自我体験

概説

自我体験(Ego experience / I-am-me experience)とは、幼少期、児童期、青年期に起こる自我の構造的変化の突然意識化であって、それまでの自己の自明性への疑問や違和感が生じたり、自我を突如その孤立性と局限性において体験したりする事である。「なぜ私は私なのか」「なぜ、今、ここにいるのか」「私は本当に私なのか」「私は他の誰でもない私である」「私のなかに本当の私がいる」が代表的な表現形式であり、何か理解しがたい事が生じている、またその体験が普通ではないという独特の感じを伴い言語化が困難なイメージで体験されることが多い事は先行研究でも示されてきている。また、果てのない空間と時間の中で私の存在を自覚するということは、「世界の謎」を問うことと切り離せないと考えられる*1。日本では、臨床心理学者の西村洲衛男が、「自分が自分であるという、内なる自己との出会い」「一種の啓示的体験」「急激な自我体験は客観的な態度を取り得る知性的な強い自我をもった人によって体験されるもの」であり、ときには自殺や離人体験にもなり得るような危険を伴う」などの性格づけを行っている*2。天谷祐子も自我体験について、哲学の分野において永井均が言う世界に対して開かれている唯一の原点としての〈私〉について「なぜ」という問いや感覚的違和感を持ち始める体験と定義している*3。なお、自我体験は文化を超え、一般的に生じる体験であることが確認されているという。

発達心理学者のシャーロッテ・ビューラーが青年期に於ける自我の発見の体験的に純粋かつ局限的な現れを指す語として心理学に導入し、ドイツ語の原語では、“Ich-Erlebins”(私の体験)と命名している。また、エドゥアルト・シュプランガーも自我の発見について「個性化の形而上学的根本経験」と言い、「主観をそれ自身一個の世界として見出すこと」と見ている。

自我体験の発生ときっかけ

日本の心理学者は自我体験を心理学的な観点から研究しており、自我体験をする人間の心理状態について、アンケートや聞き取り調査などを通じて統計的・科学的に調査・分析する、という形で研究を行っている。

高石恭子は、1989年に自我体験尺度の作成を試み、大規模な調査を行っており、渡辺恒夫も1992年に234人の大学生を対象に調査を試み、5人に1人の割合で自我体験に相当する報告を得ている。そして、高石は最初の自我体験は10歳頃に多く生じると言い、ビューラーが定義したものとは異なり漠然とした空想傾向であるものもあるが、幼少期や児童期に遡れる事例もある。また、天谷祐子による中学生対象の調査では65パーセントと高率なのが注目され、自我体験は児童期にかけて初発年齢のピークがあり、約半数が体験するものとも考えられるが、青年期に入るにつれ体験の記憶が薄れ、大学生では想起率が10~30パーセント程度に低下するとも考えられる。*4

また、渡辺恒夫は自我体験のきっかけとして、漠然たる観想や観照、死の思い、生まれ違い願望、孤立やいじめなど人間関係の葛藤、母の流産の事実を知ったり双子だったりという特異な事実、受精や誕生について習う、「テレビで外国の情勢を見ていて」といった視野の拡大の7つを挙げている*5。また、体験のきっかけとなった出来事や考えについて渡辺恒夫と松田栄一は「人間関係の葛藤」「死について考えて」「宇宙のことを考えて」「自分を観察して」「他人や生き物を観察して」の4つのカテゴリーに分類しているが、カテゴリーの比に有意差は認められなかったという。*6
天谷祐子によれば体験場面は「一人の時」や「寝る前」といった報告が中学生、小学校高学年生ともに多くみられたという。*7

自我体験の構造

自我体験の例として、シャーロッテ・ビューラーとエドゥアルト・シュプランガーがその典型例として考察しているルドルフ・フォン・デリウスの事例があり、ルドルフ・フォン・デリウスの体験は以下の通りである。

私は起き上がり、ふり向いて膝をついたまま外の樹々の葉をじっと見た。この瞬間に私は自我を体験した。すべてが私から離れ、私は突然孤独になったような感じがした。妙な浮かんでいるような感じであった。そして同時に自分自身に対する不思議な問い、お前はルディ・デリウスか、お前はお前の友達がそう呼んでいるのと同じ人間か、学校で一定の名前をもち一定の評価を受けてるその同じ人間なのか、お前は同一人物か。私の中の第二の私が、ここまでまったく客観的に名称としてはたらくこの別の私に向かい合った。それは、今まで無意識的にそれと一体をなして生きてきた私の周囲の世界からほとんど肉体的な分離のごときものであった。私は突然自分を固体として、取り出されたものとして感じた。私はそのとき、何か永遠に意味深いことが私の内部に起こったのをぼんやり予感した。それゆえその部屋、ベッドにひざまずいたこと、ふり向いたこと、この瞬間がやはり鮮明に記憶に残った。何か精神的閃光が突然私の中に射し込んだようだった。(そして今なおたびたび繰り返されるこの体験からの結論は)血縁関係をもった古い自然――父という概念、兄弟という概念――が突然何の意味も持たなくなってしまった。そして強くしばりつける力をもった故郷も離れ落ちた。それは剥ぎ取られた皮膚のように下に横たわった。――自我は自由となり、解放され、漂い、自分自身の中に憩いそしてそれゆえ無責任で、独自で、価値があり、世界にとって到達しがたく、破壊しがたいものとなった。――自我体験は第二の誕生のごときものである。*8

渡辺恒夫と松田栄一は自我体験を構成する4つの側面として、「自己の根拠への問い」「自己の独一性の自覚」「主我と客我の分離」「独我論的懐疑」という特徴から自我体験を検討している。*9

(自我体験の下位側面の特徴と相互連関 「自我体験 自己意識発達研究の新たなる地平」より)

また、自我体験とは自分が世界の中にどのように位置づけられるかの認識であると言え、自分が周囲と隔絶している離人症タイプの自我体験、自然の中に自分を発見する自然の中の自我体験、人間関係や仕事の中での自我体験があると言える。*10
天谷祐子は、自我体験の下位側面として「存在への問い」「起源・場所への問い」「存在への感覚的違和感」を挙げており、「存在への問い」が他の2つの下位側面よりやや多くみられる事を報告している*11。高石恭子は、ビューラーや西村洲衛男の考察を踏まえ、孤独性(自我を外界から分離隔絶されたものとして感じること)、独自性(自我を単一・独自の有限な個体として認識すること)、自我意識(自我の対象的把握)、自律性(内的権威の発見とその重視)、変化の意識(過去との断絶感、及び未来への展望)、空想嗜好(内界への集中的関心及び一人で空想に耽ること)、自然体験(自己の気分の外界への投影として、自然を幸福と美として意識すること)を挙げている。また、天谷は自我体験を経ていてそれに囚われている人は、そうでない人に比べて、自分の肯定的感情を損なう状況に陥りやすい可能性を指摘しており、無力感が高く、意欲が減退しており、人間関係に関して消極的である傾向が見られたという*12。さらに、天谷は自身の自我体験を深刻に捉える人は自我体験特有の「思考パターン」とも言えるべきものが存在し、とらわれてしまって逃れられないような試行錯誤をたどりやすい、またはそのような思考パターンを持つ人は自身の自我体験をより深刻に捉えやすい可能性が考えられる事を指摘している。*13

独我論的体験

独我論的体験(solipsistic experience)は、自分という存在が、すべての他者、さらには世界全体と対置され、自己の孤立性や例外性が強く意識される体験である。「自分ひとりだけが」「自分以外のものはすべて」「他人も自分と同じように~なのだろうか」などの表現を含み、具体的には他人も自分と同じようにものを考えたり感じたりするのだろうかや、私だけが本当に生きていて他人は機械のようなものではないかといったように表現される体験も含む。他者との対称性、互換性をなす自己という自明な自己理解への疑問・違和を含む点に自我体験と共通項があり、渡辺恒夫は自我体験と合わせて、自我体験群と呼んでいる。*14
また、渡辺恒夫は自我体験も独我論的体験も「発達性エポケー」に源泉があるという知見を提起し、「正常」な精神発達過程の途中で、とりわけ児童期に私たちは自己の自明性の破れ、自然発生的なエポケーを経験することがあるのである事を指摘している。*15

  • 参考文献

渡辺恒夫「自我の発見とは何か 自我体験の調査と考察」『東邦大学教育紀要』第24号 東邦大学 1992年
渡辺恒夫・小松栄一「自我体験 自己意識発達研究の新たなる地平」『発達心理学研究』第10号 1999年
渡辺恒夫「独我論的体験とは何か 自発的事例に基づく自我体験との統合的理解」『質的心理学研究』7巻1号 日本質的心理学会 2008年
渡辺恒夫「自我体験研究への現象学的アプローチ」『質的心理学研究』11巻1号 日本質的心理学会 2012年
渡辺恒夫『〈私の死〉の謎 世界観の心理学で独我を超える』ナカニシヤ出版 2002年
渡辺恒夫・高石恭子『〈私〉という謎 自我体験の心理学』新曜社 2004年
天谷祐子「「私」への「なぜ」という問いについて 面接法による自我体験の報告から」『発達心理研究』13巻3号 日本発達心理学会 2002年
天谷祐子「自己意識と自我体験――「私」への「なぜ」という問い――の関連」第13巻第2号 日本パーソナリティ心理学会 2005年
天谷祐子「自我体験とパーソナリティ特性・孤独感との関連 「私はなぜ私なのか」と問う取り組み方による違い」『パーソナリティ研究』第18巻第1号 日本パーソナリティ心理学会 2009年
天谷祐子『私はなぜ私なのか 自我体験の発達心理学』ナカニシヤ出版 2011年
清水亜紀子「「自己の二重性の意識化」としての自我体験 体験者の語りを手がかりに」『パーソナリティ研究』第17巻第3号 日本パーソナリティ心理学会 2009年
千秋佳世「子どもが「世界の謎」と出会うとき―『ペンギン・ハイウェイ』および『わたしを離さないで』に見る世界の謎―」『京都文教大学臨床心理学部研究紀要 15』京都文教大学 2023年
最終更新:2024年03月02日 09:46

*1 千秋 2023

*2 渡辺 2002 p.30

*3 天谷 2002 p.22

*4 渡辺 2002 p.12

*5 渡辺 1992

*6 渡辺・松田 1999

*7 天谷 2011 p.66

*8 ビューラー 1967(邦訳 1969)

*9 渡辺・松田 1999

*10 渡辺・高石 2004

*11 天谷 2002 p.43

*12 天谷 2011 p.134

*13 天谷 2009

*14 渡辺 2002 p.132

*15 渡辺 2012