フレデリック・マイヤース

概説

フレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース(Frederick William Henry Myers, 1843年2月6日 - 1901年1月17日)は、英国(旧カンバ―ランド〈現カンブリア〉出身)の古典文学者、詩人、心霊研究の開拓者である。初期の深層心理学研究者であり、ウィリアム・ジェームズやカール・グスタフ・ユング、南方熊楠らにも影響を与えたと言われている。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学し、倫理学教授であったヘンリー・シジウィックの指導を受けた。1882年、マイヤースは、師であるヘンリー・シジウィック、バルフォア宣言で知られるアーサー・バルフォア、物理学者ウィリアム・フレッシャー・バレット等と共にSPR(Society for Psychical Research:心霊研究協会)を創立した。精力的に心霊研究を行い、全2巻からなる大著“Human Personality and Its Survival of Bodily Death”(死後刊行)は、彼の心霊研究の集大成であると共に、心霊主義の契機となったハイズヴィル事件以降の心霊現象全体を統一的に俯瞰する内容であり、「潜在意識」「天才における潜在意識の奔出」「催眠現象」「自動現象」という四つの主題から成っている。

恋人の死

母方の従兄弟で富豪マーシャル家のウォルター・マーシャルの妻であったアニー・イライザに悩みを打ち明けられて恋愛関係になったが、1876年にアニーがウルズウォーター湖に投身自殺をしたことを契機にして、マイヤースは心霊主義を本格的に研究するようになった*1。フランスの霊媒を通して、アニーからのメッセージを受け取ったこともあったが、次第に交霊会よりも心霊現象そのものに関する思索を深めていった。

閾下自我

マイヤースは、意識にも通常は認識されていない部分(識閾下の部分)であるが存在するとし、通常認識されている部分は厖大な意識の一部に過ぎないと考えた。通常は認識されていない部分(識閾下の部分)の存在について、赤外線や紫外線のような人間には認識できない不可視光線が存在することに喩えている*2。そして、閾下自我(英: subliminal self)について“Human Personality and Its Survival of Bodily Death”の序章で以下のように説明している(訳は管理者)。

意識の閾値(閾、境界)という概念、つまり感覚や思考が意識生活に入り込むためには、あるレベルを超えなければならないという概念は、単純で馴染み深いものである。「閾値下」を意味する「サブリミナル」という言葉は、個々に認識するにはあまりにも微弱な感覚を定義するために既に使われてきた。私はこの用語の意味を拡大し、通常の閾値の下、あるいは良ければ意識の通常の境界の外で起こるすべてのことを包含するようにしようと提案したい。…(中略)…(本書が示そうとするように)これらの潜在する思考や感情が、私たちが意識的な生活に結びつける特徴をもっていることを認識するにつれ、私は意識下の意識、あるいは超境界意識について語らざるを得ないと感じる。それは、例えば、顕在意識が作り出せるのと同じくらい複雑で一貫性のある文章を発したり書いたりする意識である。さらに、閾値の下や境界を超えた意識的な生活は、不連続でも断続的でもなく、これらの孤立した意識下の意識の過程が孤立した顕在意識の過程と同等であるだけでなく(夢の中で未知の手順で問題が解決される場合など)、連続した意識下の記憶の連鎖(または複数の連鎖)も存在し、その連鎖には、古い印象の個別的で持続的な再生と、新たな印象に対する反応が含まれている。こうした働きは、私たちが通常「自己」と呼ぶものと非常に似ている。従って、私は便宜的に閾下の自我たち(subliminal Selves)、あるいはもっと単純に「閾下自我(a subliminal Self)」と呼んで差し支えないと気付く。*3

人間の識閾上の部分でのコミュニケーション(知的・意識的交渉)が存在するのと同じように、識閾下の部分(無意識)でのコミュニケーションが存在するに違いないと考え、テレパシーはそこに関わってくるのではないかと推測した。「超常(supernormal)」「テレパシー(telepathy)」等の用語もマイヤースが創案したものである。

死後と霊界通信

死後、ジェラルディーン・カミンズというアイルランド生まれのアマチュアの自動書記霊媒(表面意識の減衰状態下において、何者かの支配を受け、自己の全くあずかり知らない事柄を書記する人)を通じて霊界から通信を送ってきたとされている。カミンズ本人には全く心霊学の知識がなかったらしく、カミンズにより書記された“The Road to Immortality”(邦題:『永遠の大道』浅野和三郎訳解、『不滅への道』梅原伸太郎訳)について、マイヤースの友人でありSPRの会長でもあった物理学者オリバー・ロッジが検討した結果、それが多くの点でマイヤースからのものである特徴を備えていると判定した。書記が現れるスピードについても通常のカミンズの原稿作成能力を大きく上回っているという。また、しばしば英語という言語に不満を唱え、地上を超えた世界を表現するのにふさわしい言葉がないことに不満を示したようである。高次世界の構造を示した“The Road to Immortality”の第一章において、宇宙を簡潔に定義する必要がある事が述べられ、作業仮説として以下のように記されている。

影の世界と実体の世界がある。
物質と魂(soul)と霊(spirit)とがある。
顕現するものとその源泉とがある。
神はすべての統一原理である。
物質は無限に微細な実体に分割できる。
部分は霊の世界で再統一される。*4

また、マイヤースは生前唱えていた説として、意識には、内在意識と顕在意識の2つの形態があるとされたが、帰幽後、純粋な意味での顕在意識はどこにも存在しない事に気付いたとしている。顕在意識や通常意識とは、精巧極まる神経記憶と、その神経記憶の支配下にある肉体的欲望、そして内在意識からの反射から成っているのだという。*5

霊界通信に見られる遍歴する魂の旅程

“The Road to Immortality”の中では、遍歴する魂の旅程表とも言うべきものについて以下のようにまとめている。*6

物質界(the Plane of Mater)

肉体といういわゆる物質の形態上で経験する全てを含む。地上での生活に限定されるものではなく、無数の星界には似たような性質の経験世界が存在する。

冥界、ないし中間境(Hades or the Intermediate State)

各界での経験の新しい始まりごとに、存在し、魂は自己の過去の経験を振り返り、新しい選択に直面し、意識の階梯を上に登るか下に降りるかを決定する。

幻想界(the Plane of Illusion)

各自が物質界で過ごした生活と関連のある夢の期間である。

色彩界(the Plane of Colour)

この世界での存在は感覚に縛られず、直接に精神の統制を受ける。依然として形のある存在であるから、物質界と言っても良いが、この場合の物質とはとても精妙なもので、物質の精気と呼ぶべきものかもしれない。

火焔界(the Plane of Flame)

魂は永遠の絨毯の中に自己の本霊(spirit)が織りなしつつある図柄に気付き、同じ霊の中に養われている同類の魂達の感情生活を知悉する。

光明界(the Plane of Light)

魂の同じ類魂(group-soul)内の前生に当たる全ての魂達について知的に把握する。さらには、世界魂ないし地球魂(the world or earth soul)がその身体のうちで経験するすべての感情生活に通暁する。

彼岸、または無窮(Out Yonder, Timelessness)

全世界、存在のあらゆる状態、過去・現在・未来等々の全ての発端はそもそもここにあるのである。ここにこそ生成持続する完全なる意識、つまり真の実在があると言える。
梅原伸太郎が作成した魂の旅の旅程表(『不滅への道』より)

霊魂はグループに属し、人生経験を共有し霊的進化の道を進むというような考えが唱えられている。類魂の考えは、それまでの神秘学説には見られず独自性をもっており再生の問題とも関わる重要な問題を提示している。前生は魂がこの世に生を受ける以前に送った同じ類魂のある魂の一生であるという点で、自分の一生であってまた自分の一生ではないといい、また、前生からのカルマと言うものも、はるか以前に地上に出て自分の人生の型を作って残したある魂のものだという。*7

霊界通信に見られる記憶に対する態度

(以下、管理者の見解)
“The Road to Immortality”の中では、厖大な数に上る新たな死者たちが冥府(冥界、ないし中間境)でどのような状態を過ごすかということについて、以下のように述べられている。

この影の世界に滞留する期間はその人の性情によって様々である。血縁や霊縁の人びとの幻を見てそれとの交歓を果たした後、魂はヴェールに包まれた半意識ともいうべき静けさのうちに憩い、断片的に現れる過ぎ来し生涯の出来事に眺め入る。この思い出にはもはや恐怖の色あいも感情の染みこんだ跡もない。移り変わる光景を、ちょうどまどろんだ人が、夏の陽ざかりのキラキラ光る明るい景色を眺めるように見入るのである。そして上方から現れる本霊の光の助けを借りて、まるで第三者のように、そこに登場する人や自分について判定するのである。*8

このような描写は今日の臨死体験及びその中での人生回顧の報告事例と明らかに類似していると言える。また、物質的身体をもたなくなったものの外的象徴の一つとして、複体ないし統一体(the double or unifying body)なるものを挙げているが、それらは脳が記憶するのと同じように魂の一生に起こった事柄と経験を記録するのだという。*9

また、死後の生命は似た者同士が集まって生活している一方で、それよりも深いところに、深層自我(deeper self)ないし世界自我(the self of the world)なるものがあり、そこに過去、現在、未来の全ての記憶が包摂されているという*10。未来に関する記憶は、〈宇宙の制作者〉によってたった一度考えられたのみなので、不可視で無限の実体の上にはまだそう深く刻印されていないという。ここで言われる大記憶の考えもまた、神智学において、世界で起こったあらゆることが記録されている、全宇宙の歴史が時間の流れにしたがって配列されてとされるアカシックレコードのようなものだと言え、今日の一部の臨死体験者がアクセスしたと言う全ての情報の集約にも通じてくる。

  • 参考文献
Myers, Frederic W. H., Human Personality and Its Survival of Bodily Death, 1903

浅野和三郎訳解『永遠の大道』心霊科学研究会出版部 1938年
浅野和三郎編『心霊文庫第十篇 個人的存在の彼方』心霊科学研究会出版部 1938年
ジェラルディーン・カミンズ『不滅への道』梅原伸太郎 訳 春秋社 2000年
吉村正和『心霊の文化史 スピリチュアルな英国近代』河出書房新社 2010年
津城寛文「マイヤーズ問題―スピリチュアリズムと心霊研究の間で―」『駒澤大学佛教学部論集』第38号 駒澤大学仏教学部研究室 2007年
  • 参考サイト
最終更新:2025年09月30日 23:38

*1 吉田 2010 p.162

*2 Myers 1903 p.18-19

*3 Myers 1903 p.14-15

*4 カミンズ 1932(邦訳 2000)p.32

*5 カミンズ 1932(邦訳 2000)p.134

*6 カミンズ 1932(邦訳 2000)p.35-37

*7 カミンズ 1932(邦訳 2000)p.72-73

*8 カミンズ 1932(邦訳 2000)p.98

*9 カミンズ 1932(邦訳 2000)p.100

*10 カミンズ 1932(邦訳 2000)p.126