エステルの想い by黒トド





「ただいま〜♪」

エステルは宮里屋敷の扉を開けて、雌鹿のような足で軽やかに玄関を上った。
宮里の屋敷は離れは洋風だが本屋敷は昔ながらの書院造りで、背の高いエステルの羽根付き帽子が欄間に引っかかりそうになる。

 フレイヤは今日はまだ母上による礼儀作法の授業にかかりきりらしい。最近は貴婦人の所作についての講習が続いている。母上はフレイヤにフレンチメイドの所作だと伝えているけど。
左門は今日はちゃんと巡回班の仕事にでている。
一昨日母上に優しく注意されたのが効いたのかな。とエステルはあの一件を思い出したかのように微笑んだ。

 少し時間がある。
今のうちに雑事を片付けてしまおう。

エステルは庭が眺める書斎の一つに静かに入り、机の上にタブレットを置いて、ARプロジェクターを見ながら書類仕事を始めた。
未だ学園では禁止されている故郷のレオニダスブランドのチョコレートを一つ齧りながら。

 学園外の投資の確認、コロナで未だ混乱している故郷の情勢、フレイヤがまとめてくれたクラス代表会議の議事、左門が出会った悪党との遭遇録、露子の月光洞農場の自慢メールetc。

 思えば、随分と友人たち(こういうと愛しいフレイヤは悲しむ。全く欲張りさんなのだ)
に自分の仕事を手伝ってもらっている。島に来るまでは考えられなかったことだ。

 そう今までにはなかったことなのだ。

 思うに自分が故郷で遠ざけられていると感じたのは小学校でのことだった。

 優しい母と快活な父。二人と家の使用人に囲まれていた幼年期には気にしていなかったのだが、エステルの地毛は茶色である。

 幼い頃日本にいた時も父方の祖父母が急死してベルギーの地に戻った時も周りと自分が違うことに気づいてはいたが、エステルは気にしていなかった。違いに否応にも気づくことになったのはベルギーでの初等学校時代だったのだ。

 子どもというものは得てして残酷である。
もちろん父母の目があるところではエステルに悪口を言いのける者はいない。
しかし陰口が態度が周りから見えないところで茶髪の少女を取り囲んだのだ。

 自分は彼方でも此方でも、優しく扱われるけど遠ざけられていたな。
彼女は思い返すようにチョコレートを唇の中に放り込んだ。

 自分はその時一度だけ母に悩みを打ち開けたことがある。
結果として何があったのか、そのいじめっ子の家族は忽然と消えた。
その時エステルはいじめっ子の家族のためにも自分が耐えよう。そう誓ったのだ。

 とにかく自分が立派に誰にも誹りを受けず気高く生きれば、きっとみんなが認めてくれる。
そう思ってただ中等学校までを過ごした。
結果としてなかなかの成績と家庭教師に褒められるぐらいの礼儀作法を身につけた。
父の真似をしてフェンシングも地元の大会で優勝できるようになった。

 どこかから聞こえる陰口は止まらなかったけれども。
 しかしエステルはなるべく明るく振る舞った。
女子生徒の輪に入りづらかったので、敢えて男装を気取って見たりした。
結果として、見目のいい名門の少女が男装で過ごしているとマスコミで噂になり、一時は現地のメディアと交流を行った。
尊重してくれる大人との関わりはホッとできるものだった。例えそれが仕事上のものだったとしても。

 そんなある日、父から母との馴れ初めになった高校時代の留学の話を聞く。
恐らくはかなり盛っているのだろう武勇譚。母への出会いの惚気話。
でもエステルは父にもそんな躍動した青春があったのだと初めて嫉妬した。

 母に二度目のお願いをした。

「父上と母上が出会った蓬莱学園というところで自分も高校生活がしてみたい」

 父母からは拍子抜けするほど簡単に許可が降りた。
考えてみると父も母も自分の心からの願いを認めなかったことは無かったのだ。

 時々母が戻っていた宇津帆島の母方の実家の屋敷に逗留することになった。
母上も久々に屋敷に戻るという。

 旅立ちの日の前夜、エステルは父の自室に呼ばれた。
初めて入る父の書斎。
父はエステルに優しげに話した。

 「貴方がこの地で友が出来なかった。それを父としては気にしている。思えば自分もあの学園に行くまでは孤独であったが生涯の友を、そして愛する妻を見出すことができた。エステルよ、少なくとも貴方は友を見出す機会を得るべきだ。しがらみの多い此方では得られない学びを得られますように。そう祈っているよ」

 父は学園で使っていた物だと一振りのフルーレを差し出した(これを学園にまで持っていくのに母上と一苦労したのだが別な話だ)

 思えばこの時がちゃんと多忙な父と話した最初の機会だったのかもしれない。

 そして1年が経過した。

 銃士隊との出会い。
フレイヤの加入、左門との冒険。
露子との楽しいトラブル。
学園は騒がしく、故郷では経験しなかった数々の驚きに出会った。

 昔と違いた人を信用して任せる。
人に甘えるということを覚えた。
時にやり過ぎて友に呆れられることもあろうけど、そんな遣り取りが心地よい。

 きっと、銃士隊のモットーである「みんなは1人のために、1人はみんなのために!」を忘れなければ、これから先の学園でも、そして卒業してからでも立ち向かえそうな気がする。
それが自分にとっての両親からの巣立ちの時なのだろう。

 弾む足どりで離れの部屋から居間へ向かう。
左門がフレイヤがそこにいる。

「おっ旦さん、今日はなんかいいことあったのか?」
「エステル。聞いてください、左門が何もしないでごろごろと!!」

 2人の賑やかな声が聞こえる。

 今日も頑張ろう!

「実はね……」

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最終更新:2022年10月19日 00:27