稲垣勝巳

概説

稲垣勝巳(いながき かつみ、1948年5月2日—)は日本の教育者、学校心理士、臨床催眠実践者、SAM前世療法の創始者として知られる。岐阜県出身で、岐阜県立岐阜高等学校を経て、岐阜大学教育学部国語国文学科を卒業後、岐阜県公立学校教員として勤務した。そして、上越教育大学大学院に研修派遣され教育基礎コース修士課程修了、教育催眠の実践を志した。

学校現場における教育催眠研究をライフワークとし教育相談の一環として児童生徒約2500名に教育催眠を実施し、2014年8月時点で、子ども・大人合わせて約4000事例の催眠療法・SAM前世療法を実施したといい、現在は、「メンタルヘルス研究室」を主宰し、独自の「SAM前世療法」を創始し、催眠を用いた生まれ変わりと死後存続する意識体(霊魂)の科学的立証をライフワークとして探究している*1。なお、SAMとはSoul Approach Method の略で、「魂へと接近する方法」を意味する。

前世療法との出会い

稲垣は元々、科学者としての催眠を標榜し、教育現場での催眠面接を積み重ねており、前世療法の依頼を受けたことはなく、それらは教育催眠とは無縁な領域の話だと思っていたという。そして、ブライアン・ワイスの前世療法について、技法的には然程、特別なものではないと感じたものの、当初は時点で試す気持ちはなかったという。
しかし、稲垣のクライアントであり、リストカットを繰り返す亜由美という女性は、数度の催眠面接でも改善が見られなかったため、最後の方法として前世療法を試みた。その結果、前世の記憶とされるものを想起する事で病状が消失した。また、2004年9月に立命館大学で開かれた日本催眠医学心理学会、日本催眠学合同学会でこの事例を発表したところ、研究者や催眠臨床実践家の一致した意見は、改善効果は否定しないものの、前世や中間生、魂の存在についてはフィクションだとするものであった。しかし稲垣はこの時点でそれらの存在の有無について判断を留保していた。

史実と符合する前世の記憶

タエの事例

2005年に行われた催眠のセッションでは、稲垣の患者であった脊椎側彎症に苦しむ中部地方在住の主婦・里沙(仮名)の過去生と思われる2つの記憶が語り出された。1つは江戸時代の天明年間(1781~1789)に渋川村で浅間山噴火の際、人柱で死んだ少女タエの記憶で、タエ人格が語った12の点について稲垣が調査したところ、全て史実と一致するか、一致すると推測される事が分かったという*2。具体的には、タエの語った「上州上野国渋川村上郷」が天明年間に存在していたこと、タエが13歳の時が安永9年(1780)、16歳の時が天明3年(1783)と年齢と元号が一致していた、蚕を「おカイコ様」と養蚕の盛んな上州で使っていた言葉で呼んだこと、(里沙は「ばと様」という言葉は全く知らなかったにも関わらず)馬頭観音を「ばと様」と現渋川市でも使われる通称で呼んでいる事などが挙げられる。
そして、前世療法で死後の世界に旅立った後、時間も空間も超越した中間生において、偉大な存在者と出会い、稲垣は前世療法の核心に迫るために、里沙の口を借りて中間生の偉大な存在者と対話している。なお、タエは赤ちゃんで捨てられたらしく、渋川村上郷の名主クロダキチエモン(偉大な存在者はクロカワキチエモンといった)によって育てられたと言い、調査の結果、渋川村名主として姓が異なる「堀口吉右衛門」がいるが、クロダキチエモンはいなかったという。しかし、2012年5月29日の再セッションによって、クロカワキチエモンは、「クロカワのキチエモン」と呼ばれていた事をタエが語り、名主吉右衛門の設置した吾妻川の船着場の石が黒かったので村の衆がそのように呼んだという。*3。そして、堀口家は初代以後明治になるまで当主は代々堀口吉右衛門を襲名していることが判明しており*4、当代堀口吉右衛門を先代、先々代と区別するために「黒川の吉右衛門」「黒田の吉右衛門」と俗称で呼んだと考えると信憑性が高いと思われる。

ラタラジューの事例

里沙が同じセッションで思い出したもう1つの過去生は、ネパール人の村長ラタラジューとしての人生であり、この場合は、自分のもつ記憶を語るというよりもトランス状態で別の人格が出現したという状況で、この時に突然ネパール語を話し始めた。語られた前世記憶の6点について検証を行ったところ、そのうち4点については、事実関係に矛盾はないという結果で第6点のネパール語については確認できなかったという*5
しかし、2009年に大門正幸は、ネパール語鑑定に協力し、カナル・キソル・チャンドラ、カナル・ヤム、マドウスダン・カヤスタの3名の意見の一致はラタラジューの発音は学習者特有の訛りのないネイティヴなネパール語のように聞こえるという事だった*6。大門は後に留学生のネパール人女性とともにこの催眠セッションに立ち会い、ネパール語で会話が成立するのを確認し、映像にも記録しているが、この会話はかなりの確率で成立している。大門の分析によると、質問に対する答えが適切で会話のやり取りが成立しているのが 36.8パーセント、質問に対する答えが適切ではないが、会話のやり取り自体は成立しているのが 37.1パーセント、ちぐはぐなやり取りが8.6パーセント、判断が難しいやり取り15.7パーセントといった結果となった。*7

前世(死後存続)に対する態度

2006年に『前世療法の探究』を刊行した際は、「ある程度信憑性のある証拠は数多く得ることはできても、誰もが疑問を持つ余地のない決定的、絶対的証拠というものは、どういうわけか出てこない」と述べていた*8。また、中間生と心的存在者について、1つの仮説として、肉体とは別個の存在である「魂」として顕在化した状態とも解釈できるし、当人自身の自己の非常な高度な領域(高位自我=ハイヤーセルフ)の現れとも解釈できるとしている*9
しかし、2010年に『「生まれ変わり」が科学的に証明された!』が刊行された時点では、生まれ変わり以外に考えられる意図的作話説、潜在記憶仮説、遺伝子記憶仮説、透視などの超能力(ESP)仮説、憑依(憑霊)仮説といった仮説を検討し、生まれ変わり(死後存続)仮説を最も説得力があるものと考えており、今日では、「応答型真性異言」を生まれ変わりの科学的最有力証拠とみなし、前世(死後存続)に対し肯定的であると言える。そして、「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・ 進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学における作業仮説であるとしている*10。すなわち、「現世の私」という人格が、その死後、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの人格として生き続けるのであって、それを含めた一つの魂全体が新しい肉体に宿る事がSAM前世療法セッションで示されているという。実際、ラタラジューのセッションの時、ラタラジュー人格は、人格こそもたないものの、今、ここに、存在している人格(意識)として現れており、現在進行形で会話が行われていると指摘しており、そのような会話から潜在意識の深淵には魂の潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も生きて存在している、という前世療法独自の作業仮説が正しい可能性を提示している証拠であると考えている*11。このような、魂の二層構成を円を用いて二次元モデルに単純化すると下図のようになる。
「魂の二層構成とその転生の模式図」稲垣氏のブログを元に作成
左から右への矢印は時間軸を意味し大円、魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の死者である「前世の人格」と、肉体を持つ「現世の人格」の区別のための補助線である。補助線より下の小円が肉体に宿る現世の人格になり、補助線より上の小円が、死者であり肉体のない前世の諸人格である。
したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格小円Cは、小円Aと小円Bの2つの前世人格と共に3回目の現世の人生を送っている魂を表す。

  • 参考文献
  • 参考サイト
最終更新:2024年03月01日 13:02

*1 https://samzense.blogspot.com/

*2 稲垣 2006 p.188-192

*3 https://samzense.blogspot.com/2012/12/blog-post_3605.html

*4 「株式会社ホリグチのあゆみ」にも「嘉永年代 1850頃 堀口吉右衛門、鉛銭(上州鉛切手銭)を発行」とある。http://horiguchi.co.jp/company/outline.html

*5 稲垣 2006 p.218

*6 稲垣 2010 p.37

*7 大門 2011 p.65

*8 稲垣 2006 p.236

*9 稲垣 2006 p.236-237

*10 https://samzense.blogspot.com/search?updated-max=2022-03-18T10:03:00%2B09:00&max-results=7

*11 稲垣 2010 p.102