最初の一日





■天野遥:航空部と海洋冒険部に所属する飛行機バカ。彼女のティアを大切に大切にしている。
イラストは らぬきの立ち絵保管庫 から


■北大路ティア:もとはストクのAI。遥の想いによって肉体を得た。
イラストは らぬきの立ち絵保管庫 から



10月の日曜日、午前7時。
目覚ましの音で遥は目を覚ました。珍しいことにパジャマを着ている。さらに珍しいことに、目が覚めるとすぐに起き上がった。
普段なら冬でもなければパンツ1枚で寝ていて、目が覚めてもぼんやりした表情で1時間近くごろごろしている彼がである。
「準備、しなきゃな」
遥はキャビネットから着替えを取り出すと、浴室のほうへ向かっていった。



ここは日向荘。
遥が寝ていたのは2Kの1室。ベッドと机、キャビネットと本棚代わりのカラーボックスが置かれ、壁にはクローゼットが作りつけてある。
入浴を終えた遥はもう1室に向かった。そこにはまだ誰もいない。家具もなく、がらんとしている。
ゆっくりと部屋を見回す遥。その口元が次第にほころんでいく。
スマホのアラームが鳴った。午前8時。
「そろそろ行くか」
新品のカギをポケットから出し、遥は玄関へと向かった。



学食横丁。日曜の朝ながら、部活に向かう生徒たちでごった返している。
遥はそのうち1軒の屋台に向かった。
「おはようございます、鉄華さん」
「ああ、来たかい。早いじゃないか」
「はい、ついでに朝食もと思って」
「はははっ、いい心がけだ。朝定食でいいね?」
「はい、お願いします」
「はいよっ!」
鉄華は慣れた手つきでフライパンをコンロにかけた。
「しかし早いもんさね。もう引き取りとはね」
「楽しみにしてました」
箸を手にして微笑む遥。その表情は柔らかい。
「ほい、できたよ」
「いただきます」



遥が食事を終えるころ。
「お待たせ、ハルカ」
学園制服に身を包んだティアが現れた。
「ティア‥‥」
遥は一瞬絶句する。ここ1週間ほど寮の転居手続きや航空部・海洋冒険部での転居用休暇取得、自分用の家具の購入や転居の作業などで忙しく、ティアはティアで鉄華からの教育に忙しく、まったく顔を合わせていない状態だった。そのため、遥がティアの制服姿を見たのはこれが初めてだったのである。
「か、可愛いぞ、ティア。制服似合ってるな」
少しどもった遥に、ティアは恥ずかしそうに少し顔を赤くする。
「はいはい、そういうことは2人っきりになってからやりな!」
2人は鉄華に屋台から追い出されてしまった。
「これからどうするの、ハルカ?」
「そうだな。まず部屋を見て、それから何がほしいか決めて行こう」
「ええ」
どちらからともなく手をつなぐ。そして2人は日向荘へ向かった。



「着いたぞ。ここが俺たちの部屋だ」
遥はカギを開けると、ティアを中に入れた。
シンプルな玄関。薄緑を基調とした玄関マットが敷かれていた。
「ティアの部屋は、ティアの意見で家具を入れようと思うんだ」
「私‥‥まだよくわからないから‥‥」
「大丈夫」
少ししり込みするティアに遥は笑うと薄めのカタログを何冊か手渡した。
「これがソファとテーブル、これがカーペット。あまり選択肢が多くても迷うだけだから、俺のほうで少し絞ったよ。その中から好きなものを選べばいい」
「好きなもの‥‥」
ティアの表情は今ひとつすっきりしない。
「あ、もしかして、自分が何が好きかよくわからない‥‥?」
迷うような表情のティアに遥が問いかけると、ティアは戸惑うようにうなずいた。
「ハルカに人間にしてもらうまでは、私はただの兵器だったから‥‥好きとか嫌いとか、よくわからないの」
「大丈夫、覚えていけばいいんだ」
軽く肩を叩く遥に、ティアも微笑んだ。
「例えばティア。今、間違いなくこれが好きだって言えるものはあるか?」
何の気なしにした質問。
「ハルカよ。私はハルカが好き」
何の躊躇もないその回答は、破壊力抜群だった。あまりにストレートな答えに目を白黒させる遥。
「そ、そう、か」
胸に手を当てて、はーっと息をつく。それから遥は、もう一度笑顔を見せた。
「ありがとな、ティア。俺もティアが大好きだ」
それからカタログをぱらぱらとめくって見せる。
「じゃあこれとこれ。どっちがいい?なんとなくいいなっていう感じでいいんだ。理由とか見つけなくていいから、いいなって思うほうを教えてくれ」
「そうね、それじゃこっち‥‥かな」
うかがうような上目遣い。遥の鼓動が早くなる。
「よ、よし。じゃあ、それとこれなら?」
「ええ、これだと、こっちだわ」
そうやってティアが必要な家具を選ぶ都度、遥は自分のスマホから注文を済ませていった。



遥は自分の腕力が貧弱なことを自覚している。なので、購入した家具を自分で組み立ててレイアウトするなどという自爆技は行わなかった。
カラーボックスや小さなキャビネット程度なら自分でも組み立てできるが、ベッドや本棚のレベルになるともうお手上げである。
そこで遥は、きちんと組み立てサービスのオプションも使っていた。
みるみるうちにティアの部屋が完成していく。
「私の部屋‥‥これが、私の部屋」
ティアは目を輝かせながら、その様子を見つめていた。
その間に遥はあらかじめ買ってあったサンドイッチを冷蔵庫から取り出し、これもあらかじめ買っておいた皿に盛ってラップをかけ、一度冷蔵庫に戻す。
ティアの部屋の家具がすべて組み立て完了し、作業員たちが帰って行ったタイミングで遥はティアに声をかけた。
「ティア。昼ごはんにしよう」
「ええ」
新品のテーブルと椅子で、サンドイッチを食べる。遥は自分の置かれた状態を夢のように思った。
ここで目が覚めたら恵比寿寮の四畳半で、いつものようにしばらくぼんやりして‥‥などと考えてしまう。
「どうしたの、ハルカ?」
気がつくと、ティアに顔を覗き込まれていた。
「あ、いや‥‥なんだか夢みたいだなって思ってさ」
照れ笑いする遥。ティアも恥ずかしそうに笑う。
「夢じゃないわ。私はここにいる。ハルカと一緒にいる」
「そうだな。好きだよ、ティア」
手を伸ばして、ティアの頬についたパンくずを払う。くすぐったそうなティアを、遥は心から可愛いと思った。



午後は主にリネン類をそろえることにした。
手芸部直営の店で、シーツやベッドカバー、テーブルクロスなどを物色する。
「これはどうかしら?部屋の壁が薄いベージュだから、そろえようかと思うの」
「うん、いいと思うよ。壁の色と合わせるのはいい考えだな」
遥は極力ティアの意見を通し、かつ着目点をほめるようにした。物事に対する好みなどを知らないままにいたティアに、少しでも「好き」という気持ち、そして選ぶ他楽しさを味わってほしいという気持ちからのことである。
荷物は基本的に配達にしてもらうので、大量の荷物を抱えることはない。遥にしてもティアにしても、荷物を持つよりはお互いの手を握っていたかった。
「あ、ねえ、ハルカ」
ティアがふと目を止めたのは、シルクのパジャマだった。
「これ、つやつやしてて綺麗だわ」
その言葉にふと遥は感動を覚える。兵器として造り出されたティアが「綺麗」という概念を理解した。それはどれだけ偉大で、どれだけ大切で、どれだけ愛おしいことだろう。
「じゃ、これも買おうか」
「え、これ男性用よ?」
「じゃあ女性用も一緒に買うさ。すみません、これレディースありますか?」
「はい、お持ち帰りですか、贈答用ですか?」
「持ち帰りでお願いします」
店員に包んでもらうと、遥は2着のパジャマを小脇に抱えた。
「これは送ってもらわないの?」
「ティアが綺麗だって言ったからさ。俺が持ちたいんだ」
店員が後ろでげんなりした表情をしていたようだったが、遥は気にしなかった。



「さてと」
遥は箱入りのタオルをいくつか、届いた荷物の中から引き出した。
「何をするの?」
「ご近所に挨拶だよ。いつお世話になるかわからないから、挨拶はしておくべきなんだ」
「そうなの。また1つ覚えたわ」
「じゃ、行くか」
ある部屋のチャイムを鳴らす。
「おー。って遥?」
「え?宴夜、ここに住んでたのか」
宴夜はティアと一緒に玄関先に立つ遥を見ると盛大に吹き出した。
「遥、お前何やってんの」
「いや、その、今度ここにに引っ越してきたんで‥‥」
「ってそっちが彼女か?お前意外と手が早かったんだな」
「そ、それは‥‥」
げらげら笑う宴夜にたじたじとする遥。しまいには、
「軍事機密だっ!」
などと言ってしまう始末。ますます宴夜は笑い転げた。
「彼女作る軍事機密かよ。それって航空部か?それとも海洋冒険部か?」
「いや、その」
笑っている宴夜の腕を後ろから輝美が引っ張った。
「いつまで笑ってるのよ」
「お、おう。すまん、輝美」
輝美は遥とティアににこっと笑った。
「戎脇輝美です。よろしくね」
「あ、どうも。天野遥です」
「北大路ティアです。よろしくお願いします」
しばしの立ち話のあと、別の部屋に向かう。
が、チャイムを鳴らしても誰も出てこなかった。
「留守かな。外から見たときにカーテンがかかってたから空室ってことはないんだが」
「後でまた来てみましょう」
「うん、そうしよう」



「ティア、風呂入っちゃえよ」
「はい。ハルカはどうするの?」
「俺は朝入ったから別にどっちでもいいや」
「えーと、あの‥‥」
俯き加減でもじもじするティア。
「どうしたんだ?」
「あの、私‥‥1人でお風呂に入るのに慣れてなくて‥‥背中洗うの、まだ下手で‥‥」
「え?」
一瞬でティアが体を得た日のことが蘇った。ウィングのコクピットに突然全裸で現れたティア。急いで上着を脱いで着せかけたが、手が触れてしまってひどく慌てたことを記憶している。
「あ、つまり俺に洗ってほしいと‥‥?」
「ええ‥‥」
恥ずかしそうな姿を見て、随分表情が豊かになったと遥は思う。
出会ったばかりのときは自分が兵器だと自認していたためか口調も硬く、表情もめったに崩さなかった。
それがここまで表情も口調も柔らかくなった。自分が名前をつけたのが最大の要因ではあるが、ティア自身の努力もあったのだろう。
だが、彼女の申し出はまた話が別である。
「保つかな、俺の理性‥‥」
「え?」
「あ、いや、何でもない」
遥は少し考え込んだ。いかに自分の理性を保ったまま、ティアの希望を叶えるか。
「うん、こうしよう。まず、自分で洗えるところを洗ってしまうこと」
「はい」
「次に、タオルを体の前に当ててから俺を呼ぶこと」
「どうして?」
「それは今は考えないこと」
「‥‥はい」
少し口をとがらせながらもうなずくティア。
「あと、背中を洗うわけだから、俺にはずっと背中を向けておくこと。そしたら少しぐらいはタオルを外してもいいから」
「えっ、ハルカと向き合いたいのに」
「向き合ったら背中が洗えないだろ?」
「あっ、そう言えばそうね」
こうして遥は半袖シャツにパンツという姿で、ティアの背中を洗うことに成功したのだった。
ただしその後、1人で入浴する必要が生じたことは追記する必要があるだろう。



「ハルカ‥‥」
遥がベッドでごろごろしていると、枕を抱えたティアがやってきた。
「どうしたんだ?」
「今までお母さんと同じ部屋で寝てたから私‥‥」
「ああ、準備ができるまで鉄華さんの部屋に泊まってたのか」
ティアはこくりとうなずく。
「それで、1人で寝るのって初めてで‥‥」
「あー‥‥」
またしても理性の危機であった。
しかし、だからと言って自分を頼ってきた女の子を突き放すようなことはできない。遥はなけなしの自制心をフル回転させることにした。
「こっち来いよ」
毛布を軽く持ち上げて、自分の枕を横にずらす。
ティアは目を輝かせると、枕を並べて遥の横に入ってきた。
「これなら安心か?」
「ええ」
うなずくティアの頭をひょいと持ち上げると、遥は自分の腕をその下に入れた。
「え?」
「腕枕って言うんだ。このほうがもっと安心できるだろ?」
「はい!それでね、ハルカ。あの‥‥男の人ってね‥‥」
頬が赤い。遥は内心ため息をついた。なんという攻撃力。自制心が焼き切れかける。
「あまり可愛いこと言うなよ。俺の理性が保たなくなる」
「え?理性?」
遥はきょとんとするティアを抱きしめると、額にキスをした。
「今日はここまで。今日は疲れただろ?大人しく寝なさい」
「‥‥はい」
少し不満そうに見えたのは気のせいだと思うことにする。
ティアのベッドはいらなくなりそうだな。遥はそんなことを考えながら、目を閉じたのだった。

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最終更新:2022年10月18日 23:57