生まれ変わり > 先天性刻印

「再生型事例」と呼ばれる生まれ変わり事例の中には、子どもが前世の人格にあったとされる傷痕、致命傷と一致する母斑先天性欠損をもって生まれてくるという事例も多くある。

ジム・タッカーが紹介した事例として、1991年にアメリカ・ミシガン州で生まれたパトリック・クリステンという人物の事例がある*1。パトリックには、12年前に2歳で亡くなった兄がおり、兄が亡くなったときに身体に残された3種類の欠陥がパトリックにもあった。
パトリックの兄のケヴィンは、1歳半のときに足が不自由になり、転移がんと診断され、首の右側に刺した中心静脈カテーテルを通して化学療法を受けたと言う。パトリックには生まれつき、首の右側に切り傷のように見える斜めに走る母斑があったが、それはケヴィンが中心静脈カテーテルを差し込まれた所と一致していた。そして、パトリックが4歳半になると、ケヴィンの生涯との関係を感じさせる話をするようになり、前の自宅の色を当てたり、手術を受けたことを覚えているか母親に聞いたり、ケヴィンの写真をみてそれは自分だといったりした。イアン・スティーヴンソンジム・タッカーはパトリックが5歳の時に一家を訪問し、パトリックが足を引きずって歩いている事や、ケヴィンの生涯を匂わせるような発言していたことを述べている。なお、スティーヴンソンは、2つの母斑が別の少年のあざと偶然一致する確率について、平均的な大人の男性の肌の体表面積である1.6平方メートルを四角形、平面に直し、その中に母斑に対応する10平方センチメートルの四角形がいくつ入るかという事から計算したところ、25600分の1という結果になると計算している。*2

ジム・タッカーはこのような母斑などの先天性刻印についての通常の解釈として、子どもの両親が、あざや先天性欠損があるために、それに該当する前世の人格の生まれ変わりと決めつけたのではないかということも検討している*3。しかし、子どもが前世の人格について現世で知ったとは考えられない事や、母斑や先天性欠損の中には、非常に珍しいものもあり前世の人格のものと偶然一致したとは考え難いとも述べている。実際、イアン・スティーヴンソンが紹介している写真を見ると、非常に珍しい母斑や先天性欠損がある事が分かる*4。また、子どもが前世の人格にあったとされる傷痕、致命傷と一致する母斑や先天性欠損をもって生まれてくるという事例の存在からは、子どもが持っている前世の記憶がテレパシーや透視といった超感覚的知覚によって得られたものではなく、実際に子どもが語っている通り、前世の人格の生まれ変わりとして存在しているということの確からしさを補強しているように思える。

また、アジアのいくつかの国では、「実験母斑」と呼ばれ、死を迎えようとしている人の体や故人の遺体に煤などで目印をつけ、その目印と一致した母斑をもった子どもとして生まれ変わってくると信じられていた。ジム・タッカーとユルゲン・カイルはタイとミャンマーに調査に出かけ、そのような事例を18例発見し、そのうち6例では子どもが前世に関する発言をしている*5。その一例として、1990年にタイで生まれたクロイ・マトウィセットという少年の事例が挙げられる。クロイの母方の祖母は義理の娘に男に生まれ変わりたいと言い残し、死んだ翌日、義理の娘は義母の首筋に白い練り粉で縦に目印をつけた。クロイは祖母が目印をつけられた場所に母斑があり、幼い頃に自分は祖母だったと言い、田んぼは自分のものだとも主張したり、女性的な行動もしたりしたそうである。

前世の人格を象徴した母斑や先天性欠損をもって生まれてくるという事例の存在から、イアン・スティーヴンソンは遺伝学や環境的影響による説明の限界を指摘し、前世の人格の身体的特徴などを媒介する機構である「心搬体(psychophore)」といったものを想定したように、生まれ変わり事例を理解する上で、身体、物質を超えて前世の身体的特徴が何らかの形で刻印され存続するメカニズムが存在しているという事が示唆されるのではないかと考えられる。
また、スティーヴンソンは、欧米の医学書や医学専門誌には、妊娠中の女性が強いショックを受けると、生まれた子どもに先天性の欠損が発生する事を裏付ける症例が掲載されていたという事を指摘している。18世紀~19世紀に、生理学と矛盾するとして無視されるようになる迄は、妊娠中の女性が奇形を持った人物を見てショックを受けると、生まれた子どもにそれと同じ奇形が先天的に発生するという考え方も存在していたといい、スティーヴンソンは通常の原因が考えられないにもかかわらず、妊娠中にかけられた呪いがもとになって子どもに奇形が発生したと思われる事例を3例報告している。それ故、何らかの動機さえあれば、生まれてくる人物が自らの意志によって前世時代の傷痕やあざを持ち越すことも不可能ではないらしいことが推測される。*6

一方、生まれ変わり事例に対する懐疑論者の主張として、意識が肉体を離れてどのように存続するかや成長する胎児にどのように影響を及ぼすかなど生まれ変わりが説明できそうな仕組みが分かっていない事や想像できないことなどが反論となるというものがある。ポール・エドワーズもヴィクター・ヴィンセントの生まれ変わり事例を取り上げ、傷がどのように転移が起こるのか想像できず原理的に観察不可能であることが致命的だと述べている*7。それに対して、ジム・タッカーは薬の作用機序がわからないうちから、たくさんの薬を使って治療を成功させてきたという事などを持ち出して、仕組みが分からないからその考えを棄却して良いという論法は正しくないと述べている*8

ある肉体についていた母斑がどのように次の肉体に出現するかという点について、ジム・タッカーはストレスが病気の一因になるように心理的要因による体の全体的変化といった心身の相互作用から考えようとしている*9。また、心が生み出す体の変化として、火傷を負わされていると思ったときに火ぶくれができるなど催眠状態で暗示をかけることで肉体に様々な変化がもたらされるという報告もある。そして、前世の外傷記憶をもった心が来世に移行するとすれば、催眠の事例と同様のプロセスでそれに対応した母斑が作られるのかもしれない。

また、母斑や先天性欠損をもった子どもが多く生まれないのはなぜかといったことや、前世の身体的特徴が持ち越されやすい度合いについては疑問が残るが、イアン・スティーヴンソンは生まれ変わりの事例には前世の人格が非業の死を遂げている場合が多いことを述べている。スティーヴンソンは致命傷が重要な母斑になるとは限らないと指摘した上で、何かに襲われた場合、最初の段階で負った傷の方が、傷を負った時点での意識がはっきりと保たれており、負傷が本人の意識に及ぼす影響など、母斑が受け継がれる要因として傷の重症度以外の意識に関わる要因を考えている。さらに、ジム・タッカーは、催眠についての検討を通し、催眠にかかりやすい人とそうでない人がいるように、傷が生じやすい人とそうでない人がいるかもしれないという仮説を出し、前世の身体的特徴が持ち越されやすい度合いには文化圏に住む人々の信念や信仰が関係しているかもしれないとも述べている*10。これらの事から、心理的要因が身体に与える変化といった観点からも、個人の意識や心理的傾向、文化的な信念や信仰など、諸々の要素の組み合わせが母斑や先天性欠損が来世に移行する何らかのメカニズムに関係していると考えられそうである。

  • 参考文献
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最終更新:2023年04月24日 09:50

*1 タッカー 2005(邦訳 2006)p.85-86

*2 タッカー 2017(邦訳 2018)p.19-20

*3 タッカー 2005(邦訳 2006)p.100

*4 スティーヴンソン 1997(邦訳 1998)

*5 タッカー 2005(邦訳 2006)p.93

*6 http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/reincarnation.html

*7 エドワーズ 1996(邦訳 2000)p.130-132

*8 タッカー 2005(邦訳 2006)p.231-232

*9 タッカー 2005(邦訳 2006)p.83

*10 タッカー 2005(邦訳 2006)p.88-89