『First Step』
■星河空:
天野遥の幼馴染でSS大尉。IF世界の彼はいろいろと拗らせている。
いつ頃からだろう。
あいつのことばかり、特別な感じで思い起こすようになったのは。
たった1つの大切な思い出。
でもそれは間違いなく俺自身の歴史そのもので。
今でも鮮やかに目に浮かぶ。活発そうな少年の、屈託のない笑顔。
俺の手を引いて、空港中を駆け回った。
離陸する飛行機に目を輝かせ、着陸する飛行機に手を振った。
そうだ。あの日が、俺が子供らしく過ごせた最後の日だったんだ。
翌日からの俺は、厳格な養父の家と馴染めない学校で、窮屈な生活を送ることになった。
学校ではいじめにも遭った。養父には言えなかった。ましてや、慰めなど求めるべくもなかった。
SSのことを聞かされた日だけは心が通い合ったかのように思えたけれど、厳格さそのものは変わらなかった。つまり、俺を取り巻く環境は変わらなかったのだ。
夜ごと布団の中で泣き寝入りに寝入ってしまう。そんなとき思い出すのは、いつもあいつのことだった。
初めて出会ったはずなのに、何年も付き合いがあるかのように仲よくなれた。
「あれ」「それ」で会話が通じてしまうくらい、気が合った。
視線の動きからお父さんとお母さんを見てしまっていたのは間違いないのに、それでも黙っていてくれた。
そして、同じ夢「パイロット」を共有することができた‥‥
学校で友達のできなかった俺には、あいつの存在が救いだった。
今は会えない。どこに住んでいるかも知らない。手紙も書けないし電話もできない。
けれど、あいつは存在している。日本のどこかで確かに存在していて、俺と同じ夢を追っている。
そう思うだけで、救われる気がした。いや、実際に救われていた。
ある日、俺はあいつへの手紙を書いた。当然宛先なんか知らないから投函はできない。ただ、あいつの存在を感じていたかった。
書き上げると封筒に入れて、机の引き出しに入れ、鍵をかける。
ありえないことだとわかってはいたけれど、次にこの引き出しを開けるときに入れた手紙がなくなっていて、代わりにあいつからの返事が入っている‥‥そんなことを夢想したりもした。
もちろんそんなことは起きるはずもなく。代わりに俺は、自分であいつからの返事を書いた。
空、久しぶり。元気そうでよかった。
僕も元気でやってるよ。そうそう、この前会ったときに‥‥
ざっ!と横合いから便箋をかっさらわれた。
顔を上げるといじめっ子がにやにやしながら便箋をひらひらさせている。
「なんだぁ?星河のくせにラブレターでも書いてるのか?」
「そんなんじゃない!返して!」
「何々?“空、久しぶり。元気そうでよかった”」
「こいつ、自分で自分に手紙書いてるぜ!きんも~~~!」
クラス中が嘲笑に包まれる。俺はうつむいて、それに耐えた。あいつなら笑ったりしない。絶対に笑わない。そう思いながら。
それから俺は、学校では何も喋らなくなった。指名されて答えることはする。しかしそれ以外の会話は挨拶も含めて一切しない。
その代わりにひたすら勉強をし、武道を習った。養父の言っていたSSとして恥ずかしくない姿になろうとしていたのだ。
最初の頃はもちろん邪魔をされた。本を奪い取られ、問題集を破られた。
しかし俺は、怒らなかった。ただ、そういう馬鹿馬鹿しい行いをする連中を蔑みの目で見つめ、一言もしゃべらなかった。
そんなことが何度か繰り返されるうちに、下らない連中は俺に手を出さなくなってきた。
蔑みの目が効いたのか、それとも俺の武道が上達してきたためか、あるいは俺が怒らないので面白くなかったのか。いずれにしても、自分より弱い相手にしか手を出せない愚劣な連中だ。俺には蔑み以外の感情がわかなかった。
それでも、辛くなることはある。
乏しい小遣いで同じ問題集を何冊も買いなおしたり、職員室に行って新しい教科書をもらったり。
繰り返しているとくじけそうになる。SSにふさわしい姿にと、そう決意していても苦しいときはある。
そんなときも、あいつを思い出した。俺の想像の中であいつは俺を慰め、励ましてくれた。
そうだ、あいつは見ててくれる。あいつが見ててくれるから、俺は頑張れる。想像の中であいつは、笑ってうなずいていた。
俺は中学生になった。相変わらず友達はいない。
それでも俺は構わなかった。いや、むしろ想像の中でのあいつとの語らいを邪魔する「友達」は不要だった。
いつの間にか、俺があいつのことを想像する時間はどんどん伸びていった。
小学生の頃からひたすら勉強を続けていた俺は、中学入学時にはすでに大学受験レベルの学力を身に着けていた。そのため中学の授業などは聞いていなくても点数が取れる。課題とテストさえしっかりこなせていれば、授業などあってもなくても同じなのだ。
俺は聞く必要のない授業時間をすべて、想像の中でのあいつとの会話に費やした。
あいつは俺の想像の中で俺の言葉に笑い、うなずき、時には反論し、そして受け入れてくれた。
でも、俺にはわかっていた。
どれだけ会話しようと、しょせんは俺の想像。本物のあいつではないのだと。
会いたい。本物のあいつに会いたい。会って、話をして、そして‥‥
そして?
そして、何をしたいんだ?
突然心臓が早鐘のように鳴り始めた。外からでも聞こえるのではないかと思うほど、やかましく鳴っている。
俺は、あいつに何をしたいんだ?あいつと会って、何をするんだ?
そもそも俺は‥‥あいつをどう思ってる?あいつは、俺にとって何なんだ?
大切な友達‥‥それは間違いない。でも、それだけじゃ足りない。そう、足りない。
じゃあ、何が足りない?あいつを、俺にとってのあいつを表現するのに、何が必要だ?
鼓動はまだ、激しいままだ。
こんなにどきどきするなんて。これじゃまるで‥‥まるで‥‥まるで?
まさか!あり得ない。俺は男であいつも男だ。あり得るわけがない。
俺は慌てて、自分の中に浮かんだ1文字を消し去った。慌てる必要などないのに。誰にも、俺の心中など見えるはずがないのに。そこで慌ててしまうところが真実を物語っていたのだが、そのときの俺は気がつかなかった。
その夜、俺は夢を見た。
あの春の1日。空港ではしゃぎ合ったあの日。手をつないで走り回り、息を切らせて笑いあった。
楽しくて、幸せだった。
そう、あいつと2人でいられて、とても幸せだった。
急に駆けだすあいつ。それを追う俺の目の前で、あいつが足を滑らせた。驚く俺の目の前で、盛大に転ぶ。
転んだときにぶつけたらしい額をなでながら、照れたように笑うあいつ。
そんなあいつに歩み寄り、手を差し伸べた。その手に捕まって立ち上がるあいつ。
俺はその手を急に引く。バランスを崩してよろめいたあいつを抱きとめ、強く抱きしめ、そして‥‥
「!」
目が覚めた。
心臓がものすごくどきどきしている。
俺は、あいつに何をしようとしていた?
夢の中の自分は、一番自分に素直な状態だと聞いたことがある。自分が強く意識している記憶を整理するのが夢だからと。
だとしたら。一番自分に素直な俺は、あいつに‥‥
昼間に消したはずの1文字が、また浮かび上がってくる。
嘘だ。違う。あり得ない。あいつは男だ。俺も男だ。
でも‥‥
無意識に手を上げて、自分の唇を触った。夢だったはずなのに、感触が甦る。
「違う‥‥違う‥‥」
首を振りながら小さく呟く。
しかし、本当はもうわかっていた。浮かび上がってきた1文字が、実は正解なのだと。
もう一度唇に触れる。あいつの笑顔が目に浮かぶ。
ああ‥‥もう駄目だ。もう、自分を誤魔化せない。
俺は心の中に浮かんでいる1文字を拾い上げた。
その文字は‥‥「恋」。
最終更新:2022年10月18日 23:59