臨死体験 > 体外離脱体験


体外離脱体験

体外離脱体験は、英語ではOut-of-Body Experience(略称: OBEまたはOOBE)と言い、意識が肉体から遊離する不思議な現象である。なお、Out-of-Body Experience という言葉に対して日本では、幽体離脱という訳語がしばしば当てられてきたが、橘隆志は、幽体という何か分からない存在を前提にしている事や、体外に離脱する主体が何なのかについても議論がある事から、幽体離脱という言葉を用いるべきではないとしている*1レイモンド・ムーディエリザベス・キューブラー=ロスといった臨死体験研究の先駆者が、臨死体験が現実の体験であると信じるようになったのもこのような体験の存在との出会いが決め手となっていると言われる事からも興味深い要素であると言える。

『かいまみた死後の世界』の中で、臨死体験の中で、肉体から遊離する現象について、「傍観者」や「そこに居合わせた第三者」のように、さもなければ「舞台」や「映画」の中の出来事や登場人物を見ているように、自分自身の物理的肉体を見ている自分に気付くため、圧倒的な驚きを体験するという事が述べられている。そして、殆どの人はそのような状況に対して、頭がひどく混乱してしまい、それを死とは結び付けて考えず、自分の身に何が起こったのか不思議に思うという。

また、意識が物理的肉体から一旦遊離した後の状態に関する報告として、いかなる肉体も持ち合わせているように思えず、純粋な意識そのものになったように感じたという報告も少なからずあるが、ムーディによれば自分に別の肉体、霊的肉体が備わっているように感じたと報告する体験者が多かったという。ただし、この肉体についても言語によってうまく説明する事はできないと言われている。また、医師や看護師をはじめ、生きている人は、霊的肉体に宿っている存在に気づかず、霊的肉体に宿っている間は、ものを掴んだり人に触れたりする事ができない一方で、ほとんど瞬間的に別の場所に移動する事ができるという事が述べられている。この別の肉体について、エリコ・ロウによれば、自分の姿を見た記憶のある人もいるが、透明人間のようだったが自分の輪郭だけは感じられた、アメーバのように形も変わる光のボールになったようだった、ドレスのようなものを着ていたなど、様々でありあまり共通性がないようである。*2

マイクル・セイボムは、肉体から離れて自分の肉体やその周囲を眺めるという臨死体験に見られる要素を「自己視的要素」と述べ、臨死体験がさらに深まった段階で、この世のものならぬ世界を見るという要素を「超俗的要素」と述べている。セイボムは、これら2つの要素を検討しており、彼の研究によれば「自己視的要素」のみの臨死体験は33パーセントで、超俗的要素のみの臨死体験が48パーセントだった事が述べられている。

ケネス・リングも、安らぎに続くコア経験の第2段階として、物理的肉体から抜け出る感覚を挙げており、彼らの集めた事例の中で37パーセントはこの段階に達しているという。そして、自分が同じ部屋の中に居て、自分の物理的な肉体を見下ろしていたというのが典型的であり、肉体から抜け出る経験の特徴として、傍観者的な超然感が明らかになると言い、この事はムーディの指摘とも一致している。

体外離脱体験の解釈として、従来の精神医学では、自分が2つに分かれてしまったようだと感じるという離人症の症状として理解されようとしてきたが、体外離脱体験者の多くは錯乱した意識状態になく冷静に客観的に当たりの様子を観察している事が多い事などから、離人症や離人体験とは異なっていると言える。また、立花隆『臨死体験 上』において、共感覚現象が幼児に強く現れ、成長するに従って弱まる事から、感覚神経系は元々、共通基盤にのっており、分化発達した感覚系の働きが極端に弱まるとそのような共通基盤系が働きだして、共感覚現象が起こるのではないかと指摘されている。そして、体外離脱で見えるはずのないものを見たという現象も視覚系がシャットダウンしたとき、共通基盤系を利用して「聴覚で見る」能力をもっていたのだとすれば、覚醒時と同様に見たという事も説明できると述べている*3。また立花隆『臨死体験 下』の中では、病院の病室で体外離脱が起こったが、妻の実家で自分の肉体が敷布の上に横たわっているのを見たという、体外離脱体験が起こった場所と体験中に見た場所が違うという事例が紹介されている。これらの事から、人間が死に瀕した際に、薄い意識の底で聴覚能力は残存しており、耳などから入った情報にから架空のイメージ体験をこしらえてしまうという可能性が指摘されている。

しかし、坂本政道『体外離脱体験』の中で体外離脱体験を3つに分類しており、坂本は明晰夢(覚醒夢)に近い状態で身体的な知覚ではなくて夢の映像に変換されて見ているというケースの他に、真性の体外離脱体験もあるという事を指摘している*4。また、ジャン=ジャック・シャルボニエは、体外離脱体験には意志をもって(本人のコントロールによって)起きるケース、偶発的に意志とは関係なく起きるケース、化学物質の投与によって引き起こされるケースがあるという*5。すなわち、一言で臨死体験における体外離脱体験と言っても様々な事例があると言え、架空のイメージ体験や明晰夢に近い状態として理解され得る事例がある一方、そのような仮説では説明する事のできない、普通では知り得ない情報、客観的な外部情報がもたらされた事例もあり、体外離脱を体験した人が目撃した情景が何らかの客観的事実が合致していたという事例もある。橘隆志は、バーバラ・ハリスがサークルベッドで失禁したとき、看護師がそれを洗わないでただ乾燥機の中に放り込んだのを体外離脱中に見たという例、スイスで交通事故にあって体外離脱した人が、事故による渋滞に巻き込まれた車の中に事故の犠牲者のために祈ってくれている女性を発見し、体外離脱中に見た車のナンバーを手掛かりに探し当てたという話、ムーディの友人のヴィーという女性が急病で入院したとき体外離脱して病院の待合室に行き娘が妙な服装をしているのを見たり、義理の弟がギリシャに行く予定の飛行機をキャンセルして病院に駆けつけてきたと話すのを聞いたという話などを挙げている。また、管理者が直接話を聞いている中でも、フランス在住のスペラット道子は23歳の時に車の中で一酸化炭素中毒で臨死体験をした際、体外離脱の状態で、それまで訪れた事がなく全く知らなかった京都嵐山を訪れたと言い、その時に見た光景を確かめに後日、嵐山に行くと実際の光景と一致していた事が確かめられた事を述べている。*6
この他にも臨死体験において、体外離脱体験中に自分に施される懸命な蘇生処置を目撃するというケースは多く、ジェフリー・ロングによれば、何百もの事例で報告されている描写は現実と矛盾しない事が確認されているという。NDERFの研究では体外離脱を伴う臨死体験が何百例と明らかになり、ロングによると617例中46.5パーセントに当たる287例で体外離脱体験中の描写が本当であるか確認するため、後に他者が客観的な査定を行っていたという。そして、287例中97.6パーセントに当たる280例では、いかなる細部も正確で完全に本物であると確認されたといい、65例では体験者自身が目撃した内容の信憑性を調べた結果、事実と反する部分は全く見つからなかったという*7。そして、289例の97.6パーセントでその描写が正確であったという事から、耳などから入った情報にから架空のイメージ体験をこしらえ、それが偶々、全て当たったという説明では無理があるように思える。

ラウニ・リーナ・ルーカネン・キルデの体外離脱体験

臨死体験の事後効果として超能力、サイキック現象が増加するという報告もあり、その中には体外離脱も含まれる事がある。臨死体験をした後、体外離脱が催眠術によって誘発される可能性があると分かったラウニ・リーナ・ルーカネン・キルデは、末梢血管系の血流を減少させて、血液が心臓と脳に集中するよう自己催眠をかけたといい、その際、凍りつくような寒さを感じ、体外離脱をしていた。そして、エネルギー体の手で肉体の脈をとったら、正常値の半分で、呼吸、心拍、体温などの生命兆候が明らかに低下し、生命の危機を感じ、「お母さん、助けて!」と叫んだら一瞬にしてヘルシンキの両親の住む家の居間に飛んでいた。そして、居間には母と姪(キルデの姉の子ども)が居り、姪は床に座り込んで絵を描き、母は花模様のロングドレスを手縫いで仕上げていた。姉はどこに行ったのかと思ったとたん、場面が変わり、カクテルバーで姉が男の人と楽しそうに御喋りをしているところが見えた。そして、家に帰りたいと思ったとたん、1000キロメートル離れた自宅に戻り、ベッドの上の肉体の上あたりを漂っていた。翌朝、キルデはヘルシンキの実家に電話をかけ、父親に母が何をしていたかを尋ねるとキルデにあげるクリスマスプレゼントを作っているところだと言われたので、「花模様の手縫いのロングドレスでしょう」というと父親は驚き、「どうしてわかったんだ」と言ったと言う。そして、姉に電話して昨晩、カクテルバーに行っていたか尋ねたら、それも事実だと分かっている*8。なお、キルデはその後、体外離脱の実験を何度かしているが、肉体に戻ろうとしたとき、エネルギー体の上半身が肉体に戻らず、肉体の外にも出られず、3時間悪戦苦闘して戻ったといい、危険な要素を含んでいる事を知りやめたという。

マリアの体外離脱体験

臨死体験研究の先駆者が臨死体験が現実体験であると信じるきっかけとなった臨死体験の1つとして、シアトルの病院で起こったマリアという女性の臨死体験がある。マリアは、心臓発作に見舞われて入院して3日目に心停止を起こすが、その最中に体外離脱を起こした事を、息を吹き返した後に証言している。その際、病院北側の3階の窓に、ブルーのテニスシューズが片方だけのっているのを目にしたようで、マリアからこの話を聞いたソーシャルワーカーがそれを探したところ、マリアの証言通り、靴紐がほどけかけて、小指のところが擦り切れたシューズが見つかったようである。マリアは、入院してから、3階の窓辺を見る事はできなかったと考えられるため、体外離脱体験の内容が客観的事実と一致しているという信憑性は高いと思われる。橘隆志は、臨死体験の大部分のケースは脳内現象説で説明可能であると考えていたようであるが、マリアの臨死体験については依然として解けない謎の1つであると述べている*9

パメラ・レイノルズの体外離脱体験

脳機能停止状態の患者が手術の様子を正確に描写した事例として、パメラ・レイノルズの臨死体験がある。手術時のパメラ・レイノルズの脳は、平坦脳波、脳幹の停止、脳血流の消失の3条件を満たしていたが、手術中に体外離脱し、回復後に手術で使用された(それまで見たことがなかった)器具やそれが入っていた箱、外科医の手術中の言葉を正確に報告したと言われる。パメラ・レイノルズの臨死体験は、脳活動が停止している状態で豊かな体験をしているため、脳内現象説は、体験のディテールを無視せずに合理的な説明を与えるには不十分だと言えるのではないだろうか。

斎藤忠資は、体外離脱体験について、それが単に脳が作り出したイメージではなく、客観的なリアリティを持つ出来事である事を示す基準として、医学的に死んだ状態にある事が確認されていること、五感で直接知覚可能な範囲外の事象に関する情報を含んでいて、その内容が偶然に当たるというような事が考えられないような特異な事柄で、それが事実であったという事が確認されているという条件を確定している。そして、斎藤忠資は、体外離脱体験の事例を検討していく中で、それらの中には単に想像して作り出されたイメージとして捉える事が困難で客観的なリアリティを持つ出来事であるという可能性が述べている。この事から身体の死をもって全てが終わるという物質主義の終焉を意味していると結論付けている。
このような意見に対しては、そもそも客観的なリアリティや現実とは何かという事から考え直す必要があると言えるが、ケン・ウィルバーが言うトランスパーソナルの帯域に於いて、体外離脱体験は客観性、測定、実証などといった正統的な基準に当てはめることが可能な出来事であると言え、そのような実験の結果からも、体外離脱は近代科学の常識を超えた何かを暗示しているように思える。

  • 参考文献

  • 参考サイト
最終更新:2025年09月28日 02:32

*1 立花 1994 p.14

*2 ロウ 2016 p.135

*3 立花 1994 p.308

*4 坂本 2001 p.37-38, p.42-43

*5 シャルボニエ 2012(邦訳 2013)p.79

*6 https://www.youtube.com/watch?v=vCEoanJ5eeg

*7 ロング 2009(邦訳 2014)p.112

*8 立花 1994 p.168-174

*9 立花 1994 p.52