概説
エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)は、スウェーデン王国ストックホルム出身の科学者・神学者・思想家。当時のヨーロッパ有数の学者として知られ、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などにも精通していたと言われる。父イェスペル・スヴェードベリは、宮廷専属のルター派の牧師で、母サラ・ベームは裕福な鉱山所有者の娘であった。スウェーデンボリは、父の職業を選ばず先祖が携わっていただろう鉱山技師となった。仕事に関わる鉱物界の包括的な研究成果を公表した後、研究目標を植物、動物、人体の有機的組織などに転じたが、人体そのものが最終的な目標ではなく、「霊魂(アニマ)」の所在と働きを突き止めることをこそ熱望していた(霊魂と言えば極めて漠然とした神秘的な概念で、スウェーデンボリが探究した「霊魂」も必ずしも明確なものではない)。
ちなみに、スウェーデンボリは、ジョン・ウェスレーというある教会の牧師に送った手紙に「また私は一七七二年(来年)三月二九日に、この世を捨て本当に霊界の霊となることに前々から決まっているので、このことも併せてお知らせしておくことにする」と書き、命日を予言し著作の中でも死後において、その正しさが証明されるであろうと書いている。
神学・神秘主義思想
1745年、霊的体験が始まり、以後神秘主義的な重要な著作物を当初匿名で、続いて本名で多量に出版した。最初の神学著作である
『天界の秘義』(Arcana Coelestia)は、八巻から成る大著(邦訳書は柳瀬芳意訳、静思社、全二八巻)で、1749年から1756年にかけてロンドンで出版された。スウェーデンボリは霊的感覚が開かれて以来、霊が語りかけてくるなどといった体験が何度も繰り返され、それによって、彼にとって「霊魂」は単なる推理の帰結でも抽象的なものでもなくなり、心の奥深い領域で現実に見、かつ交わる対象として、「霊」として立ち現れる実体となった。スウェーデンボリは、霊の心身と地上の人間の心身のような霊的なものと自然的なものは
「不連続な階層」または
「照応」によって繋がっていると見ている。
スウェーデンボリの考えた人間と霊の階層構造(『スウェーデンボルグの思想』p.97より)。
霊能力
『天界の秘義』の出版直後、スウェーデンボリは第七次外国旅行に発ち、ロンドンへ行き、1759年に帰国しているが、この帰国の途次に千里眼として後世に語り継がれる事件が起こった。イギリスから帆船に乗って、スウェーデン西海岸の都市イェーテボリに到着し、夕食会に招かれた際、驚愕の表情をあらわにしながら一同に向かってストックホルムのゼーデルマルム地区で火災が発生したことを告げたという。そして、友人に「あなたの家は灰になった。私の家も危険だ」「火は私の家から三軒目で消えた」などと言った。火事の二日後、通商局の使者がストックホルムからイェーテボリに到着したが、この使者の火災報告とスウェーデンボリの語った内容は一致していた。
また、スウェーデン駐在のマルトヴィーユ夫人は、ある金属細工師の家族から納品済みの銀製食器の未払い分の支払いを求められたが、夫の生存中に既に支払い済みであることを確信していた。しかし、残された書類から証拠を見出せず、スウェーデンボリに死人との交渉によって支払いの事情を知らせてほしいと依頼した。そして、スウェーデンボリは数日後夫人の家に赴き求められた情報を集めたと述べ、夫人の考えではすっかりからっぽになっているはずの戸棚を示し、その中に必要な領収書が入っていることを報告した。この報告に基づいて、調査が行われたところ、オランダ国政府の機密文書の他に全ての債務が完済されていることを示す証拠書類が見つかった。
これらの出来事に深い関心を抱いた哲学者のイマヌエル・カントは
『視霊者の夢』の中で彼について多数の批判を試みていて、
『天界の秘義』に対して、「かくして彼の大著述のなかには、もはや一滴の理性も見当たらない。それにもかかわらず、彼の著作には、理性的な慎重な吟味が似たような対象について行なった結果との不思議な一致がみられる。そこで、わたしが、多くの他の蒐集家が自然のたわむれのなかでめぐりあうような奇妙なものを彼の想像のなかで見出したとしても読者の皆さんはお許しくださるであろう。」と述べていて、両面価値的な態度を見せている。
また、20世紀の深層心理学者カール・グスタフ・ユングは自身の
シンクロニシティの理論の例証として、ストックホルム大火災を引き合いに出し、この千里眼の説明を試みている。
臨死体験との関わり
スウェーデンボリによる霊界の描写の少なくとも一部については、見方によっては現代人に起こる
臨死体験と共通点が多いと言え、文化女子大学名誉教授の高橋和夫はスウェーデンボリの神学著作群に見られる体験と現代の
臨死体験との類似点を指摘している。。
『天界と地獄』の中では、人間は死後、天界か地獄のどちらかに入る前に、
第一の状態、
第二の状態、
第三の状態を通過することを指摘している。また、死や死後の世界について、自然界から
精霊界、そして
霊界へ移ってゆくこと、霊的な天使による導き、この世の肉体に似た身体を持つことや生前に交際のあった人びととの再会なども指摘している。スウェーデンボリは、人間は霊となると生前にもっていた肉体の内にいるとしか言わないし、自分たちが死んだということさえ知らないという。さらに、死後は特に視覚と聴覚が鋭敏になると言い、天界にいる天使たちは、この世にいた時よりもいちだんと洗練された感覚を持ち、はるかに正確に見たり聞いたりし、もっと賢明に考えるという。この辺りについては、
臨死体験における知覚の鋭敏化に通じてくる。
また、スウェーデンボリは天界と地獄を場所ではなく生命の「状態」なのだと考えているが、この辺りも地獄というのは、ある特定の次元でもあるが、基本的には、心の状態であると述べている
臨死体験者がいることと重なると言える。
スウェーデンボリは1744年に死後生存に関連すると思われる夢を見ており『夢日記』に記しているが、その後、1748年3月1日から2日にかけて起こった
臨死体験の克明な記録を『霊会日記』に次のように残している。
今朝、私は臨死の状態に入れられた。それは、死につつある人々の状態や、死後に起こることを知るためだった。私は実際に死んでしまったのではなかったが、肉体の感覚が一種の無感覚の状態に陥った。内的な生命は完全なままだったので、私は臨死の人々に起こることを認知し記憶に留めることができた。
そして、スウェーデンボリについては、
レイモンド・ムーディやケネス・リングといった臨死体験研究の先駆者によって、現代の
臨死体験が発見したものを先取りしているとみなされているだけではなく、死者との交流、霊との交流などを通して
臨死体験の彼方に広がる世界も描写していると言えるかもしれない。
死後も存続する生前の記憶
霊界においても幼少期から生涯の最後の瞬間までにこの世で見、聞き、読み、学び、考えた全ての記憶を保持していると言われる。これらは
臨死体験における人生回顧の報告と共通している。スウェーデンボリは、死後も存続する生前の記憶について以下のように述べている。
人間は世を去るとき、すべての記憶を保持している。これについては多くの事実によって私に示されている。私の見聞した多くのことは述べる価値があるので、そのいくつかを順を追って述べてみよう。
この世で犯した罪や悪事を否認した人びとがいた。そのため、彼らが無実だとほかの人びとに信じられないように、彼らの一切の所業が記憶から次々と明るみに出され調べられた。それは彼らのごく幼いころから晩年にまで及んでおり、おもに姦淫と密通であった。
悪だくみによって他人をあざむき、窃盗をした人びとがいた。彼らの詐欺と窃盗が一つ一つ数えあげられたが、その多くはこの世では本人のほかは誰も知らないものであった。これらの所業は、彼らの心をそのときに占めていたあらゆる思考、意図、快楽、恐れとともに白日のもとにさらけ出された。それで彼らは自分の所業を認めたのである。
賄賂を取って不公正な判決を下した人びとがいた。同じように彼らの記憶が調べられ、在職の初めから終わりまでに行なったあらゆることが精査された。その回数、種類、時期についてだけでなく、彼らの心理状態や意図についてまでも、彼らはその詳細をことごとく思い出した。またその詳細は眼前に示されたが、何百という数に達したのである。驚くべきことには、ある場合には、これらのことを記録してあった彼らのメモ帳が開かれ、本人の眼前で一ページごとに読まれたのだ。
また、スウェーデンボリは自然的な人間に属する外的な記憶と、霊的な人間に属する内的な記憶を持つ事を指摘している。そして人間が考え、意図し、語り、行ない、さらには見、聞きしたどんなこまごまとしたことでさえ、その内的な霊的な記憶に刻み込まれ、その中にあるものは決して抹消されない。
外的な、または自然的な記憶は死後、人間の許に留まるが、その中のたんに自然的なものは他生では再生しない。照応によって自然的なものと結びついている霊的なものだけが再生する。しかしこれが視覚に示されるときは、自然界で取ったのと正確に同じ形態で現れる。なぜなら諸天界で見られる一切のものは、本質的に自然的なものでなく霊的なものではあるが、この世にあるもののように見えるからである。しかし外的な、または自然的な記憶は、物質的なもの、時間・空間、また他の自然に固有な性質に由来する部分については、それがこの世で役立ったようには霊に役立たない。
最終更新:2025年08月04日 09:50