臨死体験 > 知覚の変化


知覚の鋭敏化

臨死体験者が語る感覚として、体外離脱体験などの臨死体験の過程で知覚が鋭敏になるという事が挙げられる。ジェフリー・ロング/ポール・ぺリー『臨死体験 9つの証拠』では、この点について、次のような証言が紹介されている。

【現実世界ではありえない感覚で、説明できない。すごくはっきりしていた。ようやく故郷に帰り着いたような感じ。自分はここに属している、ここにいるには意味がある、自分が完全になったと感じた】

【それまでの人生で経験したどんなことよりも、現実味を感じた】*1

また、臨死体験時の意識について、74.4パーセントが通常より意識や覚醒のレベルが上がっていたと答えている。他にも強烈でポジティヴな感情が芽生えるといった証言もある。

360度視野

臨死体験時における意識レベルの上昇について、具体的にはどのようなものであったかについて、車にはねられた女性は360度に感覚があり、心というより脳で認識するといった現世での通常の思考プロセスは介在せず光速を超える瞬時の知覚だったと述べている。360度の視覚があったという報告例は多く、360度という平面的な概念を超えて上下前後左右あらゆる方向を同時に感知する立体的な視覚があったという例もしばしば報告され、ある子どもの次のような証言がある。

【「体」はあったが、現世のものとはまったく違っていた。三次元的に物が見えた。うまく説明できないが、体がなくなって自由に動ける目玉だけになったみたいだった。すべての方向が同時に見渡せたが、現世で考えるような方向とか次元ではなかった】
*2

さらに、人間の裸眼では見えるはずのない遠方の風景が千里眼のように見えたとする人も多いという*3臨死体験における時間の実在性を巡る議論と比べると、空間の実在性を巡る議論は少ないが、このような臨死体験における意識レベルの上昇や知覚の変化は、我々の空間の捉え方を揺るがすものである事が窺える。このような360度あるいは全方向の視野に対する解釈として、斎藤忠資は、空間の制約から解放された世界は、非局所的な、全ての事象が完全に一体になっている分割不可の全一性の世界なので、360度という全方位の視野が可能となるものと考えられると述べており*4、さらに対象物が一度に360 度全ての角度から完全に見えるという例については、蜻蛉のように球状視野を備えていても不可能であるが、五次元界からは三次元空間の立方体を一度に360度の角度から見ることができると指摘している*5。このような360度視野については、本山博が言うアストラル次元の宗教経験における超感覚に通じていると言え、本山はアストラル次元の眼で見るときは四方八方が同時に見え、360度、平面ではなくて立体的に全四方が見えるといった事を述べている*6

臨死体験と夢が似て非なるものであるという事はしばしば言われるが、その理由は、視覚や聴覚といった感覚が鋭敏になるという事にあるとも言える。臨死体験時に垣間見た世界の色の明るさや鮮やかさに比べたら、この世界の色はくすんで見えると言った事や、全ての色が見たこともないほど鮮やかだったという証言もある。このような事は、補聴器なしでは聞こえなかった人も普通に聞こえるようになったという事や、近視の人が全てがくっきり見えたと表現している事からも窺え、斎藤忠資はこのような事例を多く紹介している*7。この点についても非常に鮮やかな知覚があるというアストラルの世界に重なる*8。なお、3歳の時、病気で死にかかったコルトンは、臨死体験で年を取って眼鏡をかけていた祖父に会ったというが、「パパ。天国では、誰も年をとってないの」「それに、誰も、めがねをかけてないの」と述べている*9。さらに、先天的な全盲者の臨死体験中に視覚体験をしている事例もあるが、臨死体験がいかにして生前の知覚との違いをもたらすのかについてや、肉体の五感とは独立した完全な知覚が如何にして獲得されるかなど未だ疑問も多いと言える。

臨死体験の記憶

また、臨死体験と夢、幻想を区別するものとして、その記憶の特異性がしばしば挙げられる。臨死体験時の記憶もその知覚と同様に詳細で明瞭であると言われる。ブルース・グレイソンは酸素欠乏や投薬の副作用などで脳が正常に機能していないときに生み出される幻想は整合性を欠いたものになるはずだとし、臨死体験の記憶とそれらを区別している。さらに、臨死体験の場合、意識を取り戻した直後でも、数時間、数日、数年経った後でも全く同じ内容を詳細に覚えていられるという報告もあり、生涯に渡って意識に刻印されていると言える*10。ベルギーのリエージュ大学医学部神経学科は、2003年、昏睡状態になった患者を対象に、臨死体験の記憶と昏睡になった事への記憶、その直前の現実での出来事の記憶、昔見た夢などの想像の記憶を比較したところ、臨死体験の記憶はその他の記憶より鮮明で確かさに対する本人の自信度が高いことを確認している*11。この点については、サム・パーニアも、病院にいた時の周囲の出来事などについて全く記憶がないが、臨死体験だけは鮮明に記憶しているという例を紹介し、死に瀕していた時の記憶が殆どなく、臨死体験の事だけ鮮明に覚えているというのは奇妙であると述べている*12。さらに、斎藤忠資は、脳が重傷を負った場合、脳の機能が大混乱状態に陥っているので、明晰で秩序だった臨死体験を持つ事も、その記憶がその後鮮明に残る事もあり得ないと言われるが、そのような臨死体験の事例が見つかっている事を紹介している*13。このような記憶の在り方もまた、肉体の五感とは独立した完全な知覚や意識といったものを示唆しているように思える。

  • 参考文献
本山博『神秘体験の種々相 自己実現の道』宗教心理出版 1995年
斎藤忠資「4次元空間と臨死体験」『広島大学総合科学部紀要 人間文化研究』9巻 2000年
斎藤忠資「脳死と臨死体験の記憶」『人体科学』11巻2号 人体科学会 2002年
斎藤忠資「五次元世界モデルと超意識体」『人体科学』14巻1号 人体科学会 2005年
エリコ・ロウ『死んだ後には続きがあるのか 臨死体験と意識科学の最前線』扶桑社 2016年

  • 参考サイト
最終更新:2024年05月06日 11:30

*1 ロング 2009(邦訳 2014)p.14

*2 ロング 2009(邦訳 2014)p.93

*3 ロウ 2016 p.140

*4 斎藤 2000

*5 斎藤 2005

*6 本山 1995 p.92

*7 https://home.hiroshima-u.ac.jp/tadasi/ 2022年2月閲覧

*8 本山 1995 p.89

*9 バーポ・ヴィンセント 2010(邦訳 2011)p.205

*10 ロウ 2016 p.195

*11 ロウ 2016 p.197-198

*12 パーニア 2005(邦訳 2006)p.129

*13 斎藤 2002