森田健は、不思議現象を調査し、1996年に中国の新聞に「特異能力者募集」という内容の広告を出したところ、考古学研究所に勤め遺跡の発掘をしていると言う人から連絡があり、彼の故郷に
生まれ変わりの記憶を持った人が沢山いる事を告げられた。そして、中国奥地に実在し、前世を記憶する人が集中する
生まれ変わりの村(森田らがそう名付けているが現地ではそう呼ばれているわけではない)で、84人を徹底調査し、死んで生まれ変わったという本人や前世での家族を追跡取材し、生まれ変わりの過程などを
『生まれ変わりの村①』(河出書房新社、2008年)~
『生まれ変わりの村③』(河出書房新社、2010年)に収録している。この調査でも退行催眠によらず、
生まれ変わりの話を聞き、前世とされる家にも取材に行っている。
生まれ変わりの村の特徴としてスープの伝説(後述)の他に、日本人の生まれ変わりの事例とは異なり、村の中で生まれ変わるという例が多く前世と現世の家が近いことが挙げられる。このような事から、生まれ変わった人は前世や前々世の家を訪ねているという。一方、生まれ変わる場所は近いが、前世から縁のあった家に生まれ変わるという事例はなく、生まれ変わりはランダムであるようである。また、生まれ変わった場合、周囲のことは覚えていても、自分の事は忘れていたという点も多くの人に共通していたといい、この事は、何が生まれ変わるかや「私とは何か」といった事を考えていく手掛かりとなるかも知れず、森田は「私」というものが視点だけである可能性を指摘している。また、前世でも今世でも「私」という感覚は変わらないという事について次のような質疑応答のやりとりが記されている。
「私というアイデンティティは、性が変わったことで変化はありましたか?」
「私というアイデンティティは、性の変化にまったく影響されていません。『私は私』…という感覚は女性としての前世でも、男性としての今世でも同じです。とても不思議です。」
スープの伝説
また、
生まれ変わりの村の特徴として、森田は忘却のスープの話を紹介している。
前世を記憶するある女性は、死んでから2年ほど経ったある日、生まれ出る寸前にあの世で、橋のたもとにおばあさんがスープを持って立っているのが見え、そこにたくさんの人間が並んでたという。しかし、おばあさんの差し出すスープを飲まずに逃げ、次の瞬間、今の肉体に生まれ変わったという。生まれ変わりの村には1つの言い伝えがあると言い、死後の世界には
奈何橋(いかはし)という橋の近くでおばあさんがスープをコトコトと煮ていて、魂がこのスープを飲むと、前世の事を忘れてしまい、飲まなければ覚えているという。このようなスープの伝説がある事で、生まれ変わりの村には前世を記憶する人が多いのではないかとも言われる。
大門正幸によれば、ヴァージニア大学知覚研究所のデータの中にも記憶を忘れさせる忘却の食べ物の話が、幾つか報告されているという。具体的には、タイの子どもがお坊さんから貰った御菓子を食べたら記憶をなくしてしまうと思って食べなかったという話や、また別の子どもが桃のような果物を食べなかったという話などが紹介されているが、中には果物を食べているにも関わらず、過去生の記憶をもっていてそれが事実であると確認されている事例もあるという。このような前世の記憶を忘れない理由に関する話は、プラトンが記した『国家』に登場するエルという兵士の物語に出てくる忘却の平原や不注意の川にも通じる部分がある。
(以下は管理者の見解)
森田健の生まれ変わりの村の調査研究では、スープの伝説の他に、あの世に貨幣システムがあって買い物をしたり、服装規定があったり、中国語で会話をしたりといったようなあの世が現世的であると言える証言が多くみられる。また、森田は日本人の証言者からもスープについて語られたケースがあるといい、中国の生まれ変わりの村だけの特殊現象ではないという可能性を指摘している。あの世に関するこのような証言については、ヴァージニア大学による
生まれ変わりの研究や臨死体験者の証言とは一致しない部分も多いと言え、どの程度、一般化できる話であるかは更に追究されねばならない課題の1つと言えるだろう。しかし、死後の生もまた心の創造物であり続けると考える
ジム・タッカーも、人々が死後に行く世界は1つとは限らない事を指摘しており、各人の文化や信仰の違いによって意識によって作り出される現実には違いがある可能性も予想される。実際、異なった地域や異なった人々から集められた
臨死体験の報告には何らかの普遍的な特性は確かに存在しても、多様性を示しており、中国奥地の生まれ変わり村の事例も、勿論それを想起している人にとっては現実であり何らかの意識状態の現われであるという可能性は否定できないだろう。
最終更新:2023年04月24日 10:08