概説
サードマン現象(The Third Man factor)は、極地探検家、登山家、不測の事故や災難に遭遇した人等が生死を左右する危険な極限状態の苦境に陥った時に、霊のような目に見えない存在、すなわち第三者(the third man)が現れて安心や支えをもたらし、生還に導かれたという体験報告の現象を指す。この現象は「存在の気配」「鮮烈な身体的意識」「架空のシャドウパーソン」など様々な呼ばれ方をする。
歴史的には、英国の詩人のトーマス・スターンズ・エリオットが1922年にモダニズム詩『荒地』にて、「第三の人」という言葉を次のように使用したことから、「第三の人」(サードマン)という呼び名がこの現象を指す際に広く知られるようになった。なお、エリオットは「荒地」の注でこの数行は南極探検の話に想を得たものであると述べているという。
いつもきみのそばを歩いている第三の人は誰だ?
数えてみると、きみとぼくしかいない
けれど白い道の先を見ると
いつもきみのそばを歩くもう一人がいる
サードマン現象のサンプルを集めて本格的に報告を研究した最初の科学者はマクドナルド・クリッチレーであったが、クリッチレーはその原因は人体の内にあるものと考えた。ジョン・ガイガーは、氷の上、山、海、陸、空、宇宙で人間にふりかかるあらゆる災難がサードマンの出現によって一つに結び付いた記録を作っているのだと認識し始めたのだといい、極地探検家、登山家、単独航海家、海難事故生還者、パイロット、宇宙飛行士といった人々の事例を著書"The Third Man Factor"(邦題:
『サードマン 奇跡の生還へ導く人』)に記録した。
サードマン現象の体験例
ガイガーの著書の中では、南極大陸、海底洞窟、9・11の世界貿易センタービル、宇宙など様々な場面でのサードマン現象が描かれている。サイードマン現象の代表的な例として、ニューハンプシャー州ハノーバー出身の大学院生ジェームズ・セビニーと友人のリチャード・ウィットマンの事例がある。二人はカナディアン・ロッキーの山、デルタフォームを目指して出発したが、1983年4月1日、クーロワールと呼ばれる氷の溝を登っている時、突然、クーロワール上部の雪原が崩れ落ち、雪崩は二人を押し流したという。そして、セビニーが意識を取り戻した後、ウィットマイヤーが倒れているのを目にし、自分も直ぐ後を追うのだと「眠ってしまえば、一番簡単に逝ける」と思っていると、突然、直ぐ側に見えない〈存在〉があるような奇妙な感覚に襲われた。〈存在〉は心にはっきりと「あきらめてはいけない、がんばりなさい」と語りかけてきたという。そして、セビニーにどう動けば良いか具体的に指示をしたといい、セビニーが〈存在〉が去ったのを感じ孤独感に襲われていると、人が近づいてきてその人が助けを呼びに行き、セビニーはヘリコプターで搬送されている。
また、サードマン現象の中で、神の存在を見出している例として、グラスゴー出身の教師だったマッキンリーの事例がある。マッキンリーは北極地方を旅した経験はなかったが、探検隊に応募し、カールク号に乗った。嵐のために不安が募り、暗闇の不気味さが拍車をかけていたが、1913年10月5日に天候がやや緩んだため、外に出てオーロラを眺めた時について以下のように記している。
すると突然、まったく経験したことのない何かに気づいた。「存在」に対する意識、一人ではないという感じだった。「感じ」という言葉では言いあらわせない。そもそも何の感覚もないのだから。ただ意識だけだ。H・G・ウェルズは、夜だとか、たまに一人きりのときに「自分と、自分以外の何か偉大なものとの交わりのようなものを経験する」ことがあると書いていた。おそらく私も同じような経験をしたのだろう、よくわからないが。やがて、それは過ぎ去った。
そして、カールク号の中が危機的状況に陥っていた12月にマッキンリーは再び「存在」に気づいた事を以下のように述べている。
私はまた、「存在」としか言いようのないものに気づいた。それは、この世のいかなる感覚をも超える高揚感で私を満たした。それが過ぎ去ってから歩いて船に戻ったが、そのときは、どのような不可知論者も懐疑論者も無神論者もヒューマニストも、神は存在するという確信を私から奪うことはできないという確固たる自信をもっていた。これから先、どのような困難が待ち受けていようと、極北の地が私にどのような運命を用意していようと、ここへ来たことに至福の喜びを感じていた。
サードマン現象の解釈
前述のマッキンリーの事例のように、信心深い人にとってサードマン現象を神や守護天使に結び付ける事が明白な説明であると言えるかもしれない。一方で、近年では、何者かの存在を経験した人の多くは、それを外部の超自然的な力の介入とは考えておらず、神経学者のマクドナルド・クリッチレーのように内部の生理的あるいは心理的機構によって生み出されたものと考えているという。例えば、宇宙飛行士のジェリー・リネンジャーがミッションの終了が近づく中、3回鮮烈な〈存在〉と出会い、他に7回ほど父親が側にいるのに気づいたという話を報告しているが、リネンジャーはこの体験を宗教的体験ではなく、心理的な防衛機制として理解しているようである。また、精神機能の鈍りと酸素不足との関連についての指摘や、単調な状況が広がる極限の特殊な環境(EUE〈extreme and unusual environment〉)で十分な刺激レベルを維持しようという脳の働きによってサードマンが現れるとする説明もある。さらに、低温、高所生理学の専門家であるグリフィス・ピューは脳機能の衰えによるものと断じており、医師であり、登山家でもある高所生理学の専門家のチャールズ・スニード・ヒューストンはこの種の現象を深刻な高所障害の一つである脳浮腫によるものとしている。
しかしながら、それだけでは説明できない側面がある事も否定できない。サードマンの原因が脳機能の衰えであるとしたら、なぜそれが非現実感を伴い、人を迷わせる一般的な幻覚や譫妄とは一線を画し、現実感があり、道案内をしたり恐怖を和らげたりするという点で支えになるのかといった事について説明できないだろう。生物学的説明は「どのように」に対する説明にはなってもこのような「なぜ」に対する答えにはならない。また、数人で極限状態に陥った場合、その場にいる全員がその存在を同じように感じている事もあり、個人の脳が作り出した幻とは説明がつきにくいと言える。
サードマンが誰であるのかという点についても、体験者によって、はっきり認識させられる事が少ない場合や、神や守護天使、別の次元から見た自分、あるいは亡くなった親や祖父母、配偶者、友人などの存在を見出している場合などその解釈は様々であると言える。実際、死別から数箇月の間は、〈存在〉の感覚が最も生じやすいという研究結果もある。ウィルフリッド・ノイスは人間には未知の能力があって、個人を超えて
集合無意識へと広がっているのではないかと考えている。
また、
立花隆『臨死体験 下』の中でも、1982年に中国のミニヤコンカ峰に登山して遭難し消息を絶ってから18日後に奇跡の生還を遂げた登山家の松田宏也の体験が紹介されている。松田は幻聴幻覚を経験した後、サードマン現象と言える経験しており、もう一人の自分について、姿は何もないが、目の前斜め上1メートルくらいのところにいるという実在感は明確にあったと言い、「歩かないと助からない、だから歩け、がんばって歩け」という強い調子の命令が頭に直接聞こえてきたという。橘はこれを一種の
体外離脱体験と見ているようで、心理学的に、それまで1つのパーソナリティの下に統合されていた自己の一部(フロイトの言う超自己が外部に投影されて独立の存在となったと解釈できるかもしれないと述べている。この点については、一部の脳の機能との対応関係も含め、
神秘体験や
体外離脱体験等との関係も視野に入れて見ていく必要があるかもしれない。
最終更新:2024年06月07日 10:25