概説
フリッチョフ・カプラ(Fritjof Capra、1939年2月1日 -)は、オーストリア出身のアメリカの物理学者、システム理論家、ニューサイエンスの旗手として広範な活動を展開する。1966年、ウィーン大学で理論物理学の博士号を取得。素粒子物理学とシステム論の研究をパリ大学などで行い、パリ大学で高エネルギー物理学の理論研究を進めている最中に、五月革命の震動を体験、鈴木大拙の禅とも出逢う。1975年に、「リアリティとは何か」について物理学と東洋思想、神秘主義の垣根を超えてそれらの類似性を指摘した『The Tao of Physics』(邦題:
『タオ自然学』)を発表し、世界的ベストセラーとなった。そして、いわゆるニューサイエンスの震源になったと言われ、
トランスパーソナル心理学の成立と展開にも寄与したと言える。
物理学と神秘主義の類似性
フリッチョフ・カプラは、物理学では、モデルや理論(実験の解釈)は基本的に全て近似的であるとされていると指摘しており、神秘家についてはリアリティの体験に関心があるがそれを伝達しようとすれば言語の限界に突き当たる事を指摘している。知識を言葉によって表現しようとした東洋の神秘思想家は、言葉や「直線的」な思考法に限界がある事を自覚しているのだと言い、現代物理学者もモデルや理論が近似的で不正確さを免れないという点で言葉によるモデルや理論に対し神秘思想家と変わらぬ態度をとるようになっているという。
そして、カプラは、ヒンドゥー教徒がシヴァ神のコズミック・ダンスを通して物質の本質を理解していくのに対し、物理学者は場の量子論を通して同じ事を理解していくのだと言い、いずれもそれを生み出した人間のリアリティに対する直観的な理解を表すモデルなのであると述べている。また、極微の世界に赴くとき、科学はわれわれの感覚的な想像力の限界をはるかに超えてしまったと言い、物理学者は非感覚的なリアリティを体験しパラドックスに直面せざるを得なくなったという点で、現代物理学のモデルは東洋の哲学に大きく接近してきたのであるという。
対立世界の超越
あらゆるものごとを基本的な合一性の現れとして体験する、と東洋の神秘家に語られる時、ものごとの特質を認めつつも、全てを包含する統合体の中では差異は全て相対的である事を自覚しているのだと言われる。そして、相対的である対立の統合にはダイナミックな調和の概念が不可欠であるとされ、円運動とその投影の例で示しているが、このようなイメージは中国の思想家の心の中にあったとされ、その類似性から円内に「タオ」、振幅の両端に「陰」「陽」と記している。
(『タオ自然学』p.165より)
また、現代物理学において、対立概念の統合は素粒子レベルにその例を見出すことが出来るという。そして、量子論において、対立概念の統合(相補性原理)は、量子性として素粒子レベルの四次元で生まれたと言えるが、人間の思考パターンは三次元感覚しか持ち合わせない。三次元から四次元へ移行する事で、空間と時間という、(外見的には)別々の実在が統合される。図では、二次元平面で水平に切断されたドーナツ・リングは、二次元平面では完全に分離された2つの切断面(二極対立する2つの円盤)が三次元空間では統合されて1つのドーナツ・リングになっている事が示されている。
(『タオ自然学』p.168より)
ニューパラダイム思考
カプラ自身は自らをシステム理論家と称し、彼によると、古い科学的パラダイムを、デカルト・ニュートン・ベーコン主義的パラダイムであると言う。新しいパラダイムは、全体論的・生態学的・システム論的パラダイムと呼ぶことができるが、それで言い尽くしているわけではないという。システム理論とは、あらゆる現象が相互依存しているものとして、世界を見る枠組みであり、その中で、その性質を部分の性質に還元する事の出来ない統合された全体はシステムと呼ばれる。そして、科学と神秘主義との類似性は物理学のみならず、新しいシステム生物学にも敷衍できるとしており、生命体のシステム論的見方にとって重要な多くの観念を神秘的伝統の中に見出すという。さらに、文化についても還元主義的な科学の度外れた偏重の結果として、次第に断片化し、極端に不健康なテクノロジー、制度、様式を作り上げてきた事を指摘している。
(以下、管理者の見解)
科学と神秘主義を結び付けようとする事は時として牽強付会をする事となりかねず、
ケン・ウィルバーも人間の霊性を考える上で、肉の眼(自然科学的な眼)、理知の眼(客観的眼より心的現実が重要な心理学的眼)、黙想の眼(霊の眼であり、精神が精神を直接体験することによる知)といった3つの眼の内の1つだけが突出し、他の眼の存在を否定し、全てに適用してしまう事を範疇錯誤(カテゴリーエラー)だとしている。また、
菅原浩『魂のロゴス』の中においても、ヒンドゥー教や仏教などは根本では人間の精神の「目覚め」について語る思想であり、その中核そのものは科学によっては一指も触れることはできないという事が対話形式で表現されている。しかし、実際、カプラも科学と神秘思想が相互に影響し合う可能性や、両者の統合の可能性については「ノー」と答えるべきだと考えると述べ、科学と神秘思想は、人間の心の中にある相補的な合理的能力と直観的能力それぞれの現れなのだとし、一方が他方を包括したり、どちらかに還元されたりすることもないと指摘している。
また、神秘的知識が現代物理学と関係するのは、知識のさまざまな特徴の一面に限られ、それは決定的な形で指し示されるのではなく、直観でじかに経験するほかないと指摘しており、少なくとも現代物理学の理論やモデルが東洋の神秘思想と調和し内的矛盾のない世界観に通じている可能性を示した点や科学理論による世界モデルが伝統的世界観と共有可能なものになってきた事を示唆している点では興味深いもので大きな意味があったものと言える。
最終更新:2023年04月24日 11:30