式での時間と空間という対立関係をエネルギー(の保存)と時-空連続体という対立関係に置き換えるよう提案し、以下の図によってより緊密に定義づけるようになったという。
(『自然現象と心の構造』p.136より)
なお、シンクロニシティは中国哲学の「易」の思想に基づくものであると言われる。

シンクロニシティの例と分類

ユング自身によって語られたシンクロニシティの例のひとつとして、治療セッション中に起こった発作に関わるものがあり、「共時性:非因果的連関の原理」において次のように述べている。

私が治療していたある若い婦人は、決定的な時機に、自分が黄金の神聖甲虫を与えられる夢をみた。彼女が私にこの夢を話している間、私は閉じた窓に背を向けて坐っていた。突然、私の後ろで、やさしくトントンとたたく音が聞こえた。振り返ると、飛んでいる一匹の虫が、外から窓ガラスをノックしているのである。私は窓を開けて、その虫が入ってくるのを宙でつかまえた。それは、私達の緯度帯で見つかるものの内で、神聖甲虫に最も相似している虫で、神聖甲虫状の甲虫であり、どこにでもいるハナムグリの類の黄金虫(rosechafer, Cetonia aurata)であったが、通常の習性とは打って変わって、明らかにこの特別の時点では、暗い部屋に入りたがっていたのである。これに似たことは、それ以前にも以後にも起こったことは一度もなく、患者の夢は私の経験に独特なものとして残っているということを私は認めねばならない。*1

ユングの患者は、合理主義的な態度を崩さない女性であったが、この時から、彼女の過剰な合理主義の砦は破られ、治療のセッションは実りの多いものとなったという。
この他にも、シンクロニシティの例として、モーガン・ロバートソンの小説『タイタン号の遭難』の中で描写された不沈船の沈没はその14年後に現実のタイタニック号が見舞われた悲劇と気味が悪いほど似ているという事や、並木伸一郎/宇佐和通『シンクロニシティ 世にも奇妙な偶然の一致』(学研プラス 2000年)などに奇妙で不思議なシンクロニシティの実例が多く紹介されている。
シンクロニシティの分類として、ユングは以下の3つのカテゴリーに分類する試みをしている*2

1 観察者のある心的な状態と、それと同時に生じる、そのような心的状態に対応するような客観的で外的な出来事との間に何の因果的な関連も認められず、上述の空間と時間の心的な相対性を考慮しても因果的関連が考えられない。
2 ある心的な状態と、それに対応して(多少とも同時に)生じるけれども、観察者の知覚範囲外、すなわち遠くで生じて、後からやっと確かめることのできる外的な出来事との符合。
3 ある心的な状態と、それに対抗する、いまだ存在していない未来の、すなわち時間的に離れたでき事との符合。これも後からしか確かめることが出来ない。

1は超心理学でいう予知、2は遠隔視(千里眼)、3は夢と外界での事象の一致であると言える。
また、アラン・ヴォーン『信じられない偶然 シンクロニシティの神秘』は偶然の出会いを4つに分類している。*3

第一種偶然遭遇 びっくりするほど確率の低い事柄に、まったく偶然に出会った場合。
第二種偶然遭遇 心霊的に意味のある過ちをしたことがきっかけで、別の、意味のある偶然の一致に出くわす、という場合。
第三種偶然遭遇 捜し求めていた対象にひょっこり出会う、という場合。
第四種偶然遭遇 偶然の出来事が未来の重大事(特に人生の伴侶や恋人との出会い)に深い意味を持っている場合

さらに、考古学者のフランク・ジョセフは800人以上にインタビューを行うと同時に多くの文献から豊富な実例を収集した結果、共時性を17に分類している。*4
そして、宝石や人形など物体に関連して起こる現象、数字の組み合わせや同じ数字が繰り返し現れる現象、環境及び動物に関するオスタンテ、予兆、夢、導き、テレパシー、パラレル・ライフ、人間のルーツの解明、芸術、警告、死、救済、生まれ変わり、モイラ(天職)、謎、人生を変えるような出来事などかなり広範囲にわたる偶然の一致を網羅している。

シンクロニシティの解釈

客観的な思考態度(結果によるコンスタントな連結)によって世界を眺めると、シンクロニシティのいずれも偶然として片付けることができるにしても、シンクロニシティを実際に経験した本人にとってはそれを偶然と呼ぶだけでは、何の説明にもならず、それらが意味を持ち、人生に於いて大きな役割を果たしている。

アーサー・ケストラーは、非因果的な共時性はESPによって惹き起こされているようだとし、ESPと共時性とを明確に区別する事は特に難しい事であると述べている*5。また、偶然の一致が起こる確率を計算することは、非常に困難な場合が多く、たとえ計算できたとしても、計算した結果は限りなくゼロに近い数になってしまうといい、それが偶然の一致の特徴とも言える*6。一方、唯物科学による因果律への信奉から離れればシンクロニシティはそれほど不可解でも神秘でもないと言えるかもしれない。この点について、夢を憶えていたり、祈りや瞑想に没頭したり、意識の変化を経験したことがある人はシンクロニシティを毎日起こる当たり前の出来事のように経験しているとも言われる*7

そして、生物学者のパウル・カマラーは注意深い分析によって確認され得る限りにおいて、同一の動因によって結ばれていないにも関わらず、それらが空間・時間内で規則的に再現されたり連続したりすることを系列性(シリアリティ)と呼んでおり、ある出来事は直接それとは因果関係はないが、より包括的な形やパターンに所属し別の偶然の出来事に親和性を示す、自然には隠された調和が存在するとも考えられ、シンクロニシティは、時間と因果関係という概念を超えて、自然が繰り広げる広大なパターンを垣間見せてくれるものとして考える事が出来る。ただし、ユングはカマラーの見解に批判的で、カマラーの集めた事例群について「偶然の連続しか含んでいない」と断定しており、無意味な偶然の一致に過ぎないとしている。*8
さらに、シンクロニシティは大きな知性の流れ、人間を超越した全体、源とさえいえる大きなものとも結びついているといった考えや、宇宙や自然には「偉大なる知性」と呼べる存在の働きかけで偶然の一致が起こるという考えもあり、テイヤール・ド・シャルダンの言う「精神圏」やフランク・ジョセフの言う「超意識(スーパー・コンシャスネス)」なるものがそれに当たると言えるかもしれない。また、岸根卓郎は時間が停止した見えない四次元世界のあの世の先見的宇宙情報(宇宙の意志)が、波動の世界を介して、時間の流れる見える三次元世界のこの世において顕現したのが共時性現象なのだと言い、人間にとっては、時間が流れるために因果関係(因縁生起)としてしか体験できない三次元世界のこの世の背後には、通常の人間の意識(心)では到底感知できないような時間の停止した四次元世界のあの世の共時性の世界がある事を指摘している。*9

物質(外的経験)と心(内的経験)にまたがって存在する深いレベル

物質の顕微鏡的なレベルの彼方が探られるにつれて、不確定、微妙さが増していくレベルがある事が分かっており、心についても深層無意識に共通した集合的レベルである集合的無意識の探求が心理学的に深いレベルで進められていくと、普遍的であるという意味で客観的な秩序やパターンがあると考えられている。ここに、物質と心、客観と主観という埋めがたい対立は消滅していくと考えられ、デヴィッド・ピートは『シンクロニシティ』において、シンクロニシティは心と物質の両者の底に横たわる、未知の基底の現れと捉えている。そして、世界、宇宙についての客観的な見方と主観的な見方の間の埋めがたい対立に橋をかける出発点となり得るのがシンクロニシティであり、それは意識と物質のより深いレベルを垣間見せてくれるものであるかもしれない。この点については、ユング自身も全ての存在の究極の統一性を信じていたと言え、中世哲学、錬金術の用語を借りて一なる世界を意味する「ウーヌス・ムンドゥス(Unus Mundus)」と呼び、物質的なものと精神的なものとに分けようとするわれわれの考えを超えていると捉えているようである*10。そのような意味でも全体としての宇宙と人間は、物の面だけではなく心の面でも共通した個体を超えた秩序によって結ばれていると言えそうである。
ユングは深層心理を分析する上で、集合的無意識を最も重視しており、シンクロニシティの基礎であり発現の源になるのも集合的無意識の考え方であるとも言われる。その本質はその内的構造を維持するダイナミックなパターンと対称性の内にあり、そして物質のダイナミックな構造もそれ自身の意味に従って展開し、意味こそ、物質でもなければ心でもない発生の原理の中心にあるかもしれないとも言われる。このような案が得方は前出のカマラーの系列の考え方を発展させたものと言えるかもしれない。因みに、ユング自身は、物質と心のいずれをも含み、かつその彼方に達するものとしてプシコイド(表象不可能性の領域)なる概念を導入している。

(以下は管理者の見解)
今日において、物質と心(意識)は異なった実質として考えられる事がしばしばある。しかし、両者はひとつの共通のスペクトラム上に位置付けられ、世界、宇宙とは本来、ひとつの共通の秩序、心的・物質的領域にまたがって広がる調和であると言えるかもしれない。そして、因果律・決定論・還元主義は、事物が空間内で区別分離され、相互作用の影響下に起こる出来事の継起という局面を扱う限り、適切であるが、それによって世界の全てを説明できる事にはならない。そのように世界を見れば、あるレベルでは構成物質の作動によって因果関係に基づいて説明されるが、また別のレベルでは全体の目的や意味によって定義される事になり、これらの説明は互いに矛盾する事はないであろう。それ故、シンクロニシティの考え方を受容する事で、従来のパラダイムとは違った形の人間観や世界認識が可能になるだろう。

哲学の歴史においては、古代ギリシアにおいて、アリストテレスは目的因(causa finalis)なる因果の概念を提唱し、万物は目的を持ち、その目的が原因となって目的を達成するように変化するとされる考えられた。しかしながら、近代に入ると、ルネ・デカルトやガリレオ・ガリレイ、フランシス・ベーコン等を始めとする人々は自然に目的があるとするアリストテレスの世界観を攻撃し、物理的な力が物事を生じさせるとする機械論の導入により、目的が物事を生じさせるとする目的論的な考え方を排除した。近代において、恣意と想像力に対する根本的な懐疑から、目的(目的因)を科学の領域外のものとし、自然はそれ自体の原理によって探究されるべきだと考えられたと言える。しかし、このような目的(目的因)を排する仕方での世界認識が唯一の厳密に正しい世界認識の方法であるとは言えないであろう。
そして、宗教哲学者のヒューストン・スミスが(規範的)価値、目的、人生の意味、質といった事は自然科学の対象領域で扱われ得ないと述べ自然科学は物質レベルというただ1つだけの存在論的地平にしか関わらないとしているわけであるが、因果関係に基づいた説明が世界を理解する唯一の厳密に正しい方法であるという考えから離れる事で、シンクロニシティもまたより自然な仕方で理解されるであろう。

因みに、フランク・ジョセフは生まれ変わりもまたシンクロニシティの一種として位置付けているが*11イアン・スティーヴンソンらが慎重に検討した前世の記憶とそれを象徴するような母斑や先天的欠損については顕著な例であると言え、これらも、構成物質の作動による因果関係に基づいて単なる偶然として片付けるのではなく、目的や意味というレベルから説明され、理解されるべき事であろう。このように、シンクロニシティについて考えると、超心理学等の諸理論と関係づけられ、それらを目的や意味といったレベルから適切に眺めることが出来るかもしれない。

  • 参考文献
河合隼雄『宗教と科学の接点』岩波書店 1986年
河合隼雄『ユング心理学入門』岩波書店 2009年
湯浅泰雄『共時性の宇宙観 時間・生命・自然』人文書院 1995年
湯浅泰雄『ユング超心理学書簡』白亜書房 1999年
湯浅泰雄『湯浅泰雄全集 第十七巻 ニューサエンス論』ビイング・ネット・プレス 2012年
定形昭夫『偶然の一致はなぜ起こるのか』河出書房新書 1999年
喰代栄一『地球は心をもっている 生命誕生とシンクロニシティーの科学』日本教文社 2000年
並木伸一郎/宇佐和通『シンクロニシティ 世にも奇妙な偶然の一致』学研プラス 2000年
岸根卓郎『量子論から科学する「見えない心の世界」心の文明とは何かを極める』PHP研究所 2017年
笠原敏雄『人間の「つながり」と心の実在 意味のある偶然あるいは超常的な事実の心理学』すぴか書房 2020年

C・Gユング/W・パウリ『自然現象と心の構造 非因果的連関の原理』河合隼雄・村上陽一郎 訳 海鳴社 1976年
アーサー・ケストラー『ホロンの革命 部分と全体のダイナミクス』田中三彦・吉岡佳子 工作舎 2021年
アラン・ヴォーン『信じられない偶然 シンクロニシティの神秘』新島義昭 編訳 1981年
F.D.ピート『シンクロニシティ』管啓次郎 訳 朝日出版社 1989年
フィリス・アトウォーター『臨死体験未来の記憶 精神世界への新たなる光』青山陽子 訳 原書房 1997年
アンソニー・ストー『エセンシャル・ユング ユングが語るユング心理学』山中康裕監修 菅野信夫・皆藤章・濱野清志・川嵜克哲 訳 創元社 2020年
  • 参考サイト
最終更新:2024年04月22日 14:14

*1 ユング・パウリ 1952(邦訳 1976)p.28

*2 定形 1999 p.26

*3 定形 1999 p.31

*4 定形 1999 p.37

*5 ケストラー 1978(邦訳 2021)p.354

*6 喰代 2000 p.115

*7 アトウォーター 1996(邦訳 1997)p.110

*8 笠原 2020 p.362

*9 岸根 2017 p.398-399

*10 ストー 1983(邦訳 2020)p.351

*11 定形 1999 p.40