旧約聖書の中でたびたび言及されるカナン人の神々への信仰である。ウガリット神話と呼ばれる。
重要な神は、父エル、母アシェラ、息子バアルと妻アシュトレトである。
ウガリット神話
ウガリット神話、は1928年にラス・シャムラから発見された粘土板文書に記されていた神話群を基礎とした神話・伝承。聖書で言及されるカナン人(フェニキア人)の信仰の一端を表すものであり、同地に存在した古代都市ウガリットの名を冠して「ウガリット文書」(または「ラス・シャムラ文書」)と呼ばれる。ウガリット文書は破損が多く、全体の統一性にも欠いているが、基本は「バアルとアナト」という豊穣神バアルが王権を獲得する顛末を描く神話で、物語の中ではカナンにおける祭儀形態や荒れ狂う混沌の勢力(海)との戦い、植物や季節の成長・循環のサイクルに擬せられたバアルの栄枯盛衰の姿などが描かれている。
文書にはバアルの物語の他、彼の配偶神アナトへの生贄を伴う祭儀や聖婚儀礼の描写がある。
- エル:実権を持たない主神。名はセム語系における「神」を意味する。
- アシェラト:エルの配偶神、豊穣の女神。
- アスタルテ:エルの娘または配偶神。
- バアル:若き豊穣神。名はセム語系における「主」を意味する。
- アナト:バアルの配偶神。
- ダゴン:バアルの父で、最高神エルに次ぐ第二位の神。
- モト:死と旱魃の神。
- ヤム:水と海の神。
エル(El)
神々の父で、もろもろの川の源、大洋に君臨する大神。世界の創造者であり、強さと創造力を表わす「牡牛」で象徴される。すでに引退していて、彼の世界支配権は、三人の息子により分割掌握されている。すなわち、バアルが天、モトが冥府、ヤムが海のそれぞれの支配者である。
ダゴン(Dagon)
古代パレスチナにおいてペリシテ人が信奉していた神。名前の由来はヘブライ語のダーグ(魚)とアオン(偶像)ともダーガーン(穀物)ともいわれる。父親はエル。伝承によってはバアルの父とされる。
アシェラ(Asherah)
元々シュメールにおいては天界の王アンの子マルトゥ(アムル)の配偶者であり、高位の神格とされていた。
ウガリット神話のアーシラト
ウガリットにおいては最高神エルの妻であり、全ての神々の母とされる。アーシラトとは 海を行く貴婦人(rbt aṯrt ym [rabbatu ’āṯiratu yamma])の略称で、神話には実際に彼女が海辺に暮らしている事が語られている。
別の呼称として 神々の生みの親(qnyt ilm [qāniyatu ’ilīma] 直訳すると『神々の創造神』)がある。またイラト(ilt [’ilatu])とも呼ばれるが、これは本来「イル」の女性形で、普通名詞としては「女神」の意味。しかし、女神の中の女神としてのアーシラトを指す言葉として、固有名詞的に用いられる。また、このイラトという名はアラビアの女神アッラートの名と語源を同じくする。
動物たちの間に立つ「生命の樹」の位置に表わされている女神であり、動物たちは生命維持のためにアシェラに依存していると考えられていた
旧約聖書のアシェラ
旧約聖書にも異教の偶像神として登場し、ヘブライ語形アシェラ(אֲשֵׁרָה [’Ă šērāh])の名で現れる。カナンでは豊穣の女神として崇められた。ヘブライ人たちは当初この女神を敵視したが(
出エジプト記第34章第13節)、カナンの地に入植すると自らも崇め始め(
士師記第3章第7節ほか)、聖なる高台と呼ばれるカナン式の礼拝所で祀った。
バアル(Baal)
バアル(בעל)は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」、または「主人」、「地主」、「所有者」を意味する。つまり、本来は神の名を指す固有名詞ではなく、むしろ、神の真実の名を隠すための総称的呼び名に過ぎない。バールや、バビロニア式発音のベール、およびベルとも表記される。
穀物神ダゴンの、またはウガリット人の主神エルの息子。
バアルは旧約聖書の著者達からたびたび批判されており、「
列王記」上18章のほか、「
民数記」25章、「士師記」6章、「
ホセア書」2章などにバアルへの言及がある。
古くからシュメールで信仰されていたと思しき神性が後にメソポタミアの支配者となったセム語系民族(※アッカド→アモリ=バビロニア→アッシリア)の信仰に組み込まれていったと考えられている
ウガリット神話のバアル
ウガリット神話では最高神イルの息子と呼ばれる。またダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる。勝利の女神アナトの兄にして夫。聖書などではアスタルトを妻とする解釈もある。
彫像などでは、棍棒と槍(稲妻の象徴)とを握る戦士の姿で表される。古代オリエント世界では一般的に嵐の神とみなされていたが、乾燥している地域では農業に携わる人々から豊穣神として崇められた。
海神ヤム(ヤム・ナハル)や死の神モートは兄弟でありながら敵対者である。ヤムとの戦いは彼が荒々しい自然界の水を征する利水・治水の神であることを象徴し、モートとの戦いは彼が慈雨によって実りをもたらし、命を養う糧を与える神であることを象徴する。
バアルと同一視されるシリアの天候神ハダドやエジプトの嵐の神セトなど
メソポタミア北部からシリア、パレスチナにかけて信仰されていた天候神アダドは、ウガリットではバアルと同一視されていた。アダドはシリアではハダド、カナンではハッドゥと呼ばれ、バアルとハダドはたびたび関連づけられていた。
バアルは本来、カナン人の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書の「列王記」上などにもその名がある。また、ヒクソスによるエジプト第15王朝・エジプト第16王朝では
エジプト神話にも取り入れられ同じ嵐の神のセトと同一視された。フェニキアやその植民地カルタゴの最高神バアル・ハンモンをモレクと結びつける説もある。さらにギリシアでもバアル(古代ギリシア語: Βάαλ)の名で崇められた。足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い。
旧約聖書のバアル
「列王記」上18章では、預言者エリヤがバアルの預言者と雨乞いの儀式をもって争い、勝利したことが書かれている。もともと「バアル・ゼブル」(崇高なるバアル)と呼ばれていたのを「バアル・ゼブブ」(蝿のバアル)と呼んで嘲笑した。
「士師記」にも記述が見られ、バアルの祭壇を破壊した士師ギデオンはエルバアル(バアルは自ら争う)と呼ばれた。
新約聖書のバアル
また、人身供犠を求める偶像神として否定的に描かれ、
アブラハムの宗教に対する「異教の男神」一般を広く指す普通名詞としてバアルの名が使われる場合もある。
アシュトレト(Ashtoreth)
地中海世界各地で広く崇められたセム系の豊穣多産の女神。崇拝地はビュブロス(Byblos、現在のレバノン)などが知られる。 メソポタミア神話のイナンナ、イシュタル、ギリシア神話のアプロディーテーなどと起源を同じくする女神と考えられ、また周辺地域のさまざまな女神と習合している。
旧約聖書のアシュトレト
この女神はカナンなどでも崇められており、旧約聖書にも、主要な異教の神としてヘブライ語形 アシュトレト (עַשְׁתֹּרֶת)の名でしばしば登場する。なお、アシュトレトの複数形アシュタロト (עַשְׁתָּרוֹת)(Ashtaroth)はまた、異教の女神を指す普通名詞として用いられたので、注意が必要である。
最終更新:2018年01月05日 21:03