先天的全盲者の臨死体験

生まれつき目の見えない全盲者が臨死体験中に視覚体験をしていたとすれば、臨死体験が脳による幻覚であるという考えに対する反論となるのではないかと考えられる。先天的な全盲者は、夢でも視覚体験をしないという事が知られており、臨死体験中に何らかのイメージを見ているとすれば、それが脳による幻覚や夢、過去の記憶が蘇ったといったような説明では無理があると言える。

医師であるラリー・ドッシーの『Recovering The Soul』(邦題:『魂の再発見』)という著書の中で、生まれた時から目が見えない患者が手術中に臨死体験をし、視覚体験をしたという話が紹介されているが*1スーザン・ブラックモア『生と死の境界 「臨死体験」を科学する』の中で、この体験談は寄せ集めの情報で作られた架空の体験談であったという事が述べられている。立花隆『臨死体験 下』の中でもこの話が紹介されており、スーザン・ブラックモアの著書が発行された1990年代の初め頃は、盲目の臨死体験者に関する正確で明らかな文献による報告例がなく、ケネス・リングも「臨死体験神話」と述べており、盲目の臨死体験者は、都市伝説的な存在であったと言える。

しかし、1994年から3年間に渡り、ケネス・リングは、シャロン・クーパーと共に大掛かりな共同研究を行い、目の不自由な臨死体験者と体外離脱体験者合わせて31名にインタビューした。その結果、生まれながらの盲目なのか、後から視覚を失ったのかにかかわらず、臨死体験の内容に違いはなく、調査した31名のうち80パーセントは臨死体験または体外離脱体験中に「見る」という視覚体験をしていた事を主張している。

誕生の時点で完全に盲目となった臨死体験として、ヴィッキーという女性の事例がある。ヴィッキーは、1950年に生まれたとき、未熟児であり、保育器に入れられたが、当時の保育器には酸素が使用されており、それが誤って、過剰に供給されてしまい視神経を損傷し全盲となった。彼女は2度の臨死体験を経験しており、最初の臨死体験の際は、体外離脱をし、自分の肉体を見て手術台のシーツの色が輝きの様々な度合いだと気づいたという。先天的な全盲者には色の識別は不可能であると考えられているため、輝きのヴァリエーションを知覚していたと言える。また、2度目の臨死体験の際には、体外離脱し手術台の上に寝ているのが、自分の体であると分かったという。そして、病院の屋根や街の灯、建物なども見たと述べている。また、ヴィッキーは臨死体験で、暗いトンネルなども経験しており、マイケル・セイボムが超俗型臨死体験と呼んでいる領域においても視覚体験をしている事が窺える。

このような報告に対して、臨死体験以前に見えるとはどのようなことかを体験していなかった先天的な全盲者が臨死体験で、何かを見たという感覚が、健常者が何かを見るという感覚と同一であるかは分からないという反論があり得るかもしれない。しかし、盲目の臨死体験者が臨死体験体外離脱体験中に見たという出来事が客観的な事実と一致していた事例として、カリフォルニアに住むナンシーという人物の事例がある。ナンシーは、先天的な全盲者ではなかったが、手術中に医師の不注意による医療上の危機により、目が見えなくなっているのに気づき、その後、ナンシーを乗せた担架がエレベーターのドアに衝突した際に、ナンシーは体外離脱体験をした。そして、その時見た情景が本人以外の目撃者によって報告内容が裏付けられ、正確な描写であった事が、ケネス・リングとシャロン・クーパーにより検証された。

斎藤忠資「先天性全盲者の臨死体験」の中で、結論として、5歳以前に失明した人は視覚体験を持つ事がない事、5歳以後に失明した人は、過去の視覚イメージの記憶は残っていても、それらが臨死体験時点の記憶でないことから、全盲者の臨死体験が現在の科学の常識からは説明できない現象である事が述べられている。また、臨死体験研究の先駆者であるエリザベス・キューブラー=ロスも臨死体験者がたとえ盲目であっても、周りが見えているということを信じているという。

  • 参考文献
立花隆『臨死体験 下』文藝春秋 1994年
石井登『臨死体験研究読本 脳内現象説を徹底検証』アルファポリス 2002年
斎藤忠資「先天性全盲者の臨死体験」『広島大学総合科学部紀要 人間文化研究』7巻 1998年

最終更新:2023年04月24日 01:28

*1 ドッシー 1989(邦訳 1992)p.17-19