土井利忠

概説

土井利忠(どい としただ、1942年2月2日-)は、兵庫県出身の技術者・経営者であり、「ホロトロピック・ネットワーク」代表である。兵庫県出身で、愛知県立旭丘高等学校を経て、1964年、東京工業大学電子工学科卒業後、ソニーに入社し、デジタル・オーディオ技術、エンタテインメントロボット「AIBO」「QRIO」の開発などを手がけたことで知られている。なお、入社3年目、会社から東北大学に留学して研究し、そのとき提出した論文で工学の博士号を得ている。ペンネームの天外伺朗(てんげ しろう)は、手塚治虫の漫画『奇子』の登場人物に由来する。

土井利忠が考える「あの世」の実態

土井利忠は、精神世界へ興味をもった入口はサイエンスであったと語っており、土井は1987年にソニーの井深大に1984年に筑波大学で開かれた「科学技術と精神世界-東洋と西洋の対話」というタイトルの国際シンポジウムの詳細な記録を手渡された際、物理学者のデヴィッド・ボームが、素粒子の不可解な振る舞いを説明するために提示した「ホログラフィー宇宙モデル」に接した*1。そして、それが宗教的な宇宙観に近い事を知ったのがその発端であったという。

「ホログラフィー宇宙モデル」では、「この世」(ボームが言う明在系(explicate order))の全ての物質、生物も無生物も、人間の精神も、時間も空間も、全てが一体として「空としてのあの世」(ボームが言う暗在系(implicate order))にたたみ込まれており、分離できないという。

ホログラフィー宇宙モデルと集合的無意識の仮説(『理想的な死に方』p.187より)
また、デヴィッド・ボームの定義した暗在系とカール・グスタフ・ユングの提唱した集合的無意識は、かけ離れた概念であるように見えるが、我々の知覚できない「もうひとつの世界」の存在、分割できないひとつの宇宙、時間の超越、「東洋哲学」との類似性等、驚く程の共通点があり、土井は、それらを含めて「あの世」と呼んでいる。それらの記述内容の違いを、富士山を東から見て記述するか北から見て記述するかの違いにたとえている*2。そして、仏教界での「空」に関する解釈との類似性や「あの世」には「時間がない」(その存在の仕方が「時間」を超越している)事も指摘しており、土井が定義した「あの世」では「私」は「わたし」ではなくなる(「わたし」は「あなた」であり、全てのものが渾然一体となってたたみこまれている)という点で「個」が消滅する事を主張している。また、「あの世」の特性で集合的無意識からもホログラフィー宇宙モデルからも導けないものとして、「愛」(宇宙が全体としてひとつの生命体であり、その基本が無条件の愛であること)を挙げており、この点は宗教の方がはっきり謳っているといい、仏教でいう「仏性」に通じているという。

また、「あの世」の存在の認識可能性につては、ドラッグか脳内麻薬物質の力を借りる事で少しだけ「あの世」を垣間見ることが出来る事や、瞑想などの修行が進んで「あの世」が身近な存在になると、「この世」と「あの世」が自然に一体になって居る様子が心から納得できる事を指摘している*3。そして、土井は「あの世」と「この世」の関係を「電磁界」と「テレビ画像」のたとえでしばしば表現している。

バルドについて

土井利忠は、巷ではバルドのことを「あの世」と呼ぶ傾向がある事を指摘している。そして、死んだ後(肉体を脱いでも)、まだ個が残っているのがバルドであり、カルマを脱いで個がない状態を「あの世」として区別している。

「この世」と「バルド」と「空としてのあの世」(『理想的な死に方』p.211より)
「この世」と「バルド」と「空としてのあの世」は別の状態のように見える一方、「空としてのあの世」は常に我々の中に存在し、その上に「バルド」、更にその上に「この世」が存在する事を指摘している。
土井は「あの世」は、無条件の愛にあふれた世界であるとしており、そこからセパレーションが起きて「個」が生じ、「この世」に出てくると捉えており、セパレーション感覚が人生のあらゆる苦しみの源泉になるという。
空としてのあの世に、時間が存在しない事を主張しているが、バルド時間については、カルマを着たとたんに時間という概念が発生する可能性を指摘して居る(土井は人間が生まれてくる時、一番目に切る着物がカルマであり、二番目に着る着物が肉体であると捉えている)*4。そして、パノラマ視現象の存在や近代物理学の四次元時空を持ち出してバルドには時間が存在しないという仮説を立てている。*5

「超能力」「気」について

「空としてのあの世」(ボームが言う暗在系(implicate order))にたたみ込まれており、分離できないという。そして、このようなモデルにより、科学的には説明できていなかったテレパシー、透視、予知、サイコキネシス(念力)等を説明するための、理論的な基盤が得られる事を指摘している。そして、土井は透視能力やテレパシー能力は人類に備わった基本能力の一部であるが、成長と共にそれらが失われていく可能性を指摘している*6。また、人間は適切なトレーニングにより、胎内の「気」の流れなどを強力にすることができ、それによって超能力も高くなる可能性を指摘している。

意識の拡大

土井は、意識の拡大を十一態に分類しており、個人を超えたトランスパーソナルな体験であると言えるが、以下のようなものを挙げている。

目撃の体験(自分自身の姿を外側から見ているように見てしまう体験)

自分自身の姿をあたかも外側からみているように見てしまう体験。

視覚拡大の体験

本来は見えるはずがない自分の背後、部屋の外、建物の外などが手に取るように見えてしまう体験。

聴覚・嗅覚拡大の体験

本来は聞こえるはずがない音が聞こえたり、匂いを知覚する体験。

未来視の体験

自分の将来の姿がありありと見えてしまう体験。多くの場合、自分が見たビジョン通りの事が、暫くすると本当に起きる

時間喪失の体験

時間感覚が全くなくなる体験、心臓の鼓動と鼓動の間、或いは音楽の音符と音符の間に、ほぼ無限と思われる時間の流れを感じる。

時間逆行の体験

時間が逆行し、胎児期や、時には前世と思しき体験をする。極端な場合には、人類に進化する以前の哺乳類、爬虫類、両棲類としての感覚を体験するときもある。

極大視の体験

自分がはるかに大きくなったり、宇宙空間に飛び出して地球を眺めるといった体験。

極微視の体験

本来は見えるはずのない分子、原子、素粒子の類を見てしまう体験。物理学に照らしても、驚く程正確な記述をする事もある。

聖なる体験

キリスト、マリア、ブッダ、昔の聖人、神、英霊、天使と出会う体験。時には会話を交わして、現実の人生における難題を解決してもらう事もある。

魔境の体験

鬼、悪魔、怪物、幽霊に遭遇する恐ろしい体験。禅では前述の「聖なる体験」も含めて「魔境」と呼んでいるという。

光の体験

「あらゆる物質がそれぞれ独特の色彩で輝き、そのすべてと一体感を感じる」体験や、「宇宙の根元としての光と一体化する」体験。熱烈な至福感を感じ、深い宗教的な体験を感じる。

また、瞑想について、A₁₀神経との関連を指摘している。科学的に脳内麻薬の分泌と深い関係があると言えそうだとしながら、脳内麻薬が必ずしも瞑想の質を決まる決定要因ではないと思われるとも述べている。*7

  • 参考文献
天外伺朗『「超能力」と「気」の謎に挑む 〈宇宙のしくみ〉の根本原理に迫る』講談社 1993年
天外伺朗『理想的な死に方 「あの世」の科学が死・生・魂の概念を変えた! 』徳間書店 1996年
天外伺朗『意識学の夜明け 夢と仏教とニューエイジ』風雲舎 1997年
天外伺朗『般若心経の科学 「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た』祥伝社 1997年
天外伺朗『宇宙の神秘誕生の科学 生まれる命が地球を救う』PHP研究所 1999年
天外伺朗『宇宙の根っこにつながる人びと 新時代を拓く先覚者たち』サンマーク出版 1999年
天外伺朗『「あの世」と「この世」の散歩道 いかに生き、いかに往くか』経済界 2001年
天外伺朗/瀬名秀明『心と脳の正体に迫る 成長・進化する意識、遍在する知性』PHP研究所 2005年
天外伺朗『宇宙の根っこにつながる瞑想法「改訂版」』飛鳥新社 2005年
最終更新:2024年02月22日 13:28

*1 天外 1997 p.122

*2 天外 1997 p.220

*3 天外 1996 p.168‐169

*4 天外 1997 p.238

*5 天外 1996 p.168‐169

*6 天外 1993 p.16‐17

*7 天外 2005 p.25