手帳より愛をこめて





チアリーディング部の手伝いを終え、寮への帰途につく途中で、金髪の女生徒、レティシアは一冊の黒い手帳が落ちているのを見つけた。

「なんだろう、落とし物?」

その手帳は、レティシアが近づくと、ひとりでに開かれる。
開かれたページから黒くドロドロとしたものが絶え間なく外へ、外へと噴出してきたのだ。

「よよよ? これは一体何が起きているんだろう?」

レティシアの眼前で起こる不思議な出来事に、彼女は戸惑いを隠せない。

そして、黒い液体はやがて凝固し、ゆっくりと人の形を取り始めた。

後ずさりをするレティシア。
テケリ・リ……と異音を発する液体。

人の形をしたそれは、そして遂に人間、以前見た黒髪の少女へと変貌する。
少女は落ちている手帳を手にし、ゆっくりと辺りを見回す。
数秒前、黒い孔だったソレは、今は輝きを持つ瞳へと変化していた。

レティシアは、眼前で起きたことへの恐怖から、後ずさってその場を離れようとしたが、運悪く音を立ててしまう。

「そこに居るのは誰だ?」

わずか十数秒前まで黒い液体でしかなかった、今は黒髪の少女が誰何の声を発する。

息を飲むレティシア。とっさに悲鳴を飲み込む。ただ、彼女は幸運なことに、抗コロナワクチンを接種した際、「足音として、地上にある音であればどんな音であろうと再現できる」という、謎の副作用を得ていた。

「にゃーん」

足音が、猫の鳴き声を真似る。

「……猫か」
「なーぉ、なーぉ」

鳴き声を聞き興味を失った黒い髪の少女は、レティシアとは逆の方向へ去っていった。

しばらくその場に潜んでいたレティシアは安堵の声をあげる。

「……ふう、よくわからないけど、なにやら命拾いをした気がするよ……」

そして彼女はその後無事何事もなく自室へとたどり着いた。

その夜である。

弁天寮の自室で寝ていたレティシアを、得体のしれない何かが襲う。
蝙蝠の翼を持つ、黒い躰で顔のない何かが。

寝起きで反応の鈍いレティシアは、その何かに荒々しく覆いかぶさられてしまう。
困惑するレティシア。
荒々しく彼女に覆いかぶさった黒い何かは、その躰でレティシアを押さえつけた後、怒涛の勢いで、彼女をくすぐる。

「ふぁ、ひゃ、わは、うふふふ、あははははは! や、な、なに? だ、だれー?」

異常を検知し、空気を切り裂くかのように寮内に一斉に鳴り響く警報音!

弁天寮が誇る自警団の迫る足音を察知した黒い何者かは、レティシアを抱え、窓を破り、飛び去る。
窓が破れ、階下へとガラスの破片が落ちてゆく。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! だれかぁぁぁぁぁぁ!」

弁天寮に向かう3人の生徒。そこに警戒音が轟く。

一行の中で、悲鳴と警戒音に気付き、訝しむ水上晶、その遥か頭上を飛来する黒い影。聞こえてくる黄色い悲鳴と笑い声。

側に居た斎樹は上空目掛け石を蹴り上げる。ゴウッ! という音を立て、石は黒い影に命中、黒い影は少女を取り落とす。

影が揺れ、落下する少女。

落下した場所には、偶然友人を探し理科系クラブ会館を彷徨いていた鱒渕譲が。
頭上から聞こえてくる悲鳴に気付き、譲は顔を見上げる。

そこには空から振ってくる少女が一人。

「は、はぁ? ま、間に合え~!」

一瞬困惑するも、直ぐに正気を取り戻した譲は落ちてくる少女を優しく受け止める。
少女、レティシアは上空30mから落下した恐怖で、譲に強くしがみついた。
譲が少女を降ろそうとするも、青ざめた顔でイヤイヤをし、逆に強くしがみつくレティシア。

「お、お、おおお、おま……ちょ、大丈夫かよ!? ……あ、いや……す、すまん、今降ろすき……!!」
「いやいや! こわいぃぃぃぃ!」

レティシアはその豊満な肢体を譲に押し付ける。狼狽する譲。
そしてそこに駆けつける黒栗山千秋、水上晶、斎樹の一行。

空を伺っていた晶が警戒の声をあげる。

「あれ、みてください!」

晶の指差した先、レティシアを落とした黒い影は、三本足で大きな鉤爪を持つ全身50mほどもある巨大な何かに向けて飛び去ったのだ。

「……あれは……『月に吠えるもの』」

いち早く巨大な何かのその正体を知った千秋はそう呟く。

「何ですか? それは」

そう誰何する樹に、千秋は応えを返す。

「数ある邪神の一つよ」

闇夜の中そびえ立つ巨体を見つめ、その正体を看破せしめた千秋に、晶は質問する。

「あのままにはしておけません。対策はありますか?」

頷き、返事を返そうとする千秋。

二人の会話を聞くともなく聞いていたレティシアは、千秋の顔を見つめ、数時間前の黒い髪の少女──黒いドロドロが变化した姿──の容貌を思い出した。
紛れもなく、レティシアの前に立つ、千秋のそれだ。

レティシアは千秋を指差して悲鳴をあげる。

「いやいや! ヌルヌルドロドロのひと! 黒いヌルヌルがこの人になったのよ!」

たちまち恐慌に陥るレティシア。

「……手帳さえあれば、あれを送り返す呪文を──黒いぬるぬる?」

数刻前に彼氏となった晶に答えていた千秋は、不意に突きつけられた言葉の剣に、困惑を隠せない。

恐慌するレティシアを宥め、情報を引き出そうとする樹。

「黒いヌルヌル? 他には何かなかった? 例えば黒い手帳とか?」

その言葉にハッとするレティシア。
手帳から黒く漏れ出た液体を思い出す。

「そ、そうよ! 手帳からドロドロって出てきてこの人になったのよ!」

その言葉で状況を察する千秋、晶、樹の3人。
レティシアが安眠を貪っていた頃、樹は「好奇心」を意味するキュリオスと名乗る千秋と全く同じ顔をした存在と相対していた。
黒い手帳を探していた千秋、晶。キュリオスを探していた樹。そして手帳から湧き出た黒きものが、千秋と同じ姿を取るところを見た、レティシア。

──点と線がつながる。

キュリオスとの邂逅の際、機転によりキュリオスに取り付けたGPSから、キュリオスの現在位置──月に吠えるものの足元──を知った樹は、それを千秋に知らせる。

「とにかく、月に吠える者が本格的に動き出す前にどうにかしないと、大変なことになるわ」

晶にそう言う千秋をノイズが包む。

「手帳を取り返す、それでいいんでしょう?」
「黒いドロドロがこの人に化けてるってことはないの?」

それらの言葉を意に介さず振り払う千秋。

「手帳さえあれば、何とでもなるわ」

彼女は不敵に嘲笑(わら)った。

(暗転)

巨大な影の足元から離れた位置からキュリオスを伺う一向。

「……来たか、人間ども」

そう言い放つキュリオスめがけ、必殺のキックで石礫を蹴り飛ばす樹。
蹴られた石は轟音を立てつつ、キュリオスの脇を掠め、弁天寮の壁にめり込む。

「小賢しい!」

手帳を持つキュリオスの腕を狙い、必殺の一撃を放つ、学園騎士の晶。
サーベルが一閃し、キュリオスの右腕が吹き飛ぶ。
手諸共に手帳も地面へと転がった。
落ちた手帳めがけて走り寄る樹と晶。しかし二人は運悪く駆け出した勢で転倒してしまう。

その横を彼らを意に介さず、手帳へ向かうキュリオス。
だが、不意に彼の背後からした音に警戒を強め、足を止めた。

これを好機到来とばかりに、手に向けて滑り込む譲。
彼はキュリオスの右腕を拾い上げ、腕から手帳をもぎ取って、千秋に向かってブン投げた。

投げられた手帳めがけて腕を触手のように伸ばすキュリオスだが、その腕は立ち上がった晶の斬撃や樹の射撃により阻まれる。

そして……。

譲が放おった先、地に落ちた手帳を千秋が拾い上げ、ページを捲る。

千秋は、歌うように呪文を唱えた。そしてそれに呼応するように、月に吠えるものも、翼を持つ黒きものの存在も、薄く淡く掻き消えてゆく。

威圧を込めた視線を、千秋はキュリオスへと向ける。

「……さて、残ったおまえはただではすまさないわ」

パラパラと手帳をめくっていた千秋は、目的の見つけ、それをキュリオスへと突きつける。

「ははっ! あなたには地獄の業火がお似合いよ──私の姿をしてようが、容赦はしないわ!」

言うやいなや。手帳から物凄い勢いで火炎の奔流が迸り出て、キュリオスを焼き尽くす。
業火に包まれたキュリオスは、あっという間に燃え、そしてだんだん小さくなっていった。

そして、最後に小さな熾火になったそれは、原型を留めずぽんっと消失する。

その光景を見、どうやら事が終わったことを悟った一行は安堵の声をあげ、千秋へと駆け寄っていく。

「お疲れ様です」
「………ああっ、俺としたことが……カメラ全ッ然回しとらんかったがよー!!!」
「いいのよ、あなたはあたしを助けてくれたから!」


「手伝ってくれて、ありがとう」

皆にそう言って微笑む千秋。

「とりあえず、疲れたんで飯でも食いに行きますか、今度は千秋さんおごってくださいよ」

そう言う樹に、千秋は軽口を返す。

「こんな夜中だけど、開いている店を知ってるから──モグリのチョコバーだけど、ね」

その光景を見ていた晶は、どうやら千秋と居ると今後もとんでもないことに巻き込まれるだろうことに思い至ったが、それが楽しくてしょうがなく思え、自然と頬が緩んでくるのだった。

そして、一同は弁天寮を背景に、何処かへと歩き始めた。

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最終更新:2022年10月19日 00:15