臨死体験 > 生と死の境界(バリア体験)

バリア体験

日本では、臨死体験者がお花畑や、三途の川とも言われる川が流れている場面を見て、そのような境界線を超えずに生還したという体験談をしばしば耳にする事があるが、臨死体験者が何らかの境界を目にしたという事は、日本に限られた体験談ではない。

『かいまみた死後の世界』の中で、臨死体験のパターンの1つとして、少数の臨死体験者が、ある種の境界とも限界とも言えるものに接したと話した事を述べている。そして、その境界は、水域、灰色の霧、ドア、野原を横切る柵、あるいは単に線など様々な言葉で表現されたそうだが、ムーディはそこに共通の基本的な体験や考えといったものが横たわっている可能性を指摘している。そして、臨死体験者の中には、そのような境界を超える前に、引き戻されたり、戻ったり、既になくなっていた親戚に現世に戻る事を告げられたりしたという事を語っている人もいる。このようなイメージの体験談は、臨死体験者が体験のある時点で蘇生しているという事と対応しているという点で興味深い。ちなみに、斎藤忠資は、臨死体験者が垣間見た光の世界について、光の世界に入り光と一体になると、二度と地上に戻れなくなると告げられたという事例を紹介し、この事と質量を備えた全ての物質は光速というバリアを超えることはできないといった事のアナロジーを考察している*1。肉体から解放された自己意識のエッセンスが、肉体に再び戻されている臨死体験の存在は、何らかの仕方で肉体との絆が存在している事を示していると言え、自己意識のエッセンスが糸状のもので自分の肉体と結びついているのを見たという臨死体験の事例もある。

マイクル・セイボム『「あの世」からの帰還』の中でも、超俗的世界に巡らされている「境界」や「限界」を超えたら2度と戻れない一線と考えられる場面が少なくなかった事が述べられている。セイボムの研究では、天国の門を見たという臨死体験者がいた事や、ゆるやかな流れ、柵、有刺鉄線、山頂が境界になっていると語った臨死体験者もいたことを述べている。また、エリコ・ロウ『死んだ後には続きがあるのか』の中では、それまでいた光の世界より、さらに眩く光り輝く広間に続く扉だったと記憶している人や、美しい草原を進んでいくと光り輝く御屋敷の入り口に行き着いたと言う人、光の世界に繋がるトンネルの出口まで来たら昔に死別した家族が立ちはだかっていて先に進ませてもらえなかったというように記憶している人もいたようである。

そして、マイクル・セイボムは臨死体験者は、何らかの霊的存在と死ぬべきか物理的肉体に戻って生きるべきか交信しており、自分の肉体に引き戻されるという感じを伴って蘇生している場面が多いという事を述べ、エリコ・ロウも死後の世界に留まる事に満足していた臨死体験者が神や天使のような存在、またはそこまで付き添ってきた案内役にストップをかけられるという事を指摘している。臨死体験者が肉体に戻り蘇生するために何らかの選択をしている事も臨死体験の中の要素の一つであると言え、このような事に関連した少し変わった事例としてメルヴィン・モースは、ミッシェルという人物の臨死体験を紹介している*2。8歳だったミッシェルは意識不明に陥り、臨死体験をした際に、体外離脱体験をしている。そして、ミッシェルは白い服を着た人たちと出会い、目の前に赤と緑の2つのボタンがあったのを見たという。そして、白い服を着た人たちは赤いボタンを押すよう勧めてきたが、なぜか赤いボタンを押すと戻れないという事が分かっており、緑のボタンを押し昏睡から目覚めたという。

臨死体験の要素の中で、文化的な装飾が加わって、語られやすいのが、臨死体験者が目にするある種の境界との出会いであると考えられ、日本人の臨死体験の特徴として、世界を隔てる三途の川とお花畑の光景に出会うという特徴が欧米の臨死体験と比べても多い事が分かっている。カール・ベッカーは、あの世とこの世の境界との出会いを「バリア体験」と呼んでおり、日本では三途の川だが、砂漠地帯のアラビアなどでは燃える砂漠、海に囲まれたポリネシアでは荒れた海、切り立った崖が多いスコットランドでは断崖絶壁が境界になっている場合が多いとも指摘している*3。このような事から、各人の記憶や脳によって、馴染みの深いものが境界線となって臨死体験の際に現れるのではないかと考える人もいるが、「三途の川」を知らなかった幼い頃に臨死体験をした日本人が川を見たという例もある。

  • 参考文献

最終更新:2023年04月24日 01:02

*1 斎藤 2006

*2 モース・ペリー 1990(邦訳 1997)p.54-57

*3 現代ビジネス「賢者の知恵」2013年8月29日