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臨死体験がもたらす意識の変容

臨死体験は、肉体的、精神的に死に近づいた人の人生観を根底から変えてしまう現実性をもっているという事がしばしば指摘される。また、フィリス・アトウォーターは重要なのは臨死体験そのものより、後遺作用と体験者当人がそれにどう対処するかだと確信するに至ったという*1。そして、本格的な臨死体験者が自覚する変化の中でも最も顕著なものは死に対する意識の変化である。
ケネス・リングのデータによると、臨死体験の多くの事例に共通するコア体験と呼ばれる本格的な臨死体験をした人のうち、何らかの形で死への恐怖が減少したという体験者は80パーセントで、この数字は瀕死状態に陥ったが本格的な臨死体験をしていない人々の29パーセントという数字と比べて高い事が分かる。また、マイクル・セイボム『「あの世」からの帰還』の中で示した数字は82パーセントでケネス・リングの数字とほとんど一致している。

臨死体験が死へのどのような恐怖を減じているのかという点について、岩崎美香は、死そのものに対する恐怖は、肉体が死滅する生理的恐怖と自分という存在の意識が消滅してしまう事に対する哲学的恐怖、そしてフランスの哲学者であったウラジミール・ジャンケレヴィッチが一人称の死を経験不可能と位置付けているような「予測不可能で未知である恐怖」があると指摘している。しかし、臨死体験者はその至福の喜びに満ちた体験から死が苦痛ではないことを感じ、また死の先に続きがある事を確信するに至り、肉体的苦痛や死による消滅への恐怖が存在しなくなっていると言える。これらのことから臨死体験による生と死を俯瞰する視点の獲得によって、肉体的消滅の恐怖、死という消滅への恐怖、死が未知である恐怖などをそれぞれ緩和しているという事が指摘されている。*2

マイクル・セイボムの研究によれば、77パーセントの臨死体験者が体験後に死後の世界への確信が増加した事が示されており、ケネス・リング『Heading Toward Omega』(オメガに向かって)の中では合計で92.3パーセントの体験者が何らかの形で死後の世界への確信を強めている事が指摘されている。一方で、臨死体験者は、この人生における使命や目的といったことを確信する場合も多く、たとえ死に対する恐怖が緩和されても自殺によって自ら命を経つことはなく、自分に対してかたく自殺を禁じる人が多い。

人生に対する態度が劇的に変化したり、生きる目的を自覚するに至ったり、周囲の人々への愛や思いやり寛容さが増大したりしたという臨死体験者もいた事が指摘されている。多くの臨死体験者の他者への気遣いは人間に限られず、あらゆる生命に及んでおり、この事は「自己」という殻を破って宇宙全体へと開かれていく自己超越体験や宇宙の全一性の感覚とつながっていると思われる。また、価値観という点においても、社会的成功や物質的なもの(生活の物質的側面)を追い求めるということが重要ではなくなり、精神性の重要性が増したり知識への欲求が高まったりするようである。完全な物質主義者で無神論者であり世俗的な成功を重視ていた画家のハワード・ストームも臨死体験で他人に対して尊敬心と愛情と共感をもった関係を作ることが大切だと教えられた後、世俗的な快楽や富、成功などには目もくれず、専ら善なるものを追求し、あらゆる意味で人を助け、社会に奉仕する事に人生を捧げるという聖者のような人間になってしまったという。また、資本主義を美徳のように信じ自己中心主義的だったインドの医師のラジブ・パルティも臨死体験(死後の世界だけでなく過去生も再体験したという)を経て、富や物質的な豊かさへの関心がなくなり人との和や精神的な豊かさを尊ぶようになったという*3。なお、ここでいう精神性とは普遍的な精神性のことであり、宗教の組織的側面、礼拝などの形式的側面の重要性は薄れると言える。

そのような意味で自身は宗教的というよりは、スピリチュアル的だとみなす臨死体験者が多いことも指摘されているが、ケネス・リングは輪廻転生という考えに偏見をもたなくなるということや東洋の宗教に対して全般的にシンパシーを感じるという事を指摘している。他にもリングは、臨死体験の事後効果として有名になりたいという気持ち、他人が自分のことをどう考えているかを気にする気持ちの減少や、個人的な意味の探究、自分というものを理解したいという欲求の増加といった事などを挙げている。笠原敏雄は、人類のほとんどが属する生活派とは全く異質な生活姿勢や世界観をもつ芸術派の人々の特徴のうち、「ものごとの本質を直観的に見ぬけること」「他者と迎合することなく、自分で考え、自発的に行動すること」「生活よりも、自分が本当にしたいことを優先すること」は、臨死体験をした人たちが自然に身につけるとされる特性と殆ど同じであると述べている。*4

知識への欲求という点に関して顕著な例として、橘隆志は、トム・ソーヤーという人物の臨死体験が紹介している。除雪車運転手のトム・ソーヤーは、臨死体験をした後、訳の分からない数字や方程式などが頭に浮かんでくるようになり、入ったこともなかった図書館に行き、量子論の本を読み、更に大学にも入学し物理学、哲学、心理学も学ぶようになったという*5臨死体験後にそれまでになかった才能が開花したという例はままあると言え、1994年に落雷で臨死体験をしたニューヨークの医師トニー・チコリアは、子どもの頃に楽器を習った経験がなく楽譜の読み方さえ知らなかったが、臨死体験後にクラシック音楽を無性に聞きたくなったり頭の中でメロディが勝手に流れたりして地道な努力を続けた結果、天才作曲家になってしまったという。*6

石井登『臨死体験研究読本 脳内幻覚説を徹底検証』の中では、「臨死体験は脳が作り出す幻覚だ」という主張に対し、幻覚という「偽物」を元にして、「本物」の人間的成長、人生にもたらす前向きな態度を説明する事が困難であるとし、臨死体験が脳の見る幻覚であるという説には説明し切れない事実が残ってしまうと触れられている。また、臨死体験という非日常的な体験を日常の中で消化、適合して、新たな生き方を形成していくという点については、岩崎美香「臨死体験後に辿る過程 臨死体験者と日常への復帰」の中で詳しく述べられている。

臨死体験と超能力、サイキック現象

臨死体験によってもたらされる意識の変容の他に超能力を有するようになった、サイキック現象などを多く経験するようになったという研究結果もある。具体的には親類がいつ亡くなるかが分かると言ったことや虫の知らせ、予知、逆行予知(過去にあったとは知らなかった事が突然わかる)、テレパシー、ヒーリング、デジャ・ヴュ(既視感)、シンクロニシティ体外離脱体験、霊的存在やエネルギーが感じられるといったことから、UFOを目撃したりコンタクトしたりできるようになったという報告などが挙げられる。フィンランドの医師、ラウニ・リーナ・ルーカネン・キルデは、1969年に急性腹膜炎で緊急病院に担ぎ込まれ緊急手術を受けたときに臨死体験をしているが、臨死体験から始まり、体外離脱体験や自動書記、チャネリングといった超常現象を体験しており、人と話していてその人が次に言おうとしている事が分かってしまうという点でテレパシー能力も発達したという。*7

サイキック現象は、現在の自然科学では合理的に説明することのできない現象であるため、真偽について意見が分かれるところもあり、臨死体験が脳の情報処理機構に異常をもたらしたために、自分に超能力があると思い込んでしまうのではないかという解釈も生まれる。しかし、本人の主観の中だけでなく客観的なサイキック現象の報告もあり、臨死体験の事後効果としてサイキック現象が研究されている。

リチャード・コールは臨死体験者78名、死の瀬戸際まで行ったが臨死体験をしなかった人105名、死の瀬戸際までいったことのないその他の人358名のデータを分析し、臨死体験者は、臨死体験をしていない人と比べ、サイキック現象を多く経験している事を明らかにしている。また、ジェフリー・ロングの調査によれば、45.0パーセントが臨死体験前にはもっていなかった超能力や超常的な力など特別な能力を獲得している事が分かったという。*8
そもそも臨死体験中にそれまで知らなかった親戚や光の存在と出会い、テレパシーで話したという報告があることから、臨死体験自体が一種のサイキック現象であるとも言えるが、臨死体験以前はサイキック現象があり得ると思っていなかった人が臨死体験後に透視やテレパシー、予知を始めとするサイキック現象を経験したという報告もある。

テレパシーについては、配偶者や子どものような身近な人とのテレパシー交信から、初めて会う人の心を読み取るというものまで、様々だが、このような能力は社会の中では受け入れられないものだと思い知らされ、この力を押し殺すよう努力している人もいる。予知については、地震などの自然災害と関係した予知体験がある。また、長いこと会っていない人のことを考えていると実際に電話が来たり手紙が来たりといった虫の知らせのようなものから、夢で見たことや脳裏をかすめた出来事が細かい点も全て一致したという報告もある。夢については、臨死体験以前より強く意識しているという人もおり、夢の中で、指示を受けたり、警告を受けたりする人もいる。他にも、不思議な現象を経験している臨死体験者はおり、例えば、バスの事故に巻き込まれた際に超自然的な力に助けられたという人、体外離脱体験をしたという人、霊と接したことがあるという人、何らかの治癒能力が備わったという人、オーラが見られるようになったという人もいる。オーラについて橘隆志は、人体が周辺の空間に電磁波を発しているのは物理的事実であり感覚細胞の能力という点から、可視光線の外の周波数帯域を見られる人がいても不思議ではないとしている*9。そして、シェリー・サザランドは、このようなサイキック現象の増加を臨死体験の結果起きた最大の変化だとする人は1人もいなかった事を述べ、臨死体験者の根源的な関心事は、精神的な成長であるということにも言及している。

臨死体験者が宇宙エネルギーに目覚める事につながっているという考えもあり、石井登『臨死体験研究読本』の中では、宇宙エネルギーの増大と超能力の間には無視することのできない関係があることが指摘されている。臨死体験後に「悟り」と言って良いような根源的な意識変化がある事は、超能力に目覚めるということと無視できない関連があるのではないかと思われると述べられている。また、瞑想や様々な行を基盤とした東洋の精神的な伝統の中では、修行によって得られる精神的な成長や高次の意識状態には何らかの超常的な現象が伴う事が認められている。しかし、それは高次の意識状態に至る上での副産物に過ぎないのであり、それ自体に価値はないとも言われており、この事はサザランドが臨死体験者の根源的な関心が精神的な成長にあると述べている事と一致していると言える。

臨死体験後のヒーリング能力

臨死体験を経て生還した人の中には、しばしば奇跡としか思えないとも言われる特異な生還例も多いと言われ、末期癌の患者でも事故で致死の重傷を負って臨死体験をした人も驚異的な速さで回復しているというケースが報告され、アニータ・ムアジャーニは、癌の死の淵から奇跡的に回復している。このような事例からは臨死体験が肉体にも大きな変化をもたらすという点で、臨死体験による心理的変化と生理的変化の深い繋がりが窺える。

また、臨死体験の後に人や動物に手をかざすだけで病やけがを治せると言ったヒーリング能力を発揮する人もいる。このような能力を授かった臨死体験者として、分子遺伝子学者からヒーラーに転職したジョイス・ホークスがおり、ホークスは臨死体験を経て心身の何かが変わった事で自分の身体を媒介として神聖な癒しを患者に届け、細胞レベルで癒すことができるようになったと考えている*10

聖心会のシスターである鈴木秀子も臨死体験後にヒーリング能力を授かっている。鈴木秀子は今から30年近く前、友人のいる修道院に宿泊していた際、あまり寝付かれず夜中に起き出し、暗がりの廊下を歩いていると足を踏み外して階段から転落して、一気に下まで落ち、床に叩きつけられるという大事故に遭った。そして、そのまま気を失い、臨死体験をしている。気が付くと、身体が宙に浮かんでいたようで、宙に浮かんでいるところをもう一人の自分が見ていたという。宙に浮かんだ彼女の足の周りには筍の皮のようなものが覆っていたと言い、仏像の足の周りを包んでいる蓮の花びらに通じていると思ったようである。そして、花びらが落ちていくごとに苦しみから解放され、自由になっていくと分かったという。そして、最後の花びらは落ちる事なく飛翔し、鈴木は眩い光の世界にいたようである。そして、鈴木は光の生命に「現世に帰りなさい」と伝えられたのが分かり、知ることと愛することの2つだけが大切であるというメッセージを受け取り、意識が戻ったようである。

また、鈴木は臨死体験の5〜6年ほど前から患っていた原因不明の難病である膠原病が完全に治り病気1つせず今日に至っているといった事から、光の世界との出会いを核とする臨死体験が夢や幻覚ではないという確信を強めている。また、鈴木氏は膠原病を癒す力だけでなく、他の人々の病気を癒し力まで身についてしまったと言い、摂理としか思えない方法で、重症の病人のところに招かれるようになったとも述べている*11。そして、病人の所に行くと自然に手が伸びて、その人に触れて一体感のうちに呼吸を合わせている時、宇宙の根源にある力が病人に伝わり治癒力を蘇らせるように感じたという。例えば、ある少女からは肝臓と耳が悪く背骨が曲がっているのが伝わってきたと言い、少女は、最初は「どこも悪くない」と否定したが、翌日、鈴木が言った通りだと打ち明けたと言い、鈴木が癒しの力を込めて少女の背骨に当てたら曲がっていたはずの背骨が真っ直ぐに伸びていたという。

臨死体験とUFO遭遇

UFO遭遇は今日でも大半の学者や科学者にとって常軌を逸したものであると言え、レイモンド・ムーディも国際臨死研究学会(IANDS)の記念講演で、超常現象一般に懐疑的だと述べていたという。しかし、臨死体験とUFO遭遇には共通性があるということを指摘した研究もある。

ケネス・リングは、臨死体験とUFO遭遇では基本的な形は異なっているが、体験の当事者の感情を強烈に揺さぶり、同じような種類の霊的変容をもたらすという事を指摘している。具体的には、自己洞察や価値観、人生の変化、さらには生態系への関心といった事などが挙げられる。そして、ケネス・リングは『Heading Toward Omega』(オメガに向かって)の中で、臨死体験は生命の内的一体性とその神聖さへの気づきを深め、地球の未来と生態系への関心を高めていく体験なのではないかと考え、臨死体験は人類に霊的な気づきという点で進化をもたらす体験であるという仮説を出している。*12

UFO遭遇については、その特徴は、空に異様な光を見たというものから、UFOに誘拐されたり異星人らしき存在と接触したりといった途方のないものまで様々であると言える。UFOの目撃やUFOとの接触は「接近遭遇」と言われ、UFOに誘拐されたり、インプラントを埋め込まれたりする事は「第四種接近遭遇」と言われる。そのようなUFO遭遇には大抵の場合、不気味な感じや見張られているような感じ、異常な事が起こりそうな予感を伴うと言われているが、臨死体験は幸福感や安らかな境地を体験するものであり、性質が対照的であると思える。

しかし、ケネス・リングが収集した事例の中には、臨死体験とUFO遭遇を混合したような体験もあった*13。ベリル・ヘンドリックスというニューヨーク州の女性は、1977年に倒れ、気がつくと非日常の現実に入り込んでおり、丸い窓から宇宙を眺めていたり、意識が地球に落下していき幾何学図形になった地球が見えたりしたという。そして、その後、神を身近に感じるようになったと言われている。リングによれば、他にも臨死体験なのかUFO遭遇なのか区別できない事例が複数あったという。

臨死体験とUFO遭遇の両方を別々に体験している人もいる。前出のフィンランドの医師、キルデも臨死体験後にUFO遭遇体験をしている。キルデは、UFOに乗った事があると言うチェコ系アメリカ人の医師、アンドレ・アプラハリに会った際、再びUFOに乗る機会があったら私を拾ってと言い挑発したという。それから2箇月ほど経った夕方、家で女優をしている友人と日本の短歌に関する本を読んでいたところ、窓の外を見たら、窓から100メートルほど離れたところでUFO(大きな光の塊であったという)が着陸しようとホバリングしているところだったという*14。さらに、それから2年経ってスイスで行われた国際サイ会議(超常現象に関する国際会議)で、催眠術をかけられ催眠状態に入った際に、UFOがやってくるのが見え、UFOの中に入り、身長1メートルくらいのエイリアンによる医学検査を受けていたと言い地球上では見たことがない器具などを見たという。そして、それが催眠中に見た幻覚ではなく、本当に起きたことの記憶が潜在意識に残っていて催眠中に蘇ったのではないかと思うようになったと述べている*15。実際、キルデの下腹部には腹膜炎の手術跡ではない、いつできたか分からない手術の痕のような傷痕もあるという。フィリス・アトウォーターもインタビューした臨死体験者の3分の1強は、体験後UFOを見るようになったと言い、20パーセントの人たちが、別の世界から地球に移住した記憶に目覚めたとも述べている*16。なお、近年の日本では岩崎美香も臨死体験後にUFOを目撃するようになった人が何人かいた事を明らかにしている*17

また、奇跡のりんご農家として知られる木村秋則も龍を見たり、UFOと遭遇したり、臨死体験をしたり、非日常的世界との遭遇が多い人物のようである。他にも最近では、YouTubeで自身の臨死体験について情報発信されている人が増えてきている。その中にはHanaco Channel ~Spirit Guide Radio~や、管理者が直接話を聞いている広瀬真琴(lovemiracleまこひろせ)のように、幼少の頃から、シャーマン的な資質を有しUFO遭遇や別次元の現実を体験している人もいる*18*19。このように別次元の現実との遭遇や神秘体験が多い人の存在から、シャーマンのような特殊な資質や心理傾向を持った人は、そのような体験をしやすいと言えるかもしれない。そして、そのような資質はケネス・リングの言う霊的な気づきという点での進化に関連しているとも考えられ、ブルース・グレイソンは臨死体験やUFO遭遇により生理機能、神経系、脳などに変化をきたした人々を「オメガ・プロトタイプ」と呼んでいる*20。生理機能、神経系、脳などの変化という点に関しては、フィリス・アトウォーターも精神的な変容、宗教的回心、臨死などの奇妙な後遺症状というより脳の変容(ブレイン・シフト)の過程から生じる大脳辺縁系の活性化等による生理学的な効果として捉えているようである。
そして、臨死体験後にUFO遭遇体験をしたキルデは、人類が全一的な宇宙意識を獲得する進化の新しい段階に入ったと述べており、全宇宙一体の高次の意識世界の住人である宇宙人が人間をその世界に向かい入れるために手助けに来ていると述べていて*21、この辺りについては先述の広瀬の宇宙人に対する態度と近いものがあると言える。なお、オメガとはフランスの古生物学者、テイヤール・ド・シャルダンの用語で人類の未来進化の終局の収束点を表している。このような人類の進化に対する考えはケン・ウィルバーが人間の心の発展が実存的なケンタウロスのステージを超えていく事を提唱している事にも少なからず通じてくる。

ケネス・リングはUFO遭遇や臨死体験について、それが幻覚などの産物か現実かという2つの解釈について、その中間、あるいはそれらの外側にあるような第3の領域での解釈を考えており、カール・グスタフ・ユングはUFO遭遇を集合的無意識の投影(無意識が好んで夢や幻視などに現出させる形態)とみなし、スタニスラフ・グロフもUFO遭遇を(単なる幻覚でもなければ、通常お意味での現実でもないという)プシコイド性の体験とみなしているが、これらのことは、現実とは何かという哲学的問題にも通じていると考えられる。

  • 参考文献
立花隆『臨死体験 上』文藝春秋 1994年
鈴木秀子『神は人を何処へ導くのか』クレスト社 1995年
鈴木秀子『死に行くものからの言葉』文藝春秋 1996年 
石井登『臨死体験研究読本 脳内現象説を徹底検証』アルファポリス 2002年
木村秋則『すべては宇宙の采配』東邦出版 2009年
人見佳枝「分析心理学的見地からみた臨死体験」『近畿大学臨床心理センター 紀要』第4巻 2011年
岩崎美香「臨死体験による一人称の死生観の変容 日本人の臨死体験事例から」『トランスパーソナル心理学/精神医学』13巻1号 日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 2013年
岩崎美香「臨死体験後に辿る過程 臨死体験者と日常への復帰」『トランスパーソナル心理学/精神医学』15巻1号 日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 2016年
高橋清隆「キルデさんの臨死体験(人生学 第12回)」『静岡英和学院大学 静岡英和学院大学短期大学部 紀要』第12号 2014年
エリコ・ロウ『死んだ後には続きがあるのか 臨死体験と意識科学の最前線』扶桑社 2016年

Ring, Kenneth : Heading Toward Omega, 1985
マイクル・セイボム『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』笠原敏雄 訳 日本教文社 1986年
ケネス・リング『いまわのきわに見る死の世界』中村定 訳 講談社 1981年
ケネス・リング『オメガ・プロジェクト UFO遭遇と臨死体験の心理学』片山陽子 訳 春秋社 1997年
C.G. ユング『空飛ぶ円盤』松代洋一 訳 ちくま学芸文庫 1993年
フィリス・アトウォーター『光の彼方へ』角川春樹 訳 ソニー・マガジンズ 1995年
フィリス・アトウォーター『臨死体験未来の記憶 精神世界への新たなる光』青山陽子 訳 原書房 1997年
シェリー・サザランド『光の中に再び生まれて』片桐すみ子・野田佳子・林弘子 訳 人文書院 1999年
アニータ・ムアジャーニ『喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと』奥野節子 訳 ナチュラルスピリット 2013年
ジェフリー・ロング/ポール・ペリー『臨死体験9つの証拠』河村めぐみ 訳 ブックマン社 2014年
最終更新:2025年07月06日 18:41

*1 アトウォーター 1994(邦訳 1995)p.167

*2 岩崎 2013

*3 ロウ 2016 p.43-52

*4 http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/psycho/for_artarians.html

*5 立花 1994 p.269-271

*6 ロウ 2016 p.53-60

*7 立花 1994 p.208

*8 ロング 2009(邦訳 2014)p.78

*9 立花 1994 p.257-258

*10 ロウ 2016 p.60−65

*11 鈴木 1996 p.18

*12 リング 1985

*13 リング (邦訳 1997)p.102-105

*14 立花 1994 p.210-211

*15 立花 1994 p.218-221

*16 アトウォーター 1994(邦訳 1995)p.163—164

*17 岩崎 2013

*18 https://youtu.be/HIpvlVjafZA

*19 https://youtu.be/O-eCm0JdhA4

*20 リング (邦訳 1997)p.175

*21 立花 1994 p.225-226