サイコシンセシス

概説

サイコシンセシス(psychosynthesis)は、かつては精神統合、今日では統合心理学などと呼ばれ、サイコアナリシス=精神分析との対比を意識し、1910年頃にイタリアの精神科医のロベルト・アサジオリが体系化した理論である。なお、サイコシンセシスは、宗教と科学の統合とも言われ、従来の精神医学が扱わなかったスピリチュアリティや主観的体験を重視しているが、それらを人間科学の対象としたことは、画期的であり、サイコシンセシスの重要な意義であるという*1。なお、アサジオリ自身は、サイコシンセシスは1つの科学的概念であり、唯物論的で霊性の存在を否定するものを除けば、いかなる宗教形態や哲学的教義に対しても中立的立場を貫くものであり、神秘について形而上学的な解説を提供したり企てたりするものではなく、神秘への扉へと導く事に留まるとしている。*2

アサジオリは、私たちの「真の自己」は、素晴らしい可能性をもったスピリチュアルな存在で、互いに深いところで繋がった同胞であると捉える一方で、現実を直視し、精神分析の無意識のエネルギーの視点を取り入れ、ホリスティック(全人的)な人間観を提唱した。平松園枝は、サイコシンセシスの人間観や、自己実現への統合プロセスの背景となる次のような特徴を読み取ることができると述べている。

1 私たちの根源は不変のワンネス(一なるもの)であり、それは見えない世界にある。現実の世界における目に見えるすべてのものは、見えない世界の「根源」が個として現れたものであり、私たちの存在の本質である「真の自己」は、マクロコスモス(大宇宙)の真理が個の形をとって現れたミクロコスモス(小宇宙)である。それは根源の持つ「いのちの原理」の普遍性と、個としての独自性の両方を合わせ持つ存在である。
2 目に見える世界では、私たちはバラバラの個人であり、互いにつながってはいない。しかしそれぞれが、内界深く真の自己につながれば、他者とも互いに同胞としてつながることができる。これが私たちの、本来のホリスティック(全人的)なあるべき姿である。
3 見える世界での対立や葛藤と同時に、私たちには互いにつながり、普遍的ないのちの原理に沿ったホール(全体)への統合に向かう潜在的な希求がある。*3

サイコシンセシスの言う統合とは、真の自己に繋がり、他者と調和がとれ、本来のホリスティックな在り方へと統合していくプロセスである。

卵形図形

アサジオリは、サイコシンセシスの理論と技法を地図と道具の形で提供しており、サイコシンセシスのホリスティックな人間観を表す最も基本的な地図は卵形(らんけい)図形と呼ばれる。この地図によれば、自分だと思っている自分はごく一部であり、広大な無意識の世界を持っている事を示している。アサジオリは、精神分析を学んだが、それでは期待が十分に満たされず、ジークムント・フロイトに満足できなかったこともあり、意識、無意識、真の自己など細かくは7つの要素から捉える。
(『サイコシンセシス』p.22より)

1 下位無意識

この部分には、身体的生命を方向付ける基本的な心理的活動、身体機能における賢明な調整の働き、衝動、上道で充電された多くの観念複合体、下等な夢や空想、下位の制御されない超心理学過程、様々な病的症状の発現などが含まれる。フロイトが精神分析で精神の地下室と表現した部分で、自己実現していく事を妨げる否定的な要素のルーツと言われる。

2 中位無意識

この部分は、覚醒状態にある意識領域における心理的要素と類似した構成要素から成り立ち移行も容易だと言われ、意識と無意識の双方向への仲立ちをするところであるとも言われる。

3 上位無意識あるいは超意識(トランスパーソナルの領域)

高次の直観やインスピレーションの数々、哲学的・科学的あるいは芸術的な特性や創造性、英雄的行動への衝動、利他的な愛などの高次元の感情、天賦の才、観想や啓示、恍惚状態などの源泉である。なお、利他的な愛に関連して、人間の完全な愛には、トランスパーソナルな側面があると言われ、このことは人間の間に限られず、自然界の動植物あらゆる生物も対象になり、宇宙的兄弟愛の意識が強くなると言える。この領域には、トランスパーソナル・セルフの特性や意志などが潜在していると言われ、心にはレベルの低い無意識だけでなく、このような秘められた領域がある事を明らかにし、理論化し、体験し、パーソナリティへ統合していく様々な技法を開発しているところもサイコシンセシスの特徴と言える。

4 意識の領野

厳密とは言い難いものの、私たちが自らの人格の中で直接気づいている部分を表す。感覚やイメージ、思考、感情、欲望、衝動などの絶え間ない流れが含まれるが、観察し、分析し、判断を下すことができる。

5 意識の中心のセルフ(self)あるいは「私」

前出の意識領域における可変的内容(感覚、思考、感情など)とは別個の存在であり、意識の中心やパーソナル・セルフと呼ばれる。アサジオリは、両者の違いをスクリーン上の部分とその部分に映し出される様々な画像との違いに例えることができるとしている。

6 トランスパーソナル・セルフ

アサジオリは、意識の中心のセルフの再現は、その裏に、あるいは上方に存在する永久的な中心、真実のセルフのために起こるではないかという仮定が導かれる事を述べている。そして、トランスパーソナル・セルフの存在を意識的な実感として摑むことのできた例として、リチャード・モーリス・バックの『宇宙意識』やピョートル・ウスペンスキーの『ターシャム・オルガヌム 第三の思考規範』、イーヴリン・アンダーヒルの『神秘主義』などを挙げている。トランスパーソナル・セルフはサイコシンセシスの捉える自己の本質(真の自己、真のアイデンティティ)であり、半分が卵形図形の外の集合無意識、あるいは他者の存在する世界に出ていて、残りの半分が卵形図形の内に位置している。なお、意識の中心のセルフとトランスパーソナル・セルフが点線で繋がっているのは、意識の中心のセルフがトランスパーソナル・セルフを現実のパーソナリティレベルに投影し、現実に表現しうる代行的役割を持つことを示している。このような考えに基づけば、意識的な自己の生滅は、単なる脳の活動の休止ではなく、トランスパーソナル・セルフの投影の断続という事になる。このような意識の中心のセルフとトランスパーソナル・セルフの関係についてはパーソナリティという乗り物と呼ばれる地図がよく表している。

(『サイコシンセシスとは何か』p.85より)
この図は、私達の本質はトランスパーソナル・セルフであり、心・身・知という3つの側面からなるパーソナリティという乗り物に真の自己が乗っているという事を示している。ちなみに、パーソナリティのある部分が発達していないと流れ込んでくるトランスパーソナルなエネルギーがパーソナルな自我を煽動したり増長させたりしてしまう不幸な結果になりかねないと言われ*4、この事はスタニスラフ・グロフの言うスピリチュアル・エマージェンシーにも通じる部分があると思われる。

7 集合無意識

卵形図形の外側は他者とも共有する集合無意識の世界であり、カール・グスタフ・ユングの集合的無意識の考え方とも類似する。しかし、アサジオリは、ユングの定義が不明確である点と、いわゆる人類の過去の集合的無意識と未来の集合的無意識の区別がされていない点を批判している。ちなみに、卵形が実線でなく破線であるのは、個人の心の世界がより広い世界と、区切られて入るものの分離しているのではなく、絶えず、浸透し合っている事を示している。

スターダイアグラム

アサジオリは、自己と意志の関係に気づくことが大切であると言い、心理の諸機能について知る事も大切であると言うが、意識を心理の諸機能の面から捉えたスターダイアグラムという地図を提供している。この地図は、心の中で想像、感情・情動、感覚、衝動・欲求、思考、直観といった色々な心理機能が働き、あるいはお互いの刺激により私たちに影響を与えている事を示している。
(『意識のはたらき』p.55より)


  • 参考文献

最終更新:2023年04月23日 14:22

*1 平松 2011 p.9

*2 アサジョーリ 1965(邦訳 1997)p.8

*3 平松 2011 p.20

*4 アサジョーリ 1965(邦訳 1997)p.59-60