ジェーン・ドゥと教え子
ジェーンとセブンは学生寮の隣の部屋同士だ。
なんの因果か過去に色々あって、互いに迷惑をかけ続けている。
嫌いあってるわけではない。
他人から見ればむしろ仲良しに見えるだろう。
今夜もセブンの部屋で手料理に預かるところだ。
そんなジェーンとセブンだ。
仲が良くないはずがない。
揚げたての唐揚げを盛ったお皿がテーブルに置かれ、否応なしに食欲を刺激する。
ジェーンがニヤニヤするのは美味しそうな料理を目の前にしたからか、それとも...。
唐揚げの他には、青紫蘇ドレッシングのかかったサラダ、コンソメスープ、花鰹の乗った冷奴。
「料理出来たんじゃな」
「子供の頃から習ってたからな」
「家の方針か?」
「いや...『お袋』の方針だろうな...うちはお袋が七人いるからな...それぞれの子に、それぞれの方針で教育されてんだよ」
ご飯をよそった茶碗を受け取りながら
「え?...7人?...え?ここ日本よな?」と受け取る手が止まるジェーン。
「親父が恋多き野郎でな、見た目のいい女を見つけては恋に落ちてんだよ」
「よく刺されなんだのぉ」
「まぁ正妻な母さんの器の大きさと、親父の文句を言わせない財力があってできる技だろうな」
「...親父を紹介してくれ」
「やめてくれ!お前を母と呼ぶ未来なんて考えたくもない!」
「かかか!仮に紹介されても、わし相手ではロリコンよな!」
「.....あぁ...」
「え...まじか...」
「だってお前、美人じゃねぇか!それに年齢的に高3なら問題ないだろう...うちの親父なら、あり得そうで...」
セブンが父親と仲が悪い理由を垣間見た思いのジェーンだった。
配膳も終わり、セブンも席に着いたところで息もピッタリ「「いただきます」」
その瞬間、ポケットからレモンを取り出し魔法で真っ二つにすると、お皿に盛られた唐揚げに、汁をだばぁ!
「...あーー!」
「かかか!こないだのたこ焼きの仕返しじゃ!」
「お...おま...全部にかけることはないだろうが!」
「かかか!お前こそ、たこ焼きに砂糖かけたじゃろうが!おあいこじゃ!」
二人は万事こんな調子であった。
「意外といけるな」という感想を残して料理を平らげた二人は、片付けもそこそこにソファに並んで映画を見始める。
タイトルは「眼鏡の少年 魔法使いになる」
なんでも文学研主催のファンタジー小説コンペで、金賞を受賞した作品の映画化らしい。
非常にリアルな魔法表現で一部のマニアには絶大な評価を得てるという。
「これ...リアルって言ってもやっぱCGだよな?」
「そこは素直に楽しむべきなんじゃないかの」
「そんなもんか?」
「第一、本物であったとしたら黙ってない連中が、雲霞の如く押し寄せてくるぞ?」そう言ったジェーンが過去を思い出してブルリと震える。
ソファで寛ぎながら二人は、雑談を重ねていく。
「のぉ...もしかしてこの映画のチョイスは、お主の兄貴のそれかの?」
「お?よくわかったな」
「ああ...飛行船内で新入生相手に上映しておったからのぉ、彼奴の好みっぽいと思っての」
「そっか...それじゃぁ話は早いな」
「断る!」
「まだ何も言ってねぇ!」
「痛った!すぐ暴力!暴力反対!」
「痛てぇ!どの口が言いやがる!痛てぇ!」
いつもなら何発か入ったところで治る。
ところが今夜は、何とかして断りたいジェーンと、なんとしても引き受けて欲しいセブンとで次第にヒートアップしていく。
セブンとジェーンでは体格に大きな差があり、ジェーンは徐々に力負けしてしまう。
かと言って魔法を使えばセブンを消し炭にも氷漬けにも出来るし、身体強化の魔法でも下手をするとセブンの骨を握りつぶしてしまう可能性もある。
だからこその力比べ、技比べであった。
二人はもみ合いながらベットに倒れ込む。
ジェーンを押し倒す形となったセブンは改めてジェーンの麗しさに息を呑む。
絹糸の様な銀髪は緩いウェーブを描きながら広がり、金眼はまるで狼のそれの様にセブンの心を射抜く。
ジェーンの右目を覆う眼帯ー眼帯代わりの黒い大きな布ーがそれらを一層引き立てている。
「......」
「......なぁ」
「...なんじゃ?」
「.....キ...なんでもない」
「.........ならば退くがよい」
「ああ...」
背を向けて座るセブンの表情を伺うことはできないけれど、ジェーンには3000年を超える人生経験がある。
彼女が何を思っているのか、ある程度予想はついていた。
けれど、それを口に出すほど野暮では無い。
ジェーンは衣服の乱れを整えて髪を梳かす。
未だに背を向けるセブン。
ジェーンはセブンの背中に声をかけるようと口を開いたが上手いセリフが思いつかず、そのままセブンの赤い髪に触れる。
「染めとる割には綺麗じゃの」
「地毛だ」
「え?」
「...生まれつきだってんだよ」
セブンの髪を手櫛で梳かしながら
「ほほぅ...どれ...たしかに根元まで綺麗な色じゃの」
「き...綺麗とか!...綺麗とかいうなよ...」
「なんでじゃ?」
「...誰にもいうなよ?」
「うむ」
「...みんなと...違うから」
ジェーンは今まであったことのある葉車兄弟を思い出す。
「確か兄弟たちは黒髪じゃったか...?」
セブンは兄弟の中で唯一赤い髪を持って生まれた。
ジェーンは知らないが中には金髪が一人いる。
しかし家族以外に目を向ければ、金髪はそれなりにいる。
実家の使用人にも居たし、葉車グループの重役にもいるし社交会だとそれなりに多い。
しかし、赤い髪は彼女と彼女の母しか居らず、子供心にコンプレックスとなっていた。
「お主の髪じゃ、お主がどう思っていようが構わんがの?」
「...」
「わしは好きじゃぞ」
背を向けたままのセブンの表情は分からない。
小さく震える肩...ジェーンにしてみれば十分だった。
ジェーンはセブンの頭をうしろから抱きしめる。
他人がこの場に居れば子供が大人を慰めてる様に見えただろう。
けれど、セブンは17、もうすぐ18歳。いわばまだ子供。
かたやジェーンは3000年以上の人生経験を持つ大人だった。
頭を撫で撫でされて落ち着いたのか
「ロリッ娘がババァみたいなこと言いやがって!」とジェーンを振り解いて振り向く。
そこにはセブンの知らないジェーンが居た。
いや、居た様に見えた。
目を擦ってる間にいつものジェーンに変わっていた。
(さっきのは?まるでジェーンが大人になったみたいな?...いや?現にジェーンはロリッ娘だ...けど、さっきまで後頭部に当たっていたのは...もっと大きかったはずだ)
「なんじゃ...そんなにジロジロ見るで無い...セクハラじゃぞ」恥ずかしそうに胸を抱くジェーン。
「隠すほどのもんでも無いだろ?」
「かかか!こないだ測ったら大きくなっとたもんね!」
「へぇ?」己の胸部を下から支えて主張させながら、哀れみを含んだ目でジェーンを見下ろす。
瞬間、その脂肪の塊はジェーンの小さな手によって、大きな紅葉を貼り付かせる事になったのだった。
「で、要件はなんじゃ?」
「...どうしてもダメなら断ってくれてもいいんだけどよ...兄貴の映画に出てくれないか?」
「うん!断る」とびきりの笑顔だった。
「なんでだよ!」
「嫌だからじゃ!」
「嫌とかいうなよ!」
「断っていいって言っとったじゃろが!」
「それでも受ける流れってやつだろう!」
「いーやーじゃ!」
「なんでだよ!」
「はぁ...わしとて色々事情があるんじゃ。出来れば目立ちとうはない」
「...どうしてもダメか?」
「だめじゃな」
【今生の別に繋がってもいいなら】そうでかかって飲み込んだ。
ジェーンにはその首を狙う者たちがいる。
責任感の強いセブンのことだ、気にやむに違いない。
だからこそ、最初から引き受けないと決めた。
「...そっか...お前がそこまでいうなら仕方ない」
セブンはベットから降りるとキッチンへ、そして赤ワインとチーズを持って戻ってきた。
「なんじゃ...そんなもんで引き受けたりせんぞ...」
「ちげーよ...なんかすまんって思ってな」
「ほぅ?お主にしては良い心がけじゃ!」
雑談しながら気が付けば2本目も残り少ない。
「しっかし...美味しいのぉ...どこのじゃ?」
「うちで作ってるやつなんだ」
「葉車でか...手広いのぉ」
「こんど、これのワイナリーへ行ってみないか?」
「ん...そうじゃのぉ...それも良いかも知れんのぅ」
程よく酔いも回ってきたのか、白い肌が赤く染まって呂律も怪しくなってきていた。
「そしたら、樽ごとプレゼントしてやるよ」
「ほんろじゃなぁ?」
「ああ!その代わり言ってはなんだけどよ...」
「なんじゃぁ?目立つのはだめじゃろぉ」
「いやぁ...それ以外なんだが...流石のジェーンでもむりだわ...やっぱりいいや!」
「あん...なんじゃ?わしでは無理じゃっらいうんか?」
「いやいや!博識で眉目秀麗で慈愛に満ちたジェーン様でも流石に...ねぇ?」
もしジェーンが酔っていなければ、セブンの思惑に気がついただろう。
けれど、アルコールとジェーンのお人好しな性格か、はたまたセブンの交渉術が優れていたのか、あるいはその全てか...。
結果としてジェーンは約束させられていたのだった。
「なんでも一つ言うことをきく」と。
翌朝
二人は自主的休講日と決め込んだ。
ジェーンは午後になってもベットから出てこなかった。
セブンはベットの見える所でパソコンを使って仕事をしている。
「(なんじゃこれ...どういう状況じゃ?...昨日、しこたま飲んで...それから...うむ、思い出せん)」
「お?起きたか?」
「ああ...うむ...おはよう?」
「おはよう。って言ってももう2時だけどな」
「......なんでわし、裸なんじゃ?」
「なんだよ、覚えてないのかよ?」
ベットのシーツには赤いシミが広がっている。
「...」
「おれ、あんなに乱暴にされるとは思わなかったぞ」
「...嘘じゃろ...わし...そんな事を...責任は取る...なんていうと思ったか?」
「ははは!」
「で、ホントのとこはなんじゃ?」
「酔ってワインこぼしたろ、お前のあの白ゴスだとシミになるからな、脱がせてクリーニングだ」
「おぉ...世話をかけたの。あとベットすまんの」
「いや、ちょうど買い換えようと思ってたとこだし、俺とお前の仲だ気にすんな」
ベットの縁に腰掛けてまだ少しぼーっとしているようだ。
それをみながらセブンは胸の下で腕を組む。
それをみたジェーンは「なんじゃ...今度は何を自慢しようというのじゃ」
「いや...自慢とかじゃねぇよ」
「怒らんから言ってみよ」
「絶対怒るやつじゃねぇか...その、なんだ...ジェーン...本当に18歳かな?って...」
「そうじゃが...なんじゃ?」
「いや...その...な?」
セブンの視線はジェーンの身体に注がれている。
それに気がついたジェーンは、腰に手を当てて仁王立ちになり
「かかか!よっく見よ!わしのどこが子供じゃい!」
「いや、胸はたしかにある方だろうがよ、身長のわりにはな。ただ、つるっつるじゃねぇか」
「は?」
「は?じぇねぇわ。18ならそうはなんねぇだろ」
ジェーンは目を瞑って思い出す。
前回の転生した人生までは年齢を曖昧にしていても、問題にならなかった。
それ故に、ジェーンの種族の成長速度と世間のそれとに差がある事を失念していた。
そういえば、前回の人生まではこれ位の成長度合いだと、12歳前後を自称していた気がする。
しかし、戸籍のしっかり管理された日本ではそうもいかず、生まれてからの年数=年齢で通っている。
ということは、12歳の体で18歳だというには無理があるということだった。
眼をカッと見開いたジェーンは
「あ...や...み..見るでない」と、モジモジとベットに戻っていく。
「恥ずかしがることもないんじゃ無いか?高3でもツルツルの奴はまぁ...それなりにいるしよ」
「本当か?本当じゃな?」
「ああ!高3程度ならな!(九重も高3だし嘘は言ってねぇ)」
「そ、そうじゃな...恥ずかしがることでもないの!そうじゃそうじゃ!かかか!(恥ずかしいことじゃと思ったが...時代は変わるのぉ)」
ベットからそれでもまだ少しモジモジとしながら出てきたジェーンは、服を着てくると言って、壁が存在しないかの様に自然に壁を抜けていく。
見送るセブン。
「全く、妙に大人っぽいと思ったら子供っぽかったり...世話の焼ける奴だぜ」
同じ事をジェーンも感じているのだが、知る由もない。
しばらくしてジャージ姿のジェーンが「ただいま」と言いながら壁を抜けてくる。
「ジャージとか珍しいな」
「うむ、いつものあれ、着るの手間なんじゃ」
「なんで着てんだよ」そう笑ってホットミルクの入ったマグカップを手渡す。
「ありがとう。普段ならええんじゃ...でも、今はだるいわい」
「魔法でなんとかなるんじゃねぇのか?」
「人体に影響を与えるモノは、体調が整ってる時でないとの。万が一があっては困るからの」もらったホットミルクをずずっと飲んでジェーンは続ける。
「アルコールを抜くつもりが、血液を抜いたなんてなっては大惨事じゃからの」
「経験あるのか?」
「無いぞ」
「なんだよ」ふふっとセブンは笑う。
「単に医者の不養生に対する自戒の為にせんだけじゃ」
「なんだよ...さっきの話は嘘なのか?」
「ベロンベロンに酔っていればあるかもの」
「それはなんでもそうだよな」
「うむ」
「さて、ジェーンよぉ...約束はも待ってくれるよな」
「...なんじゃったっけ?」
「これだ」
そう言って取り出しのたのはICレコーダー。
再生するとジェーンの声で
「わしがなんでも叶えてやろう!カカカカカ!」
もう一度再生
「わしがなんでも叶えてやろう!カカカカカ!」
さらにもう一度
「わしがなんでも叶えてやろう!カカカカカ!」
用意周到にして、この念押し具合である。
「あ...悪魔かな?」
「で、わしにどうせよというんじゃ?」
「ジェーンが映画に出てくれないのはわかった。だから俺に魔法を教えてくれ!」
「近い近い!」
「約束は守ってくれるよな?」
「...無理じゃな」
「なんでだよ!」
ジェーンは目を瞑ってうーんと唸っている。
「お主、魔法ってどんなもんじゃと思っとるんじゃ?」
「え-っと...なんかこぅ...ぶわぁ!って」
「うむうむ...それをどうやって身につけると思っておるんじゃ?」
「え-っと...滝に打たれたり大鍋にトカゲの尻尾入れたり?...あと、悪魔と契約したり!」
「まぁ全部正解じゃな」
「おお!出来れば派手なやつを覚えたいんだ!」
「じゃから、無理じゃと言っとるではないか」
「なんでだよ!」
「簡単な話じゃ、わしは一切そう言う事をしたことがない」
ジェーン曰く
ジェーンは元から少し使えたし、ある日を境に突然ガッツリ使えるようになった。
心当たりがあるとすれば、巫女として神に仕えていた位だという。
「なら、その巫女になれば俺にも使えるのか?」
「どうじゃろうな...同僚でも使えぬ者が大半であったしのぉ」
「因みに何年くらい?」
「一生かけて蝋燭の火が揺らめくかどうか、くらいじゃないかの」
「まじか...」
「そもそも、これはおまけみたいなもんじゃし、おまけを目的にして得られるものでもなかろう」
「でもよ、魔法って言うなら弟子取ったりするんじゃないのか?」
「弟子になりたいのか?」
「そこはすっ飛ばして教えてくれたら嬉しい」
「現代っ子じゃのぉ、だが過去に何度か試してみたがのダメだったんじゃ」
「弟子がヘボかったんじゃねぇのか?」
「うーん...(お主の前生くらいの話なんじゃがなぁ...あれは東欧あたりじゃったかの...)」
しばし、黙考。
「無理じゃろなぁ」
「そこをなんとか!」
「のぉセブンよ...鳥が魚に飛び方を教えることができると思うか?」
「....飛び魚」
「...トカゲに飛び方を「飛びトカゲ」」
「鳥に泳ぎ方を「ペンギン!」」
「...うるさいわい!」
「痛った!暴力反対とか言いながらなんだよ!」
「無理なもんは無理じゃ!」
「試しにやらせろよ!」
「だから!練習とか訓練とかやった事が無いって言っとるんじゃ!」
「やれよ!」
「理不尽じゃ!」
夜、女子寮の屋上
普段は施錠されて利用することのできないこの場所に、ジェーンとセブンは立っていた。
目の前には簡易式ではあるが祭壇が設けられており、秋の野菜を中心に供物が捧げられている。
ジェーンは白いゆったりとした服を着て、冠、首飾り、宝帯、など装身具を身につけている。
セブンはジェーンと同じく白いゆったりとした服だが装身具の類はない。
「俺もその飾りつけたい」
「駄目じゃ」
「司祭用だからって言うんだろう?いいじゃねぇか減るもんじゃなし」
「ダメなものはダメじゃ。それとこれは司祭長用のじゃ」
「...そんなのよく売ってたな」
「作ったんじゃ」
「作ったのかよ!じゃーいいじゃねぇか、俺にも作ってくれよ」
「...階位が上がって許可が出れば自分で作る。それが決まりじゃ。ただし、不正を行えば罰せられるがの」
祭壇を整えて香を焚き、盃には夕方手に入れた日本酒を注ぐ。
「なぁ、これ日本酒でよかったのか?」
「うまいものを捧げられた方が嬉しかろう」
「...そうだろうけど...思ってたんと違うなぁ...」
二人は祭壇の前に跪く。
ジェーンが故郷の歌を歌うときに使う言葉。
セブンには理解できない言葉で、滔々と響き渡る聖句。
声をかけるのを憚られる雰囲気に、ジェーンが本物の巫女だと言うのも頷ける。
「(そういえば『魔法を使えるようにお願いしてみる」って言ってくれてたけど、本当にこれでいいんだろうか?)」
夜中の女子寮の屋上で、簡易式に作った祭壇と即席で作った法具?
まるでゴッコ遊びの延長のようだ。
その中でジェーンだけが本気のように見える。
セブンは途端にこの状況を恥ずかしく感じて俯いてしまう。
もし誰かに見られたら?
人払いの魔法をかけてるとは言っていたが、それもどれくらい効くのか...。
査問委員長で葉車の一人で...変な噂が立ってしまったら?
そう思い始めると、そうとしか思えなくなり儀式が早く終わる事を祈るばかりだった。
ふと、あたりが静寂に包まれている事に気がついて、視線を上げる。
揺らめいていたはずの蝋燭の火が凍りついたかの様にその動きを止めた。
それもそのはず、世界そのものが静止したのだから。
先程までジェーンの小さな背中が見えていた。
そこにいるにはセブンのよく知るジェーンであるはずだった。
ジェーンのはず...なのに何度見ても大人の様に見える。
それはゆっくりと立ち上がる
「(なんだ...誰だ?...ジェーンはどこへ行った!?...こ...怖い...圧倒される....ただそこに在るだけなのに!!)」
蝋燭の火は揺れる事なく、それでいて明るさを増す。
夜の屋上だったはずだ。
「(まるで昼間じゃねぇか!)」
おもちゃの祭壇で、ジェーンだけが本気だったはずだ。
誰かに見られたら恥ずかしいとまで思っていた。
それなのにまるで神殿にでもいる様な...荘厳で神々しい...雰囲気を感じる。
全てはジェーンだったはずの、目の前の存在がそう感じさせていた。
目に映るそれは大きくなったとはいえ、普通の大人サイズ。
けれど、五感以外がもっとずっと巨大なものの様に感じている。
セブンは一般人だ。
霊能力とか魔力とか呼ばれるものは微塵も持ち合わせていない。
それでも、数メートル先の存在からは巨大で、神々しく、荘厳な雰囲気を感じる。
ゆっくりと振り向く。
横顔が見える頃、セブンは顔を伏せた。
それは、その顔(かんばせ)を直視してはいけないと直感的に理解したからだ。
【畏怖】
セブンは己の身体が震えている事に気がつく。
【衝撃】
魂が消し飛びそうな感覚を覚える。
それはまるで小さな火が、巨大な炎の起こす空気の流れに翻弄されるかの様な有様だ。
【魂に響いてくる】
声ではない声が聞こえる。
言葉ではない言葉がセブンに語りかける。
色の様な波の様なそれは、確かにセブンに語りかけている。
けれど、素養もなく、修行も積んでいないセブンにはそれらを受け止める器がなかった。
セブンという器から溢れ落ちる言葉たち。
その器はあまりにも小さく、そこに残ったのはごく僅かだった。
その残った言葉の根底にあるのは、娘への愛。
娘とはジェーンの事だと理解できたし、同時にジェーンがこの存在を崇拝し敬愛していることも理解できた。
そして直ぐにこの出来事を忘れてしまうということも。
なぜなら、余りにも大き過ぎる存在に触れた普通の魂は、必ず変質するからだ。
魂の変質は最悪の場合【死】に繋がり、少なくとも全く別の性格になってしまう。
それを防ぐために魂の記憶が消される事になる。
そしていまの状態のジェーンには記憶が残らない。
つまり誰も覚えていない事になる。
そして蝋燭の火は揺めき始める。
眠ってしまっていた様だ。
一体いつ寝たのだろう?
どれくらい寝たのだろう?
数秒の様な、数時間の様な...。
ジェーンが振り向く。
確かにいつものジェーンだ。
「(何でこんな事を気にしたんだ?)」
「人を働かせておいて寝るとは悪魔の様じゃな」
「すまん、なんか夢見てたわ」
「汗水流して働いておったのに、夢まで見てたとはのぉ!」
「...なぁ...」
「あん?なんじゃ?言い訳か?聞いてやろうではないか!さぞかし面白い言い訳を聞かせてくれるんじゃろうなぁ?」
いつもの様に腰に手を当てて、ぷんぷん怒るジェーンをどことなく愛おしく感じる。
「(将来、娘ができたらこんな感じだろうか)」
「な...なんじゃその微笑みは!?」
「お前ってば...愛されてるんだなって思ってさ」
「は?...何を言っておる?」
「え...あれ?俺何言ってんだろ?はは!はははは!」
「で、魔法は使える様になったのか?」
「ん〜〜〜やぁ!」その仕草はまるで某人気アニメの必殺技のそれであった。
何も起きなかった。
「だから言ったろうが無理なんじゃって」
「だよな...なんか派手な魔法を使える知り合いを紹介してくれ」
「ふむ...何人か心当たりがあるの」
「どうせなら神様本人を紹介してくれ!」
「罰当たりすぎる!」
「なんだよ、得意分野だろ?」
「そう言う問題じゃないわい!第一わし...お会いした事ないんじゃもん」
そう、ジェーンは神にあったことは覚えていない。
満月が綺麗な秋の夜長の物語。
エピローグ
「金賞おめでとう!」とセブンがクラッカーを鳴らす。
「おめでとうございますお兄様!」
九重もクラッカーを鳴らす。
「おめでとう!」「おめでとうございます!」
国際映画祭でセブンの兄の三月が、監督部門で金賞を獲得したのだ。
ここはローマにある葉車系のホテル。
関係者が集って受賞者である三月とセブンを祝っていた。
そう、セブンもまた作曲部門で銀賞を、脚本部門で金賞を受賞していた。
葉車兄妹の渾身の作「בתי האהובה」(愛娘)
ノー・スタント、ノー・CG で描かれ全世界で同時上映が決まっているこの作品には、知る人ぞ知るモデルが存在する。
セブンはバルコニーで夜風に当たっていた。
グラスを持つ手には皺が目立つようになった。
自分が三月の映画に協力するようになって半世紀ほどが経つ。
あの頃はいつも隣に、モデルとなった彼女がいた。
彼女がある日突然姿を消してからしばらくして、死んだと聞いた。
遺体は見つからなかったらしいが...。
相棒だと思っていた。
本物の家族以上に家族だった。
娘の様に恋人の様に感じる事すらあった。
その彼女が死んだ。
だから書いた。
彼女の事を世界に刻むために。
枯れたと思っていた涙が出た。
彼女との日々を思い出しながらグラスを傾ける。
ふぅとため息が出た。
「かかか!幸せが逃げるぞぃ!」
また会えるそんな予感は常にあった。
まさかそれが今夜だとは思わなかったが。
「幽霊かしら?」
笑みが溢れる。
「かかか!足ならほれ!この通りじゃ!」
つば広の白い三角帽子に白いゴスロリ。
右目を覆う眼帯代わりの黒い布。
「痛ってぇ!てめぇ!このやろう!いったいどこほっつき歩いてやがった!」脛を蹴られて文句を言いつつも、彼女を歓迎する気持ちの方が大きかった。
「泣き虫セブンが泣いとらんか心配での!あの世から戻ってきたんじゃ!」
どう見てもあの頃のままのジェーンだ。
「今度こそ、魔法教えてくれよな!」
「何を言っておる、お主の方がより多くの人を楽しませる魔法を使うではないか!」
「はははは...できたかな?」
「ああ、見事じゃったぞ...毎晩毎晩、ギターの騒音に悩まされただけはあるわい!」
「騒音たぁどう言う事だ!」
「痛った!すぐ暴力!暴力反対じゃ!」
「どの口が言いやがる!」
今夜も二人は仲良しだった。
了
最終更新:2022年10月19日 18:17