本山博

概説

本山博(もとやま ひろし、1925年12月15日- 2015年9月19日)は、超心理学者、心理学者、宗教家で、国際宗教・超心理学会(IARP)初代会長、宗教心理学研究所初代所長、玉光神社名誉宮司であった。香川県小豆郡(小豆島)出身で、東京文理科大学(現筑波大学)哲学科を卒業、東京文理科大学大学院博士課程修了している。子どもの頃から超常現象を現実に体験していたり霊的なものが見えたりしていたといい、それを比較宗教学、宗教哲学、超心理学、電気生理学など多い領域から解明しようと試みた。そして、幼児より厳しい修行を通して体得した宗教経験の世界を電気生理学的、生物物理学的研究方法により明らかにするとともに、宗教について考察し、宗教心理学研究所、国際宗教・超心理学会(IARP)、カリフォルニア人間科学大学院大学(CIHS)を創設した。当時の日本では、魂や心霊研究があまり受け入れられず学会からも圧をかけられたというが、次第に世界で認められるようになったと言い、1963年の著書『超感覚的なものとその世界―宗教経験の世界』は、ユネスコ哲学部門優良図書に推薦された。

魂の次元

本山博は、スピリチュアルな世界(魂の次元)にも幾つかの階層がある事を指摘しており、アストラル次元、カラーナ次元、プルシャ次元などの次元があるという。また、本山によれば、本来人間はカラーナの特徴をもっているという。
物理的次元、アストラル次元、カラーナ次元、プルシャ次元の各存在と、その各次元間内におけるエネルギー転換(『スピリチュアリティの真実』p.26より)

アストラル次元

アストラル次元の霊体は、我々の身体と似たような感覚があるというが、時間や空間の制約がなく、超感覚や物を形成する思念力が生じるという*1。本山によれば、ロバート・モンロー臨死体験などについて記しているのは、殆どがアストラル・プロジェクションであり、この世とは違う音が聴こえたり、花が咲いたりするのを感じるのは、アストラルの次元だからだという*2。そして、アストラル次元を超えた世界になると、普遍的な知識が生じ、他の霊にも同時に起こるというように、シンクロニシティが起きるという。

カラーナ次元

アストラルの一つ上の次元に当たるカラーナの世界でも霊は身体(霊体)をもっているというが、アストラルの世界では五感と似た超感覚があるのに対し、カラーナ次元にはなく、普遍的な知的直観、知恵や形がエネルギーを生み出すような世界であるという*3。そして、さらに上に昇っていくと、個としての身体がなくなった悟りの世界が開けてくるという。

プルシャ次元

悟った心は霊体をもたず、個人ではなくなり、宇宙も包めるほどの大きさにもなれるといい、坐ったままで2000年前の過去も分かるし、未来の事も予言できるようになるという。*4

ヨガ行法について

ヨガによると、人間は単に物理的次元での身体と心の次元を超えた所に微細心(アストラル)の次元で幽体と心があり、さらにカラーナ(原因身)の次元で原因体と心をもち、各次元の身体や心はそれぞれの機能の中心をもつという。ヨガは聖なる対象や神との合一を目指す行法であるが、そのような存在次元の高まりを繰り返し神との合一も達成し得るという。そして、ヨガ行者によって確証されている超感覚的対象及び超感覚的能力は、ジョゼフ・バンクス・ラインやカール・グスタフ・ユングによる感覚的認識実験によって証明、要請されたものと本質的に同じである事を指摘している。*5
道徳的訓練を日常生活において絶えず行う事によって心の準備をなし、坐禅、呼吸法、精神統一、瞑想をなして宇宙的エネルギーなるプラーナを吸い取り、真我の発現を目指すのが行であると言われる。そして、人間の身体の中にあるプラーナの組織の7つの中心が7つのチャクラであり、下から次第に目覚めるにつれて進展していくようである。そして、腰椎の中に位するマニプラチャクラが目覚める事によって得られる超感覚的なものや超意識は、ラインの言うPK(念力)ESP(超感覚的知覚)やユングの言う集合的無意識の内容と関連付けられるという。

生まれ変わり

本山は、霊的な成長は何回も生まれ変わりながら続くという。そして、本山は、再生説はカルマの因果関係なしに成立しないという*6。人間は、身体的な面でも心の面でも他の存在との相互依存によってのみ生きていけるといわれるが、カルマとは人間がしたある行為が結果を生みその結果が原因となってさらにある結果を生むという因果関係であり、意志による行為が途中で途切れて苦しみを生む事も指摘される。また、存在の大きさによって、個人のカルマ、家のカルマ、土地のカルマ、国のカルマ、民族のカルマ、地球のカルマに分類している。そして、自分の感情や想念への囚われ強いと再生しにくい事も指摘している。

生まれ変わりの実証

生まれ変わりが実証された事例として以下のような話を取り上げている。*7*8
本山は、玉光神社の信者で病気の娘をもつ女性から相談を受けた。その女性の末娘が20歳を過ぎた頃から、恋愛の事で気持ちが不安定になり、日常生活にも支障を来すようになった。本山は瞑想をして、娘の前世を霊視すると、霊視した当時を起点として350年ほど前の中ノ瀬八郎右衛門と名乗る武士が見えた。中ノ瀬八郎右衛門は加藤清正の重臣で関ヶ原の戦いで豊臣方と徳川方との間で苦心した後、徳川の天下になって諏訪の大名に預けられたが、郷士として召された事が分かったという。
そして、その墓は、諏訪の高国寺*9にあり、中ノ瀬八郎右衛門は、本山に相談した女性の弟(娘にとっては叔父)として生まれ変わっている事、娘は八郎右衛門の娘であった事、現在娘の兄として生まれている人は前世で相愛の仲であったが周囲の反対で結婚できずに悲しみのうちに若くしてこの世を去った事が見えてきたという。
そして、本山に相談した女性と娘に諏訪に行って、中ノ瀬八郎右衛門の実在と高国寺の墓石について調査してもらったところ、中ノ瀬家の墓石は子孫の中川家によって高国寺から別の寺に移された事や、高国寺には中ノ瀬八郎右衛門の建てた加藤清正の木像を祀ったお堂がある事が分かった。そして、3、4年かけて調査を続けた結果、諏訪市立図書館で諏訪藩について記録した『藩譜私集』*10を見つけ、そこに中ノ瀬八郎右衛門に娘がいた事、高国寺に墓がある事、加藤清正の忠臣であった事がはっきり記されていた。
『藩譜私集』『諏訪史料叢書 巻23』における中ノ瀬八郎右衛門に関する記述(国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/1244432/1/66、令和6年4月28日閲覧)



クンダリニー覚醒

クンダリニーとは人間が持つ生命の根源的なエネルギーで、覚醒されない状態では脊柱に尾骨の先端の中で眠っているという。それを霊的な修行によって段階的に目覚めさせ、頭の天辺まであげていく事で霊的に成長することが出来るというが、見よう見まねで行うと修行には危険も伴うと言われる。
本山はクンダリニーの覚醒が起き、超能力的なものは何でも可能になったといい、クンダリニーの覚醒者であると同時にその研究者でもある。
覚醒したクンダリニーは脊椎に沿って体内を上昇するが、まずアストラル次元で神の気と合一し身体を抜け、さらに神気が強くなり、下腹部で水蒸気、炎がゆらゆらと動き身体は非常に暑くなるという。そして、神気と合一したクンダリニーのエネルギーだけでなく、霊体の身体が外に出て、アストラル・プロジェクション、カラーナ・プロジェクションが生じ、プルシャ(悟り)の世界に入る前にクンダリニーと神力によって焼き尽くされる。これが完成するとプルシャの境地に達し、全き自由の世界に入る事ができるようである。
また、本山はインドのナディ(ヨガの教義において生命エネルギーが流れていくと言われる多数の経絡)と中国の経絡の類似点に着目した研究を重ねた結果、両者は本質的に同じであるという結論に達した。そして、経絡系の正体は皮膚の表皮の下の真皮層の中にある間質液の流れだと言う。また、身体から発している生体エネルギーの物理データと生理データをマルチチャンネルで同時に測定するチャクラマシーンでヨガ行者や超能力者などを測定してみると普通の人より強い光が出ていたという。

(以下、管理者の見解)
本山博の言う魂の次元(アストラル次元、カラーナ次元、プルシャ次元)は、ヒューストン・スミスの言うリアリティの諸レベルやケン・ウィルバーの言う意識のスペクトラムにも重なる部分があると考えられる。具体的には、アストラル次元は、スミスの言う(微細領域、アニミック、あるいはサイキック領域)やウィルバーの言う微細(subtle)に対応しており、カラーナ次元はスミスの言う天上界やウィルバーの言う元因(casual)にそれぞれ対応していると見る事ができる。
また、生まれ変わりの研究についても、イアン・スティーヴンソンジム・タッカーらが明らかにした生まれ変わり事例の存在は、生まれ変わりという解釈で理解する事が妥当だという事例が存在することを示している一方で、脳を超えて意識(記憶)が引き継がれる過程やカルマの作用など不明な点も多く残しているため、そのような点について考察する上で、カルマの必然の法則から再生のメカニズムを考察している本山の研究がヒントを与えてくれる可能性があると言える。例えば、スティーヴンソンやタッカーの研究では、なぜ一部の人間にだけ前世の記憶が残り、他の圧倒的多数の人間にはそれらしき記憶が残らないのかについても疑問があるが、本山は、生まれ変わった時に前生の記憶があるのは、たいていは前生で自分自身が非常に深い印象を受けたからであると言い、真面目で普通の人生を送った人の記憶には、前生の事は出てこないのが普通であるとしている*11。この事は、スティーヴンソンの研究した事例に悲劇的出来事によって人生に突然終止符が打たれてしまった人物の記憶を残しているケースが多い事の説明になっているかもしれない。また、笠原敏雄は生まれ変わり事例における傷痕や痣は、生まれ変わろうとする「霊」や母親が胎児にPKを作用させた結果であるとする可能性を指摘しているが、本山は死んだ後、次の再生を決める原因となる前生の行為の果は死後も存続するアストラル体やカラーナ体のPSIエネルギーの中枢であるチャクラに強力なPSIエネルギー・パターンとして蓄えられるとしており、そのチャクラの性格機能に応じた体質、性格をもつ身体を形成するという。いずれにしても、他の生まれ変わり研究との関連から、カルマの作用をどのように捉えるかとった事も今後さらに究明されねばならない問題だと言える。

  • 参考文献
本山博『カルマと再生』宗教心理出版 1987年
本山博『超感覚的なものとその世界 宗教経験の世界』宗教心理出版 1990年
本山博『気・瞑想・ヨーガの健康学』名著刊行会 1994年
本山博『神秘体験の種々相 自己実現の道』宗教心理出版 1995年
本山博『神秘体験の種々相Ⅱ 純粋精神・神との出会い』宗教心理出版 1999年
本山博『スピリチュアリティの真実』PHP研究所 2008年
本山博/渡部昇一『霊の研究 人生の探究』致知出版 2007年
梶尾直樹/本山一博編『人間に魂はあるか? 本山博の学問と実践』国書刊行会 2013年
立花隆『臨死体験 上』文藝春秋 1994年
諏訪史料叢書刊行会編『諏訪史料叢書 巻23』諏訪史料叢書刊行会 1935年
最終更新:2024年04月28日 23:48

*1 本山 2008 p.26

*2 本山 2008 p.54

*3 本山 2008 p.34

*4 本山 2008 p.35

*5 本山 1990 p.16

*6 本山 1987 p.12

*7 本山 1987 p.5-9

*8 本山 2008 p.93-96

*9 管理者が調べたところ、長野県諏訪市諏訪2丁目16-24の日蓮宗寺院である宣妙山高国寺であると断定される。

*10 『藩譜私集』については管理者も国立国会図書館デジタルコレクションで確認している。

*11 本山 2008 p.121